「フグは食いたし、命は惜しし」 : 青酸カリの数百倍の猛毒を克服したフグ食文化
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寒さは身体にこたえるが、冬は海の幸がうまい季節でもある。赤身の王様がクロマグロなら、フグは白身の王様と言っても過言ではないだろう。プリッと弾力ある歯ごたえ、口の中に広がるうま味と甘み…鍋料理はもちろんのこと、刺し身、唐揚げと思い浮かべるだけでもなぜか幸福感に満たされる。
数時間で死に至る
そんな美味なるフグだが、最大の特徴は内臓や卵巣などに猛毒テトロドトキシン(TTX)が含まれているということだ。この毒は青酸カリの800倍とも1000倍ともいわれ、ほんの1〜2ミリグラムでも致死量に達してしまう。厄介なのはフグの毒には耐熱性があり、煮たり焼いたりの加熱調理では弱毒化しない。

マフグ(上)の可食部は筋肉と白子(精巣)のみ。トラフグ(下)は皮も食べられる (写真提供 : つきじ天竹)
フグの毒を口にすると、唇から舌の先、指先にしびれを感じる。軽症であれば頭痛や嘔吐(おうと)で苦しむ程度だが、重症になると神経が麻痺して呼吸ができなくなり、4~5時間で死に至る。残念ながら、フグ中毒の治療法も解毒法も確立されていない。
秀吉が発した禁止令
フグは世界中の温帯から熱帯に幅広く分布。400種類以上が確認されている。日本近海には50種類以上が生息していて、そのうち食べられるのはトラフグ、マフグ、ショウサイフグ、サバフグなど22種類である。毒のある部位はフグの種類によって異なる。例えばトラフグの皮は食べられるが、マフグの皮には毒があり食べられない。
日本近海のフグは沿岸の浅瀬に生息することから、高度な漁具がなくても捕まえることができたのだろう。フグ食の歴史は古く、千葉県市川市の姥山貝塚(紀元前5000〜3000年)など、縄文時代の遺跡からフグの歯や骨が出土している。縄文人が食べられるフグを見分ける方法を知っていたのか、リスクを冒してでも食べたかったのかはナゾ。
フグ毒の恐ろしさを認識し、フグ食を禁止したことで知られるのは豊臣秀吉だ。朝鮮出兵の際に、西国の武将を15万人も動員し、現在の佐賀県唐津市に陣を構えた。出兵を待機している間に、フグに毒があることを知らない武士が、他の魚と同じように調理して食べて相次いで中毒死したのを見かねて、1598年に「フグ食禁止令」を発した。
庶民はひそかに食べ続けた
徳川の世になっても禁令が解かれることはなかった。武家の当主がフグに当たって死ぬと、「主に捧げるべき命を、食い意地のために落とした」して、「家名断絶」「家禄没収」などの厳しい処罰が課された。ところが庶民にとっては捨てるにはあまりにも惜しいうまい魚だったようだ。
江戸時代初期のレシピ本『料理物語』には、みそで味付けするふぐ汁の調理法が紹介されている。「皮をはぎ、ワタを捨て」「血気がなくなるまでよく洗い」「酒につけておく」など、毒に当たらないためのポイントも解説しているので、危険を承知しながらも食べていたのだろう。
江戸後期に作られた古典落語「河豚(フグ)鍋」では、商家の主人と客人とがフグ鍋を前に「どうぞお先に」と譲り合う。食べてはみたいが、毒にあたるのは恐ろしい。ちょうどその時、裏口にやってきた物乞いに毒見役をさせることを思いつく。しばらくして様子を見に行くと、物乞いは毒に当たった気配はなく、ピンピンしている。それならばと、恐る恐る食べてみると、あまりのおいしさに箸がとまらない。鍋がすっかりカラになった頃に再び物乞いがやってきたので、「もう全部食べてしまったから、お前にやるものはないよ」と言うと、物乞いは「さようですか。それでは、私もこれからゆっくりいただきます」
腹を空かせた物乞いもちゅうちょするほどに危険な食材であることは知られていたのだろう。
河豚汁や 鯛もあるのに 無分別
フグを恐れていた松尾芭蕉は、「タイを食べれば心配ないのに…フグ汁を食べるとは、なんと無分別なことか」と、軽蔑交じりに警鐘を鳴らしている。逆にいえば、フグを食べる人が少なからずいたということだろう。
一方、50歳を過ぎてからフグのうまさに目覚めた小林一茶は、
河豚食わぬ 奴には見せな 不二(富士)の山
「フグを食べる根性のないようなやつに、富士山を拝む資格はない」とまで言い切る。危険と隣り合わせであることも含めて(危険だからこそ?)、フグは人々を魅了したのだ。
東京から始まった免許試験
そして、ようやく禁令が解かれ、堂々とフグを食べられるようになったのは明治維新後のことである。初代首相となった伊藤博文が1887(明治20)年の暮れに山口県に里帰りした際に訪れた料亭で「魚が食べたい」と所望した。その日は海が荒れてよい魚が手に入らず、困り果てた女将(おかみ)ががお手打ち覚悟で、ご禁制のフグを出した。長州でも、庶民の間で密かにフグ食は続いており、安全な調理法が確立されていた。
フグのおいしさに驚いた伊藤博文は1888年に禁制を解き、その料理屋に「ふく料理公許第一号」の免許を与えた。その後、山口県下関、福岡県北九州、大阪府など西日本中心にフグを扱う専門店が増えていった。
関東などでもフグ料理を食べるようになったのは、1949年に日本初のフグ調理師免許試験が東京で行われてからのこと。これをきっかけに、各都道府県でもフグに関わる食品の安全性を担保するための条例の整備が進み、フグ取扱に関する試験が実施されるようになった。
試験内容は都道府県ごとに異なるが、基本は、フグに関する基礎的な知識を問う筆記試験とフグの種類を見分けたり、フグを食べられる部分と食べられない部分に分けたりする実技試験の二本立て。これらの免許を取得した人は、取得した都道府県でのみ、フグの取り扱いが認められる。
フグは血液にも毒があるので、調理の際には他の食材に血液がつかないように、通常の調理場とは別に、フグをさばく専用の調理場が必要となる。毒のある部分は鍵のかかる入れ物で保管し、指定された場所で最終処分してもらうなど、厳格な管理が義務付けられている。

食べられない部分。中央の黄色味がかったものが肝臓、その上は腎臓 (写真提供 : つきじ天竹)

東京・豊洲にある除毒所。料理屋などで取り除いた毒を含む部分も他のごみとは分けて、ここに持ち込んで処分してもらう(筆者撮影)
安全に食べるための仕組みづくりが整い、いまや、フグは危険な食べ物ではなくなった。年に数件発生するフグ中毒のほとんどは、釣り人がたまたま釣れたフグを「食べられる種類に違いない」「内臓を取り除けば大丈夫に違いない」と素人判断を重ねたことによるものだ。
回転ずしや居酒屋の目玉メニューに
十数年前までは、フグ調理師免許を取得した人がいなければ、フグ料理を提供することはできなかった。しかし現在は、あらかじめ毒を取り除いた「身欠(みがき)ふぐ」が安定して流通するようになり、有資格者がいない店でも、フグ料理を提供できるようになった。
いまや、回転ずしや居酒屋の目玉メニューとなり、スーパーの鮮魚コーナーには家飲み用に小さく盛り付けたフグ刺しや、鍋物セットが並ぶなど、一昔前よりもぐっと身近な食材になった。
「当たると死ぬ」と鉄砲にたとえる洒落っ気
フグ料理として最もポピュラーなのは、「フグ刺し」「フグ鍋」。フグは、筋肉質で弾力のある身なので、刺し身は皿の模様が透けて見えるほどに薄くスライスする。見た目も楽しめるよう菊花のように盛り付けるのが料理人の腕の見せ所だ。
「フグ鍋」は、アラ(骨の部分)から出るだしも存分に活用したい。トラフグはコラーゲンたっぷりの皮の部分も入れて食べる。冬場は白子(精巣)も美味だ。うま味がたっぷりの汁で作るフグ雑炊は絶品。雑炊が食べたくて、フグ鍋にするという人もいるほど。ちなみに、フグ鍋は「フグちり」とも呼ばれる。「ちり」は主に白身魚を具材とする鍋物で、一説には熱で魚の身がちりちりと縮むさまを表しているという。

うま味がたっぷりの汁で締めの雑炊(写真提供 : つきじ天竹)
関西では、フグ刺しを「てっさ」、フグちりを「てっちり」と呼ぶ。「当たると死ぬ」のが共通しているからと、「フグ」を鉄砲になぞらえているのだ。
フグは冬の食べ物という印象が強いが、実は回遊魚なので、一年を通じて日本の沿岸で水揚げされている。近年は北海道や福島県、千葉県でも最高級とされるトラフグの水揚げが増えている。ところが、毒を取り除く身欠き処理や、取り除いた毒の最終処分などのシステムが十分に整っていないため、各地で水揚げしたフグの多くは山口県下関に送られ、加工処理される。このため集積地である下関がフグの一大ブランドとなっているのだ。
冬は白子も楽しめるが、夏は身に栄養が集中するため、真夏のフグもうま味が凝縮していておいしい。薄めにスライスした身をさっと湯通しして氷の上に並べポン酢や酢みそをつけながら食べる「ふぐのあらい」やさっぱりとした「ふぐわさ」など、夏ならではの楽しみ方もある。
【資料】
- 厚生労働省「自然毒のリスクプロファイル:魚類:フグ毒」
- 春帆楼「ふぐについて」
バナー写真:ごく薄くそいだフグ刺しを盛り付ける(写真提供 : つきじ天竹)


