金継ぎ : 形あるものは壊れる宿命を受け入れる ―大胆な表現で新たな美しさを生む漆芸修復師・末崎広樹

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壊れた器を漆で継ぎ、金で装飾する日本の伝統技術「金継ぎ」。傷や欠けをなかったことにするのではなく、その歴史ごと受け入れ、新たな美として生かす──そんな思想を持つ“Kintsugi”が、国内外で関心を集めている。漆芸修復師・末崎広樹さんは、金継ぎを通して、日本人の価値観や精神性を伝えようとしている。

末崎 広樹 SUEZAKI Hiroki

1957年、大阪生まれ。高校卒業後、漆芸の修業に入り、85年に漆芸修復師として独立。全国各地の神社仏閣や文化財修復に携わる。2014年に京都市に工房を構え、翌年から金継ぎ教室を開講。20年に英国BBCで金継ぎの名工として紹介された。21年、職人文化の継承を目的としたNPO法人「ROLE」を設立。23年には陶胎漆器「馬香炉」がバチカン美術館の所蔵品となった。

傷を受け入れる“Kintsugi”の思想

「お化粧直しだからね、金継ぎっていうのは。形あるものはいつか壊れる宿命にある。だからこそ、壊れた器に金をあしらうことで特別なものにして、よりいっそう長く、大切に使い続ける──それが金継ぎの思想なんです」

末崎さんは母から譲り受けたシュガーポットとミルクピッチャーにも金継ぎを施した
末崎さんは母から譲り受けたシュガーポットとミルクピッチャーにも金継ぎを施した

割れたり欠けたりした陶磁器を、漆(うるし)を主材料としたのり漆で接着し、継ぎ目を金粉や銀粉、プラチナ粉などで装飾する金継ぎ。壊れた部分を隠すように復元するのではなく、割れや欠けを器の歴史として捉え、新たな美として再生させる伝統技術は、“Kintsugi”として世界でも注目されている。

その広がりを支えてきた一人。それが、漆芸修復師の末崎広樹さんだ。

世界中に大きな“傷跡”を残したコロナ禍には、英国の公共放送「BBC」が末崎さんの工房を訪問し、金継ぎを「不完全さの中に美を見出し、欠点を受け入れる助けとなるもの」として紹介した。2024年には“Kintsugi”がオックスフォード英語辞典に新たに収録されるなど、国際的な関心の高まりを示している。

職人文化を次の世代に受け継ぐ

こうした金継ぎへの関心の高まりは、自然に広がったものではないのかもしれない。少なくとも末崎さんは、ある目的のもと、明確な意志を持って発信を続けてきた。

では、この「意志」はなぜ芽生えたのか。

末崎さんは高校を卒業してすぐ、「漆芸」の修行を開始。漆で壊れたものを補修する漆芸修復の分野で研さんを積み、28歳で独立する。文化財の修復を中心に、神社仏閣や仏像、古美術品、アンティーク家具の修復まで幅広く手掛けてきた。

金継ぎを施した骨董の壺
金継ぎを施した骨董の壺

そうして第一線で活躍するなか、2014年からは、漆芸修復の一つである金継ぎに本格的に力を注ぐようになる。そこには、職人文化を現代につなごうとする、強い意志があった。

「金継ぎの道に入ったのは、民藝運動じゃないけど、『民』つまり一般の人たちに職人の世界を共有したいと思ったからです。いま日本中、織物や大工などさまざまな分野で、伝統的な材料がなくなり、道具が失われ、職人が減ってきています」

末崎さんはこう続ける。

「大量生産で、多くの人に同じものを安価に一気に届ける。それはそれで素晴らしいことです。だけど、手仕事による一点物を、大切に使う文化も残していかないといけない。たとえば、印刷の柄のワンピースよりも、同じものが二つとない刺繍(ししゅう)のワンピースのほうがどこか個性的でいい。人はやっぱり、誰かと同じだけではおもしろくないという感性を持っている。だからこそ、手仕事の素晴らしさを知ってもらって、いまにも消えそうな職人文化を後世に残さなければと思います。僕にとってサステナブルとは、ものを長く使うことだけではなく、文化や技術を次の世代へ受け継ぐことでもあります。職人文化を、未来を生きる子どもたちに残していきたいんです」

中学の国語教科書に、末崎さんが「金継ぎの心」を語る文章を寄せた
中学の国語教科書に、末崎さんが「金継ぎの心」を語る文章を寄せた

職人の技が失われつつある現実を目の当たりにするなかで、末崎さんは、その“バトン”を次の世代へ渡さなければならないという使命感を抱くようになった。

ところがある頃から、文化財修復の仕事では、一般の人に手仕事の価値を伝えることは難しいと感じるようになった。文化財は日常生活から距離があるうえ、修復の痕跡もできるだけ目立たないように仕上げるため、技や思想が外から見えにくいからだ。

「伝統的な手仕事の文化を保護するのは国の役割かもしれない。けれど、多くの人が価値や必要性を感じ、日常の中で選び使い続けてくれなければ、その文化は続いていかない。それで、一般の人にも伝わりやすい金継ぎの仕事へとシフトしてきました」

伝統から一歩踏み出す表現

金継ぎを通して職人文化を残したい──その思いは、ときに鮮烈な表現となって現れる。 

幾何学文(きかがくもん)と植物文を染め付けた青い絵付けをシャンデリアの本体に見立て、そこから垂れ下がる装飾のように、鮮やかに金があしらわれている。

シャンデリアに見立てて金継ぎを施した瓶
シャンデリアに見立てて金継ぎを施した瓶

「器はおそらく250年ほど前のものなんですが、主役はあくまで器自体です。だからそのデザインを無視してはいけない。金継ぎはある意味、器とのコラボレーションなので、これをつくった職人と対話するような感覚でどういうデザインにするかを考えます」

揺らぎのある透明に年月の気配をまとったオールドグラスは、口縁の欠けを滴のような形に修復して柔らかな色の金を蒔(ま)くことで、グラスから滴がこぼれ落ちようとする瞬間を見事に表している。

欠損に金継ぎを施すことで新たな魅力が生まれる
欠損に金継ぎを施すことで新たな魅力が生まれる

「壊れたところを線や面として整えるだけの金継ぎでは、なかなか世の中には届かない。そのため、これまでにない表現の金継ぎを生み出し、国内外にアピールしていく必要があると思ってきました」

作品がバチカン美術館に所蔵

手仕事の価値を伝えようとする末崎さんの活動は、その卓越した技と高い表現力によって、次第に存在感を高めていく。

欠けを修復するだけでなく、稲妻を思わせる大胆なデザインを施した茶碗
欠けを修復するだけでなく、稲妻を思わせる大胆なデザインを施した茶碗

一つの転機となったのが、2022年にバチカン市国のベネディクト16世ホールで行われた講演だ。日本とバチカンの国交樹立80周年を記念した催しの一環として、末崎さんは、現地で関心を持たれ始めていた金継ぎのデモンストレーションを披露した。

この講演の場で末崎さんは、途絶えつつある「陶胎漆器」の技法を復活させたいという思いと意義について語った。陶器に漆を施し、蒔絵(まきえ)や螺鈿(らでん)で装飾する陶胎漆器は、日本と気候が異なる海外でも耐久性を保てるよう生まれ、明治期までヨーロッパに輸出されていたが、新素材の普及とともに姿を消していった技法だ。

「陶芸家の森令二さんと共作し、講演の際に持参した陶胎漆器の作品『馬香炉』は翌年、バチカン美術館のコレクションとして所蔵されることになりました。自分のメッセージが届いたのだと感じ、とてもありがたく思っています」

「馬香炉」 (同型作品がバチカン美術館に収蔵)
「馬香炉」 (同型作品がバチカン美術館に収蔵)

末崎さんはバチカンでの講演をきっかけに、イタリアのローマ・ファエンツァ・ヴェネチア、スイスのルガーノ、イギリスのロンドン・オックスフォードなど、各国の美術館や教育機関で講演活動を展開していく。

さらに2024年からは、ヴェネチアの修復家養成学校で、イタリア全土から修復専門家を集めた漆芸修復の特別講座を開講。海外に眠る漆芸作品の保存や、技術承継を担う人材の育成にも本格的に取り組み始めている。

伝える、その先へ

海外での活動と並行して、国内でも発信を続けてきた。2015年からは東京と京都で古典的な金継ぎ教室を主宰し、これまでに約250人の生徒を受け入れている。

「教室以外にも、2025年度の実績として600人弱の外国人が金継ぎ体験に参加しています。僕の発信力だけでなく、その方たちの発信力もお借りして、金継ぎの魅力を世界に伝えています」

金継ぎや職人文化を伝える末崎さんの活動は、こうして多くの人を巻き込みながら展開してきた。そんななか、活動の軸は次の段階へと移りつつある。今後は発信に加えて、制作にもより力を注いでいきたいという。

修復中の「打它公軌像」(妙光寺蔵)
修復中の「打它公軌像」(妙光寺蔵)

「金継ぎを始めてから、いろんな方に声をかけていただけるようになりました。もし文化財修復だけを続けていたら、なかなか外の世界とつながることはなかったかもしれません。ただ今後は、打它公軌(うだきんのり)像(妙光寺蔵)もそうだけれど、金継ぎや修復を待っている作品がいくつもあるから、制作そのものにしっかり向き合う時間も確保していかないと。手先もだんだん鈍くなってくるし、目も衰えてきますからね」

その歩みの先に見えてくるのは、やはりひとりの職人としての佇まいだ。

欠けを埋める錆漆(さびうるし)を作るため、生漆(きうるし)と砥の粉(とのこ)に水を加えて練る
欠けを埋める錆漆(さびうるし)を作るため、生漆(きうるし)と砥の粉(とのこ)に水を加えて練る

取材・文:杉原由花、POWER NEWS編集部
写真:松村シナ

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