お寺で「かしわ手」はマナー違反? 神仏習合の歴史からひも解く

文化 暮らし

近年、初詣や観光の参拝者が多い寺で、神社と同じように「二礼二拍手一礼」で祈る人を見かけることが少なくない。正式なマナーに反するとの声もあるが、宗教学者の島田裕巳氏は神社と寺を巡る歴史的経緯を踏まえ、異なる見方を示す。

神社とお寺の参拝作法に潜む複雑な問題

私自身は遭遇したことがないが、お寺でかしわ手を打つ人がいるらしい。確かにSNSを見てみると、そのシーンに出くわして驚いたという声が上がっている。マナー違反だと憤慨している人もいた。

神社では「二礼二拍手一礼」で、お寺では静かに手を合わせる「合掌」が正式な参拝作法である。そのように言われることも多いのだが、意外とそこには複雑で難しい問題がある。

そもそも神社でかしわ手を打つ人が多くなったのは、決して昔のことではない。YouTubeには、平成の初めの頃、1990年くらいの神社での初詣の光景が残されているが、それを見ると、かしわ手を打っている人はほとんどいない。大半は合掌している。

二礼二拍手一礼は明治時代に定められた神職による拝礼の形式に起源があるが、参拝者の作法として普及したのは、多くの神社を包括する神社本庁(第2次世界大戦後に発足)がそれを奨励するようになったからである。今はそれぞれの神社の拝殿に、やり方を示す張り紙がしてあることが多くなった。テレビや雑誌などでも、それが正しい作法だと宣伝されるようになってきた。

しかし、考えてみれば、神に対して人間の側が立ったままでかしわ手を打つのは、いささか失礼なやり方である。実際、昔の人たちは、神社に参拝する場合、地面に座り込んで手を合わせていた。神社の境内で神職が神事を行う際には、今でも座り込んで行うことが多い。

江戸時代には、伊勢神宮に参拝する「伊勢参り」が大流行し、そのためのガイドブックも刊行された。そうしたものを見ると、参拝者が伊勢神宮の社殿の前に座り込み、五体投地のような形で祈っている姿が描かれている。

世界的な映画監督である黒澤明のデビュー作『姿三四郎』(1943年)では、主人公の三四郎と試合をすることになった柔道家の娘が、父親の無事を神社で祈願するシーンが登場する。着物姿の娘は、社殿の前に座り込んではいないが、腰をかがめて祈っていた。

仏教には定まった祈りの作法がない

お寺の場合、二礼二拍手一礼のような定まった作法が勧められることはない。お寺の本堂に安置された本尊を拝むとき、多くの人たちは合掌するだろうが、それがお寺によって推奨されているわけではない。皆、自然と手を合わせているのである。

神社の場合、そもそもはっきりとした教えが説かれてはいないので、教えによって宗派が分かれることはない。それに対して、お寺の場合には宗派が形成され、それぞれに教えが異なっている。

お寺の住職などは、法要や朝晩のお勤めの際に読経することになり、それが本尊を拝む作法になっている。一般の信者でも、読経することはあるし、密教系のお寺なら真言や陀羅尼(だらに)といった呪文を唱える。つまり、お寺によって、あるいはどういう立場であるかによって、参拝の仕方が異なることも、仏教において定まった祈りの作法がないことに結び付いている。

かつて神社とお寺は区別されていなかった

さらに問題を難しくしているのは、歴史をさかのぼってみると、神社とお寺を巡る状況が現代とは決定的に違うことである。

京都に都があった平安時代の終わり頃から、日本では「中世」の時代に入ったと歴史学の専門家は主張している。その中世から近世にかけて、日本の宗教界の大きな特徴は、「神仏習合」の状態が続いたことである。

神道は日本に土着の宗教で、仏教は大陸から伝えられた外来の宗教である。仏教が伝えられた当初の段階では、両者は対立するものとして捉えられていたが、仏教が日本社会に浸透していくと、両者はむしろ融合するようになっていった。

そこには、神道に明確な教えがなかったことが影響していた。仏教に明瞭な教えがあったのとは対照的で、その面で二つの宗教は、教えの違いで対立することがなかった。これは、ヨーロッパでキリスト教が浸透することで、土着の民族宗教が駆逐されてしまったのとは事情が大きく異なっている。

その結果、規模の大きな神社の境内には、「神宮寺」と呼ばれるお寺が建てられることとなった。しかも、お寺の住職が神社を管理し、神社の本殿の前で読経することも当たり前に行われていた。神という地位も輪廻(りんね)転生の結果で、神も仏教の修行を実践し解脱したいと考えているとされたからだ。住職は読経によって神の修行を助けたのである。

今や海外の人が多く訪れる鎌倉・鶴岡八幡宮の場合も、鎌倉時代に創建されてから近代に入るまで同時にお寺であり、境内には仏教関係のお堂が立ち並んでいた。ところが、明治に時代が変わる時点で、政府は「神仏分離」を行い、神社から仏教関係のものを一掃してしまった。だから、鶴岡八幡宮を現在訪れても、その痕跡に接することができない。だが、明治以前は釈迦(しゃか)の遺骨を納める仏塔なども建っていた。

重要なのは、神仏習合の時代においては、神社とお寺が区別されていなかったことだ。仏塔も建つ鶴岡八幡宮は神社でもあり、お寺でもあった。そうなると、参拝者も神と仏をともに拝むわけで、参拝の仕方が分かれるわけではない。基本的に合掌で統一されていた。

明治の「神仏分離」と祈りの本質

神社とお寺がはっきりと分けられるようになるのは、明治時代になってからである。それでも、参拝の仕方については、それ以前の時代のやり方が引き継がれ、神社でもお寺でも合掌することが多かった。中には神社でかしわ手を打つ人もいたが、それは神職がそうした作法で礼拝していたからである。

合掌にしても、二礼二拍手一礼にしても、どちらも神や仏が定めたものではない。それは、あくまで人間の側が決めたものである。その点で、絶対にそうしなければならないというものではないはずである。

しかし、日本人は作法を大切に考える傾向が強い。これが正しいマナーだと指示されると、それに従おうとする。神社で二礼二拍手一礼が勧められることで、その作法が広く浸透してきた。

他方、神仏習合の時代は過去のものにはなったが、その影響は今でもある。それに、誰もが神社とお寺をはっきりと区別しているわけではない。正月の初詣先は神社が多いものの、お寺が選ばれることも少なくない。

東京なら明治神宮に初詣する人が多いが、お隣の神奈川になると川崎大師が選ばれる。川崎大師は通称で、正式には平間寺(へいけんじ)という真言宗のお寺である。しかし、初詣する人たち皆が、明治神宮は神社で、川崎大師はお寺だと意識しているとは言えない。そこで、川崎大師でもかしわ手を打つ人が出てくるわけである。

それに目くじらを立て、作法に反していると怒る必要もない。大切なのは、心を込めて祈ることである。心を込めるには合掌の方が具合がいい。だから、私は神社でもお寺でも合掌している。

バナー写真:合掌して新年の祈りを捧げる初詣客=1976年1月1日、東京都日野市の高幡不動尊金剛寺(共同)

神社仏閣 神社 宗教 マナー 仏教 神道 習慣 寺院