「スレンテン」の生みの親・奥田広子さん、カシオ勇退:レゲエ界に革命を起こした開発者が見据える未来
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カシオ初、音大卒の女性開発者
レゲエを愛し、卒論のテーマにまでした音大生が、カシオ計算機(本社:東京都渋谷区)に開発者として入社。最初に手掛けた電子キーボードが、レゲエの本場・ジャマイカでデジタル革命を巻き起こす―。まるで“恋文を入れた瓶を海に流したら、遠い異国で暮らす憧れの人の手にちゃんと届く”といった夢のような物語。奥田広子さんが2022年初頭、nippon.comで初めて明かしてくれたエピソードだ。
その奥田さんが7月20日、約45年間勤めたカシオを退職した。計算機とデジタル腕時計を手掛けるカシオが電子楽器事業に参入した1980年、初の女性開発者、初の音大卒として入社。研修が終わるとすぐに開発に携わり、プリセット音源の作曲を担当したのが電子キーボード「Casiotone MT-40」だった。
プリセット音源がレゲエの「モンスター・リディム」に
そのMT-40を手にしたジャマイカのウェイン・スミスが1985年、『Under Mi Sleng Teng(アンダ・ミ・スレンテン)』をリリースして大ヒット。そのリズムパターンは、奥田さんが作曲したプリセット音源「rock」そのままだった。
レゲエ界ではドラムとベースのリズム体を「リディム」と呼び、人気のリディムを他のアーティストがカバーして新たな楽曲を創作する。奥田さんが作曲したリズムパターンは曲名にちなみ「スレンテン」と名付けられ、次々とヒット曲を生み出し、バンド演奏が主流だったレゲエ界にデジタル革命を巻き起こす。今までにスレンテンを使用した楽曲は450曲以上リリースされ、「モンスター・リディム」と称されている。
世界中の音楽マニアの間では「スレンテンはMT-40のプリセット音源だ」「女性開発者が作曲したらしい」という噂がささやかれ続けたが、開発に打ち込む奥田さんは、顔を出して取材を受けることはなかった。そして、定年退職を意識し始めた3年半前、nippon.comのインタビューに応じ、多言語で公開したことで海外でも話題を呼んだ。
会社員なのに握手やサインを求められる
―記事が公開された後、どんな反響がありましたか?
SNSでどんどん話題になっていくのを見ていると、気付いたらYahoo!トピックスのトップに表示されていて驚きました。そこから、ラジオなどからインタビューのオファーが入ったのですが、一番のサプライズは全国紙の夕刊で一面を飾ったこと。取材記事が載るのは知っていたのでコンビニへ買いに行ったら、まさかの一面。あわてて親に送る分まで購入しました。
―海外からの反応はいかがでしょう?
英語記事が出てからはBBC(英公共放送)やAP通信といった世界的メディアから取材が入り、ジャマイカのテレビにもオンラインで出演。それらが公開されるたびに、たくさんのメールや問い合わせがあり、反響の大きさに驚きました。
―でもコロナ禍だったので、有名になった実感があまりなかったのでは?
記事が話題になったことで、その年6月のNAMM Show(ナム・ショー、米国・アナハイムで毎年開催される楽器見本市)のカシオ・ブースに呼ばれてスピーチをしました。
現地メディアの取材が入っていたので、写真撮影のためにMT-40を持ってブースの外に出たんです。すると「ワー」って取り囲まれてしまい、「あなたを知っている」「その楽器は本当にクールだ!」と声を掛けられたり、写真を撮られたりと大騒ぎ。音楽関係者が多い場所だったからなのでしょうが、「私って有名になったのかな?」って初めて実感しました。
―その話を聞くと海外発信サイトとしてはうれしいです
私自身は「40年以上前の楽器がこんなに注目されたら、新製品の展示の邪魔になっちゃう…」と逆に心配になり、すぐに裏に引っ込みました(笑)。
最近は展示会などで、国内のライバルメーカーの人たちからも「奥田さんですよね? 握手してください」と声を掛けられます。まさか会社員人生で握手やサインを求められる日が来るとは、まったく想像もしていなかったです。

奥田さんの記事で筆者が受賞した「International Music Journalism Award 2022」の賞状を手に
製品にコンテンツやストーリーをのせる
―カシオでの開発者人生を振り返ると
最初から最後までずっと忙しかった(笑)。でも、自分の専門分野一筋で開発を続けられるのは珍しいこと。とても幸せでした。開発者は何もないところからプラスにしていく仕事。完璧にこなすことが求められ、間違えるとマイナスになる仕事が多い中、自分にはすごく向いていたと思う。
―ゼロから生み出すのは、作曲に似ていた?
そうですね。特に電子楽器は、デジタル技術に自分の感性をプラスできます。だから面白いし、開発者として長い間過ごせたのでしょう。感性のない技術者は、自分の得意分野が廃れてしまうとダメになってしまうから。
―そんな電子楽器の世界にも、AIが影響を与えていくのでしょうね
きっと電子楽器は鍵盤だけになり、ボタンやスイッチ類はなくなるでしょう。現代の電子キーボードには500音色とか700音色とか入っていて、絶対に巡り合わない音や探せない音がある。もう人間が選べる範囲を超えています。
でもAIに自分が弾きたい曲を聞かせれば、それとほぼ同じ音色をすぐに設定してくれるようになるでしょう。ただ、入力するものは必要だし、演奏する楽しさは不変なので、いいタッチの鍵盤だけは絶対に残るはずです。
―やはり人の感性に訴えかけることは重要だと
私がこんなに取り上げてもらえたのは、ハードと一緒にコンテンツを作ったから。電子楽器にもたくさんの名器があり、数多くの優れた技術者がいますが、良質なコンテンツまで内包するものは少ないのだと思う。
私がMT-40にのせたリズムをジャマイカの人が見つけてくれ、素敵な曲をたくさん生み出してくれた。そして、たった定価3万5000円の製品がレコーディングを容易にし、デジタル化によってレゲエ界がさらに盛り上がった。そうしたストーリーがあるから、こんなにMT-40が愛され、私も注目されるのだと思う。
―ストーリーを生むようなコンテンツ。最近の日本製品には少なくなった気がします
いろいろなものが出尽くしているので開発が難しくなっている面もありますが、最近の日本製品には優れたコンテンツやストーリーが足りないとも感じています。当然、私は運が良かった部分もあります。ジャマイカの人々に感謝しているし、大好きなレゲエに少しでも恩返しできたのだとしたら嬉しい。
素晴らしい音楽にこれからも貢献していきたい
―開発者人生で後悔していることは?
忙しすぎて、まだジャマイカに行ったことがない(笑)。半分ネタですが、このまま行かないのも面白いかなって。
―退職後の計画を教えてください
特に決まっていません。ただ、開発者としてのアイデアはたくさんあります。世界中をターゲットにするカシオでは商品化が難しかったものでも、小規模なチームなら実現できるかもしれない。温め中のアイデアを、一緒に形にできる仲間を探していければ。
―最後に読者へメッセージを
やっぱり音楽って本当にいいものです。熱烈なファンが世界中にいるから、私は宝物のような経験をしたし、nippon.comの記事が海外のジャーナリズム賞を受賞したのも音楽の力があったからだと思うんです。さらに音楽は、つらい時に救ってくれることもあります。
電子楽器はアコースティックと違い、弾くのがうまくない人にも寄り添え、演奏する喜びを広めていけるもの。私が最後まで携わっていた「Music Tapestry」のように、音が絵になるような楽しみ方もあります。カシオでの経験を生かし、これからもなんらかの形で音楽に貢献していきたい。
撮影=ニッポンドットコム編集部
バナー写真:nippon.comのオフィスに退職のあいさつに来てくれた奥田さん


