《追悼・鳥山明》『ドラゴンボール』で世界中を虜(とりこ)にした、希代の漫画家が描き続けたワクワクドキドキの冒険心

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『ドラゴンボール(DRAGON BALL)』を世に送り出した漫画家・鳥山明(とりやま・あきら)氏が、3月1日に逝去した。実質的デビュー作『Dr.スランプ』でいきなり一世を風靡(ふうび)し、2作目の『ドラゴンボール』で世界中の読者を虜にした漫画家の半生を振り返り、その作家性の核心にあった少年漫画の本質を解き明かす。

“少年漫画の心”が満ちた「かめはめ波」

両手を上に。まだこの段階では力はこもっていない。次に片手は天に向けたまま、もう片方を地の方向に回す。そして向かい合った掌(しょう)と掌の距離を縮めながら「か……め」とつぶやき、全身の潜在パワーを凝縮させていく。

まだ早い。放つにはまだ早い。

掌と掌は、すでに接触しているはずだ。ひとつに合わさった掌を腰のところで構える。「は…め…」と声が漏れる。漲(みなぎ)るパワーを完全に制御する。身体が熱い。衝撃に備えて片足を引く。そして「波(は)」の掛け声とともに、対象に向けて一気にエネルギーを放出するのだ。

張り切り過ぎると、山をも消し飛ばすという技。武天老師こと亀仙人(かめせんにん)が編み出した「かめはめ波」だ。

漫画『ドラゴンボール』に登場する技だが、「ある年代の男子であれば、世界中の誰もが一度はその型を演じたことがある」と言っても過言ではないだろう。筆者もある。『ドラゴンボール』に満ちた「少年漫画の心」は、それほど強く広く、読者の心をとらえた。

得点を決めてチームメイトと喜ぶ横浜F・マリノスのマルコス・ジュニオール(右)ら。かめはめ波は世代も国境も超え、多くの人々に愛された必殺技となった(2021年8月12日、神奈川県・ニッパツ三ツ沢球技場) 時事
得点を決めてチームメイトと喜ぶ横浜F・マリノスのマルコス・ジュニオール(右)ら。かめはめ波は世代も国境も超え、多くの人々に愛された必殺技となった(2021年8月12日、神奈川県・ニッパツ三ツ沢球技場) 時事

その偉大な作品の作者、鳥山明氏が3月1日、急性硬膜下血腫のために亡くなった。まだ68歳だった。訃報は全世界で報じられ、ファンも、クリエーターたちも突然の知らせに呆然とし、悲しみの言葉を捧げている。

鳥山明氏が漫画家としてデビューし、『Dr.スランプ』、『ドラゴンボール』などの作品を連載した「少年ジャンプ」の公式サイトでは、鳥山氏と親交の深かった人たちの追悼の言葉が掲載されている。そのひとり、『ワンピース』の作者、尾田栄一郎氏は、鳥山氏の残した業績について、こう語っていた。

漫画なんて読むとバカになるという時代からバトンを受け取り

大人も子供も漫画を読んで楽しむという時代を作った一人でもあり

漫画ってこんな事もできるんだ

世界に行けるんだ、という夢を見せてくれました。

突き進むヒーローを見ているようでした。

イタリアサッカー1部リーグ・セリエAの公式Xも「子供時代の憧れ:カルチョとドラゴンボール」と追悼の意を表した

伝説の編集者との出会い

鳥山氏は1955年、愛知県生まれ。子供の頃から絵を描くことは好きだった。当時、近所のおじさんが子供たちに絵の描き方を教える「図画屋」という店があり、『101匹わんちゃん』の絵のコンテストをやっていた。まだ6歳くらいの鳥山氏はそこでディズニーの絵を見て、そのデッサンのうまさに衝撃を受けたという。鳥山氏は一生懸命絵を描き、コンテストに入選する。それがうれしくて、鳥山氏は夢中になって絵を描いた。

小学校の頃は熱心に漫画を読んだが、中学生になると興味は実写のドラマや映画に移り、『ウルトラQ』や『ウルトラマン』といった日本の特撮ドラマ、マカロニ・ウェスタンや『スター・ウォーズ』など、「恋愛もの以外はなんでも観る感じ」だったという。

言われてみると『Dr.スランプ』には、『ダーティハリー』のクリント・イーストウッドっぽいキャラや、ウルトラマンなど、実写出自の多彩なキャラクターも登場する。また鳥山氏の投稿2作目は『スター・ウォーズ』のパロディだった。それに「恋愛要素は希薄」というところも、鳥山作品にずっと見られる特徴だ。

そしてデザイン科のある高校に進み、卒業後はグラフィックデザインの道に進むため広告代理店に就職した。気合いを入れてイラストを描いて残業し、翌日遅刻しては怒られるという日々だったそうだが、当時、靴下やベビー用品などたくさんの広告チラシを見て「モノの形」が分かるようになった経験は、後に漫画を描く上で役に立ったという。

鳥山氏の自画像。左は今秋公開予定のアニメシリーズ『ドラゴンボールDAIMA』の制作発表時に描き下ろされた最新のもの ©バード・スタジオ/集英社・東映アニメーション
鳥山氏の自画像。左は今秋公開予定のアニメシリーズ『ドラゴンボールDAIMA』の制作発表時に描き下ろされた最新のもの ©バード・スタジオ/集英社・東映アニメーション

広告代理店は約2年で退職し、その後、収入を得るために選んだ道が「少年ジャンプ」への投稿だった。その理由について「当時はお金が全然なく、賞金目当てにジャンプの月例賞に応募したんです。不純な動機で申し訳ない」と鳥山氏自身は語っている(「ジャンプ流! vol.01 まるごと鳥山明」)。

初投稿作は入選しなかったが、2作目がジャンプ編集部の鳥嶋和彦氏の目に留まる。後に「伝説の漫画編集者」として知られるようになる鳥嶋氏も、当時はまだ入社2年目。若いふたりはコンビとなり、「あたらしい漫画をつくろう」とデビューを目指すことになった。

もっともすぐにデビューできたわけではない。当時、鳥山氏が行った厳しい「修行」は有名で、ボツになったページは年に500枚に達したという。しかし約2年間の鍛錬を経て、確実に漫画力を身につけた鳥山氏は、ついに初連載を獲得。その作品がいきなり大ヒット作になった。1980年に連載が始まった『Dr.スランプ』だ。

1980年から84年にかけて連載された『Dr.スランプ』。連載第1作目にしてすでに独自の世界観は完成していた ©バード・スタジオ/集英社
1980年から84年にかけて連載された『Dr.スランプ』。連載第1作目にしてすでに独自の世界観は完成していた ©バード・スタジオ/集英社

この作品はペンギン村という、のどかな村を舞台にしたコメディ。主人公は則巻(のりまき)アラレという女の子のロボットだが、実はもともとの主人公は、彼女を開発した科学者、則巻千兵衛だった。しかし鳥嶋氏の提案でアラレが主人公となったのだが、当初、鳥山氏はその提案を拒否したという。「なんで?」と聞く編集者に鳥山氏は「少年漫画だから」と答えたそうだ。

グラフィックデザイン畑出身だけに、鳥山氏の絵はどこかイラスト的で、漫画らしくない、と見る向きもあったが、カラフルでポップなその作品世界は、読む人に新しさを感じさせた。

そしてイラスト的と見られた絵柄はむしろプラスとなり、たとえばTシャツにプリントされてもカッコいい。ポップカルチャーのアイコンとして、子供だけではなく、大人の間にも支持が広がっていくことになる。

「んちゃ!」「バイちゃ!!」など、作中のセリフは作品を超えて流行語となり、その人気は社会現象となるまで盛り上がっていった。

モチーフは『西遊記』

「少年ジャンプ」を代表する看板作家となった鳥山氏が、1984年の『Dr.スランプ』連載終了後、3カ月の休載期間を経て世に送った作品が『ドラゴンボール』だ。

『西遊記』をモチーフとして始まったこの作品は、当初は、「神龍に願いを叶えてもらうため、世界に散らばった7つの玉を集める旅をする」という、ほのぼのしたロードムービーの趣があった。

しかしやがてバトル展開に入っていき、人気も盛り上がっていく。もともとブルース・リーの『燃えよドラゴン』や、ジャッキー・チェンのカンフー映画のファンだったという鳥山氏が描くアクションは、読者の心をがっしりつかむことになった。

コミックス完全版の表紙に描かれた、魅力的な敵役たち。左上から時計回りに、ピッコロ大魔王、サイヤ人のベジータ、フリーザ、魔人ブウ、人造人間・セル。最後に超サイヤ人となった主人公の孫悟空 ©バード・スタジオ/集英社
コミックス完全版の表紙に描かれた、魅力的な敵役たち。左上から時計回りに、ピッコロ大魔王、サイヤ人のベジータ、フリーザ、魔人ブウ、人造人間・セル。最後に超サイヤ人となった主人公の孫悟空 ©バード・スタジオ/集英社

『Dr.スランプ』に続いて『ドラゴンボール』もアニメ化される。連載は1995年に終了したが、アニメ版はシリーズを重ねて97年まで放映され、その人気は全世界へと広まっていく。2009年には実写映画版『DRAGONBALL EVOLUTION』も公開。この映画の評価は微妙だったが、13年には鳥山氏が原作として参加したアニメーション映画『ドラゴンボールZ 神と神』が製作される。こちらは全世界で興行収入約5000万ドルを記録し、あらためて作品の魅力と、鳥山氏のクリエーターとしての凄(すご)みを見せつけることになった。

『ドラゴンボール』の人気は今も変わらず熱い。新シリーズ『ドラゴンボールDAIMA』の2024年秋からの放映が発表されている。鳥山氏がキャラクターデザインを担当するゲーム『ドラゴンクエスト』も1986年の第1作以来、長く愛されるシリーズとなり、現在、本編12作目が制作中だ。

2015年に劇場公開された『ドラゴンボールZ 復活の「F」』は、鳥山氏が劇場版19作目にして初めて脚本まで手掛けた作品だった ©バードスタジオ/集英社 ©「2015 ドラゴンボールZ」製作委員会
2015年に劇場公開された『ドラゴンボールZ 復活の「F」』は、鳥山氏が劇場版19作目にして初めて脚本まで手掛けた作品だった ©バードスタジオ/集英社 ©「2015 ドラゴンボールZ」製作委員会

子供の頃の心境を思い出して描く

「少年ジャンプ」編集長の堀江信彦氏は鳥山氏の作品について、

鳥山先生の作品は、まさに少年が望むもの、あるいは少年に必要なものを、真正面から照れることなく、さりとて説教調でもなく描いている。少年漫画誌の作品としては王道といえる視点を持っているのだ。

と語っている(「鳥山明の世界 少年漫画の王道を行く鳥山作品」)。

ゲーム作家のさくまあきら氏は、かつて漫画評論家時代にまだ若い鳥山明氏と直接交流があり、当時の印象について「子供のまんま大人になっちゃったという感じ」と語り、しかし「子供の感覚を持続させていくっていうのはすごくむずかしいことだよね」と指摘していた。(「BIRD LAND PRESS」1982年3月号)

そうした鳥山氏だからこそ、少年漫画の王道を歩み、切り開くことができたのだろう。

では少年漫画の王道とは、いったいなにを伝えるものなのだろうか。突き詰めるとそれは「冒険」ではないか。

考えてみれば、鳥山氏がファンだった『スター・ウォーズ』も、ルークという田舎にくすぶっていた若者が、今いるところを離れて冒険の旅に出る物語だった。『ドラゴンボール』もまた、そうだ。

冒険の旅に出る。新しい世界では新しい出会いがあるだろう。それを考えると「オラ ワクワクしてきたぞ」。鳥山作品にはそんな気持ちがいつもあった。

鳥山氏は、「少年漫画を描く上で大切にしてることは」という質問に答えてこう語っている。

これはもうワクワクドキドキしかないですね。いつも子どもの頃の心境を思い出して描いています。(「漫画脳の鍛えかた」)

鳥山氏の伝えてくれた「ワクワクドキドキ」は、これからも大切に受け継がれていくだろう。

ちなみに鳥山氏は、かめはめ波についても、誰もいない時に自分自身でいろいろとかっこよさそうなポーズを取って、あの型に決めたのだそうだ。その巨大な業績の中ではごく小さなエピソードに過ぎないが、そういうところ、さすがだと感じる。

2023年7月に公開された鳥山氏原作の映画『SAND LAND』もまた、冒険の物語であった ©バード・スタジオ/集英社 ©SAND LAND製作委員会
2023年8月に公開された鳥山氏原作の映画『SAND LAND』もまた、冒険の物語であった ©バード・スタジオ/集英社 ©SAND LAND製作委員会

バナー写真:1982年、『Dr.スランプ』連載中のポートレイト。鳥山氏はめったにメディアに登場しないことでも知られていた 時事

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