
大阪・関西万博で輝く宇宙からの使者:南極で見つかった「火星の石」
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極地の宝物庫:国立極地研究所と南極隕石
東京都立川市にある極地研は、日本の南極・北極科学研究の中核機関であり、南極地域観測隊の活動拠点だ。同研究所が世界に誇るのが「南極隕石コレクション」である。所内のクリーンルームでは、外部からの汚染や変質・劣化を防ぐため、室温22度、湿度50%以下の厳密な環境で、1万7400個もの南極隕石が保管されている。そこには太陽系初期の情報を保持する始原的隕石、月由来、火星由来の隕石などが含まれる。
なぜ南極でこれほど多くの隕石が見つかるのか?その鍵は、同大陸を覆う巨大な氷床(厚い氷の塊)の動きと地形にある。落下した隕石は雪と共に氷床に取り込まれ、氷床は内陸から沿岸へ年間数メートルの速度でゆっくり流動する。隕石もこの流れに乗り、数万年以上かけて運ばれる。通常、沿岸で氷床は氷山となり海で融解するが、途中に山脈などの障害物があると氷の流れがせき止められる。せき止められた場所では、強い風(カタバ風)で表面の氷が削られたり昇華したりして、内部の隕石が地表に集まる。
このような隕石集積域、特に雪がなく青い氷がむき出しになった裸氷帯(ブルーアイスエリア)では、黒っぽい隕石が氷の上で目立ち、発見しやすい。Yamato 000593が見つかった「やまと山脈」(昭和基地の南約350キロ、標高約2000メートル)周辺は、まさにこの条件を満たす世界有数の地域なのだ。
火星から飛来した隕石「Yamato 000593」が見つかった南極・やまと山脈(中央)周辺の裸氷帯。山脈の最大標高は2500メートルで、裸氷帯も標高2000~2200メートルに達する。日本の観測隊が1969年に初めて隕石9個を発見したのも、この地域だった
世界最大級の輝石の塊
ラグビーボールのような形状を持つYamato 000593は、2000年に第41次南極観測隊によって発見された。幅29センチ、奥行き22センチ、高さ17.5センチ、重さ13.71キロで、単一の石としては地球上で発見された火星由来の隕石の中でも最大級である(研究教育用に一部割っているため、万博での展示試料は12.7キロ)。
Yamato 000593は、ナクライトと呼ばれる種類の火星隕石だ。ナクライトは主に緑がかった単斜輝石からなり、玄武岩質マグマが比較的ゆっくり冷えて固まった火成岩だが、動かすと簡単にかけらが落ちるほどにもろい性質がある。この隕石はナクライトとして世界最大の標本であり、学術的価値が極めて高い。
発見場所の近くでは、同じくナクライトである「Yamato 000749」(1.28 キロ)と「Yamato 000802」(22 グラム)も見つかっている。成分や構造が酷似し、特にYamato 000749表面の溶融痕が部分的であることから、これら3つは元々1つの隕石で、大気圏突入前後で分裂した可能性が高い。
Yamato 000593の近くで見つかったYamato 000749(左)とYamato 000802
発見の物語:氷上の冒険と奇跡の出会い
Yamato 000593発見の物語は、第41次観測隊の越冬中に行われたミッションにさかのぼる。地学専門の今栄(いまえ)直也隊員(現・極地研助教)を含む6人がこの任務に選抜された。目的はやまと山脈周辺の裸氷帯での隕石探査だ。
移動手段は大型雪上車3台。その後ろには燃料、食料、観測機器、居住スペース、隕石格納用など計22台のソリが連結され、さながら氷上のキャラバンのようだった。2000年10月27日に昭和基地を出発し、中継のみずほ基地を経由して、片道約630キロのルートを進んだ。
内陸への旅は困難を極めた。まず、強風で雪氷面が削られてできた凹凸地形サスツルギが行く手を阻む。硬く鋭利な氷の塊が続くため、雪上車は時速5キロ程度まで減速し、慎重な運転が求められた。さらに深さ数十メートルにもなる氷の割れ目、クレバス帯が待ち受け、マイナス15度以下の厳しい寒さも体力を奪う。食料用ソリがヒドンクレバス(雪に隠された割れ目)に宙吊りになるアクシデントも起きたが、隊員同士のチームワークで無事食料を一つも紛失することなくソリを回収し、ミッションを継続できた。
出発から19日目、幾多の困難を乗り越え、ついにやまと山脈が姿を現した。目的地周辺の裸氷帯は、古代の氷が輝く神秘的な場所だった。短い休息後、54日間の探査が始まった。快晴の下、スノーモービル3台が青い氷原を進み、隊員は隕石を探す。
11月のある日、チームは重さ約51キロの鉄を主成分とする隕石を発見。当時やまと山脈で最も巨大な隕石に一同は歓喜した。その興奮の中、わずか500メートルほど離れた場所で別の大きな石が見つかった。それがYamato 000593だった。石質隕石であることは分かったが、その真価が判明するには後の分析を待つことになる。
発見者の1人、今栄助教は振り返る。「発見した時はユニークな形状と緑がかった色合いが印象的でした。見たことのない種類だと直感し、帰国後真っ先に分析しました」
第41次南極地域観測隊・隕石探査ミッションの車両は、大型雪上車3台、ソリ22台に及んだ
隕石探査の風景。大型雪上車の横をスノーモービル3台が並走し、氷上の隕石を探す
火星からのタイムカプセルが語る13億年の旅路
日本に運ばれたYamato 000593は、極地研で詳細な分析が行われた。最先端技術を用いた結果、まず火星起源であることが確定した。決め手は隕石内部の希ガス同位体、窒素、二酸化炭素などの組成。これが1970年代の米探査機バイキングが測定した火星大気データと一致したのだ。これは岩石形成時に火星大気を取り込んだ動かぬ証拠である。
さらに、隕石に粘土鉱物が含まれていることも発見された。粘土鉱物は一般的に水との反応で生成されるため、この隕石が火星にあった時代、表層近くに水が存在した可能性が高いことを示唆する。現在は乾燥した火星がかつては温暖で湿潤な環境だった証拠をもたらしたのだ。
研究は、この隕石の壮大な時間に及ぶ旅路も解き明かした。放射性同位体を用いた年代測定により、岩石が固まった形成年代は約13億年前、火星内部のマントルから上昇したマグマが地表近くで冷却したものと判明した。また、宇宙空間にさらされていた期間(宇宙線暴露年代)は約1000万年と算出された。これは1000万年前に火星で巨大な隕石衝突があり、その衝撃でYamato 000593を含む破片が宇宙空間へはじき飛ばされたことを意味する。
火星の重力を脱したYamato 000593は宇宙空間を漂い、太陽を公転しながら徐々に地球軌道に近づき、その引力に捉えられて大気圏を突破、南極の氷床に落下した。興味深いことに、同様に約1000万年前に火星を離脱したと考えられる隕石は世界で29個発見されており、この時期の火星での大規模衝突イベントを裏付けている。
Yamato 000593の薄片(はくへん)を光学顕微鏡で撮影。内部のカンラン石は一部変質して粘土鉱物を伴っており、火星表層で水が存在した証拠になる
南極隕石研究の意義と未来:太陽系の謎を解く鍵
Yamato 000593のように火星由来と確定しているものはわずかだが、極地研が保管する南極隕石コレクション全体は科学にとって計り知れない価値を持つ。その多くは約45.6億年前に形成された始原的隕石だ。この年代値は太陽系の年齢と考えられていて、惑星形成前のちりやガスが集まった物質をほぼそのまま保持している、太陽系誕生の瞬間の “化石” と言える。
これらの隕石の分析から、太陽や惑星の形成過程、生命起源につながる有機物の生成など、根源的な問いに迫れる。それぞれの隕石が太陽系創成パズルの重要なピースなのだ。2019年に小惑星探査機「はやぶさ2」が採取した小惑星リュウグウのサンプル分析においても、このコレクションは比較研究対象として極めて重要だ。異なる起源の太陽系初期物質を比較することで、太陽系の物質進化の多様性や普遍性への理解が深まる。南極での探査は今後も継続され、分析技術の進歩と共に新たな発見が期待される、現在進行形の分野である。
万博で体感する宇宙のロマン
大阪・関西万博で展示されている隕石Yamato 000593。それは単なる珍しい石ではない。13億年前に火星で生まれ、1000万年の宇宙旅行を経て南極にたどり着き、日本の観測隊によって発見された “使者” だ。内部には失われた火星の水の記憶と太陽系の進化史が刻まれている。
ぜひ会場でこの “火星のかけら” を目の当たりにしてほしい。その存在感、質感、秘められた壮大な物語に触れるとき、宇宙の広がり、地球の奇跡、そして人間の探求心に新たな感動を覚えるだろう。
写真はいずれも国立極地研究所提供
バナー写真:南極で日本の観測隊が発見した火星由来の隕石「Yamato 000593」