写真集『辛朝鮮』:梁丞佑が捉えた韓国の若者たち、その光と影
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「ヘル朝鮮」から「辛朝鮮」へ
2023年、ホームレスの持ち物にフォーカスした写真集『荷物』を刊行した梁丞佑。前回のインタビューで、「韓国の若者を撮り下ろしたポートレートシリーズに取り組んでいる」と話していたが、そのプロジェクトが最新の写真集『辛朝鮮(しんちょうせん)』として実を結んだ。
タイトルは韓国の若者の間で多用されるスラング「ヘル朝鮮」に由来する。「ヘル」とは、英語のhell(地獄)であり、1970年代後半から90年代前半に生まれた世代が、受験戦争や学歴差別、失業、貧富の格差、若者の自殺率の高さなど、韓国社会の生きづらさを自嘲的に表現するときに使う。
梁はこれに韓国の代表的なイメージである「辛い食べ物」を結びつけた。「辛」は「つらい」とも読める。「シン」には「新=new」の響きもある。「辛」の字に横棒を一本足すと「幸」になることから、「その一本を自分の中から見つけてほしい」との願いも込めた。
韓国では、ここ10年ほどの間に、多くの若者が犠牲になった大事故が2つも起きた。2014年のセウォル号沈没事故と22年の梨泰院(イテウォン)群衆雪崩事故だ。どちらの発生時も偶然、韓国にいたという梁。日本に生活の拠点を移して久しいが、故郷でも定期的に写真展を開催し、特に若者から熱い支持を受けている。彼らが生きづらさを味わっている状況を看過できなかった。

「写真展に足を運んでくれる韓国の若者は、こんな坊主頭でTシャツ姿のおじさんに何らかの希望や救いを見出し、勇気をもらったと泣くんですよ。そんな彼らがいま何を考え、どう生きているのか知りたいと思ったんです」
自分らしく居られる場所で
梁は自身のインスタグラムを通じて彼らにこう呼びかけた。「韓国在住の若者を募集します。私はただシャッターを押すだけです。あなたが自分らしく居られる場所まで伺いますので、カメラの前で自由に表現してください。そして、いま思っていることを吐き出してください」と。
すぐに数人からインスタで返事があったほか、23年夏に韓国を巡回していた写真展の会場にも、梁のメッセージを読んだ若者が各地から集まった。
「直接私に声をかけるのが難しかったみたいで、 会場内をずっとグルグルしてるんですよ。こっちから話しかけたら、『インスタ見て来ました』と言うので連絡先を聞いて。すぐに30人ぐらいになりました」

写真集『辛朝鮮』より
最終的に集まったモデルの数は50人。選考はせず、応募者全員を撮ることにした。撮影は23年から24年にかけて3回に分けて行われた。それぞれ約1週間の韓国滞在中に1日2~3人のペースで撮るスケジュールだ。彼らの自宅や仕事場、お気に入りの街角など、指定された場所へと赴く。
ソウルやその近郊だけではない。田舎で農業をしている人を訪ねたこともあった。最も遠かったのは韓国南部の麗水(ヨス)市。ソウルから電車で4時間以上かかる。
「ナントカ山の入り口で待ち合わせましょうと言われたので、市内からバスに乗って。着いたら30分ぐらい待たされて、やっと会えたと思ったら、さらに山の奥深くまで入っていって。そこで1人で練習しているダンサーなんです」

梁「山奥で練習するダンサー。どこでもいいとは言ったものの、正直ここまで行くのか、と思いましたね(笑)」
5年後にまた撮ると再会を約束
撮影時間は相手次第。長ければ酒を飲んで話をしながら6時間に及ぶこともあったが、わずか15分で退散したこともある。
「過去に受けたトラウマで引きこもりになった文学少女でした。家まで撮影に行ったら、部屋が真っ暗で、あまりにも気まずくて、すぐに出てきちゃった。酒でも入ったら話せるんですけど、この時はシラフで(笑)。やっぱり時間をかけないといい写真は撮れないですよね。でも引きこもりなのに展覧会に来て応募してくれたので、それだけでもプロジェクトは成功しているんです」

相手によっては本音を語り合えたと感じる瞬間はあったのだが、それを記録するところまで頭が回らなかったという。
「言いたいことを吐き出してもらったら、その言葉がけっこう面白くて、写真集に載せようと。その場でちゃんとメモしておけばよかったんだけど、後日インスタのDMで送ってと言ったら、みんなカッコつけちゃって、つまらないコメントになっていた。今回の一番の後悔はそこです」

梁「彼女は美容師で『なんでも切っちゃうよ!』と面白いコメントを送ってくれました」
それでも心に響いた言葉は忘れない。写真集の表紙にもなった、眉毛をそり落としたスキンヘッドの女性。このシリーズで最初に撮影したモデルだ。
「最初に会ったときは髪が長くて、きれいな子だなって。私と一緒で人の目を見ずに話すところに興味を引かれて、撮りたいと思いました。そうしたら撮影の日、あの感じで現れて(笑)。私から脱いでとかは一切言いません。自分から脱いで撮りたい、お母さんにも言ってあるから大丈夫って」
抗うつ剤の薬包を体にのせて横たわる姿で「自分らしさ」を表現した彼女が心配になり、撮影を終えた梁は「10年後にまた撮ろう」と伝えた。するとこう答えが返ってきた。「梁さんにまた撮ってもらえるなら、これからの10年をなんとか頑張って生きてみる」

撮影当日にスキンヘッドになって現れた表紙モデルの女性。彼女との撮影が「5年後にまた撮る」アイデアのきっかけになった
梁はその言葉の重さに心を動かされ、以後、撮影した全員に再会を約束するようになった。「10年頑張るのは長すぎるかもしれないから、5年後にまた撮るよ、と言うことにしました」
異例のスピード出版の狙い
ビッシリと入ったタトゥーを誇示したり、コスプレで登場したりと、見るからに奇抜な格好でアピールする人もいれば、パジャマ姿でコンビニに行くところを撮ってほしがる双子の姉妹もいた。
自分の車の上で飛び跳ねたり、一心不乱にドラムを叩いたり、酔っぱらって木に登ったり、ダンスを踊ったりと、ポーズも破天荒でまさに十人十色だ。憧れの写真家にポートレートを撮ってもらえるのがうれしくて、いつも以上にハイテンションになっていた者もいたのだろう。
「特に何も演出はしていないです。みんな、何かを表現したいんだなって。撮影後に『何年かぶりに思いっきり笑って、楽しみました』とメッセージをくれた人もいてうれしかった。普段の付き合いはあるだろうけど、心の底から楽しく笑って飲む相手としては、私くらいがちょうどよかったんじゃないかな」

『辛朝鮮』より
朗らかな笑顔の写真も多く、「生きづらさを抱える」どころか、自由を謳歌(おうか)しているようにも映る。
「最初はアングラっぽい本当にヤバい人たちを撮るつもりだったんだけど、写真展に来てくれたのは、けっこう普通の人も多くて、それもいいかなと。みんな意外と明るくて、私よりも考え方がしっかりしている。 安心しましたね。勝手な先入観でもっとひどいと考えていたかもしれない」

『辛朝鮮』の写真が初めて展示されたソウル・梨泰院のイベント会場。右の写真の女性は作品のモデルになったことがきっかけで、アパレル会社から複数のオファーが舞い込んだ ©禅フォトギャラリー
作品は昨年9月、梨泰院で開催された若者向けカルチャ―誌主催のイベントで展示され、反響を呼んだ。写真集もあわせて販売されたが、梁にとって撮影から刊行までわずか1年足らずとは異例の早さだ。これまでは興味を持った相手とカメラを持たずに信頼関係を築いてから撮影に入り、長い時間をかけて撮ってきた。写真集になるまでに10年以上かかることも珍しくなかった。
「いつものように街に出て探さなくても、向こうから集まってきて、勝手に動いてくれるので、楽でしたけどね。今回はいろんな50人を早く写真集にまとめて、『世の中に出たよ』、『あなたもこの中にいるよ』と励ましたかった。いまやっていることにちょっと自信を持ってくれればいいなって」

写真展が開催中の禅フォトギャラリー(東京・六本木)にて
早く世に出したい気持ちが先走り、一人一人を深く掘れなかったと悔やむことも。
「もともと私は不甲斐ないタイプで、いつもは自分のために写真を撮っていたのに、今回はモデルさんのためにとか、社会のためにとか、いろいろ考えちゃいましたね。でもこれですべてが見えたわけじゃない。本当は応募してこられない人たちのところまで、自分で潜っていかないと」
とはいえ普段は内に閉じこもっていた若者が、「梁さんと話してみたい」と一歩外へ踏み出し、つかの間でもカメラの前で自らを解放し、その姿が人の心を動かすのだから、意義は大きい。梁丞佑のカメラは、時代を映し出す鏡であると同時に、閉塞(へいそく)した社会に風穴を開ける銃でもあるのだ。

『辛朝鮮』より
プロジェクトはまだ始まったばかり。今回撮った若者の5年後を追うだけでなく、今後は日本や中国の若者も撮影したいとも考えている。
写真展の最終日(2月22日)には、「辛い若者とヤン太郎のグミトーク、今回はシラフで!」と題したフリートークイベントが予定されている。日本で生きづらさを抱える若者と本音で語り合いたいという。写真展の締めくくりとして、そして新たなシリーズのスタートとして、世代や国境を越えた対話の場となりそうだ。

インタビュー撮影:キムアルム(Ahlum Kim)
取材・文:渡邊玲子

梁丞佑 写真展「辛朝鮮」
- 会期:2025年2月22日(土)まで
- 会場:禅フォトギャラリー(Zen Foto Gallery)
東京都港区六本木6-6-9 ピラミデビル208号室 - 開館時間:12:00~19:00(日・月・祝は休廊)
- 公式サイト:zen-foto.jp
イベント:「辛い若者とヤン太郎のグミトーク、今回はシラフで!」
- 2月22日(土) 15:00~16:30
- 参加無料。梁さんと話をしたい人は、禅フォトギャラリーのメールかDMにて事前登録が必要。見学のみ希望の方は登録不要。性別国籍不問。通訳は英・韓・中のみ対応可。

