日の丸の起源:古代の太陽信仰が発端、法制化されてまだ30年足らず
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政府も「由来はつまびらかでない」
日の丸を生み出した土壌には、まず古代からの太陽信仰がある。神話で天皇の祖先神とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)は太陽を司る女神だ。さらに日本は中国の東側に位置するため、自国を「日出ずる国」と称してきた歴史がある。太陽=日は、日本のアイデンティティーと結びつきやすかった。
伊本俊二著「国旗日の丸」(中公文庫)によると、文武天皇時代の701年、正月の儀式に登場した旗が太陽をかたどった最初の例だという。ただし、これは赤い丸ではなかった。
「白地赤丸」の旗は、11世紀の源平合戦の時代に登場したという説がある。13世紀の元寇(モンゴル帝国の対日侵攻)で使われたとの説も出回っているが、根拠がはっきりしない。日本政府は「歴史的に見ると、江戸時代以前にも使用されていたという記録が残っている」と指摘しながらも、「由来についてはつまびらかではない」との答弁書を1999年6月に出している。
結局、日の丸が国籍を示す旗として公的な性質を持ってくるのは、外国船の到来が相次いだ幕末期からだ。
まず1854年8月に江戸幕府は外国船と識別するために日の丸を日本の船舶旗(総船印)にすると布告した。これを受け1855年1月、薩摩藩(現鹿児島県)が幕府に献上した洋式軍艦「昇平丸」は日の丸を船尾に掲げて東京湾に入った。日の丸が船印になった第1号と言われる。
江戸幕府が滅んだ直後の1870年2月、明治新政府は日の丸を正式に国旗と認定する「太政官布告」を出した。ただしこの布告は「商船用国旗」の定めであり、国家全体のシンボルではなかった。
日の丸はその後、事実上の国旗として扱われてきたが、法的な裏付けを得たのは太政官布告から129年後、1999年8月に国旗国歌法が成立して以降のことだ。つまり法律上の日の丸は、まだ30年足らずの歴史しか持っていないことになる。
国旗の法制化が進まなかった理由の一つは、昭和期の軍国主義と日の丸を結びつける国民感情がくすぶっていたからだ。特に敗戦直後、連合国軍の占領当局が日の丸の掲揚を認めなかったことが、そのイメージを強くした。
東京オリンピックが開催された1964年の政府世論調査でも、日の丸から何を思い浮かべるかという質問に22%が「戦争のことを思い出す」と答えている。
一方、文部省(現文部科学省)は1950年代から教育現場に対して国旗の掲揚と国歌の斉唱を促し、1980年代以降は指導を一層強めた。その結果、指導に従わない教職員とのトラブルが全国各地で発生するようになる。
1999年2月には、広島県立世羅高校で教育委員会と教職員の板ばさみになった校長が卒業式の前日に自殺する痛ましい事件が起きた。小渕恵三内閣による1999年の国旗国歌法制定はこの事件が直接の契機になっている。
国旗国歌法の第1条は「国旗は、日章旗とする」という簡潔なもの。「日章旗」が日の丸の正式名称だ。法律には別記として寸法割合が記され、日章(赤丸)の位置は「縦横の3分の2」、日章の直径は「縦の5分の3」と定められている。日章の色は「紅色」とあるだけで、詳細は指定していない。
1964年東京オリンピックで参加国の国旗作りを担当した旗章学者の吹浦忠正さんは、笹川スポーツ財団のインタビューで当時の苦労をこう振り返っている。
「何が一番苦労したかというと、日の丸の『赤色』を決めることでした」「そこで日本色彩研究所と、資生堂研究所の協力を得て、500枚の日の丸を一般家庭からかき集めました」「(それを分析して)平均値を求め、それを日の丸の『赤色』とすることに決めたんです」
日の丸をめぐるエピソードは数知れない。
文 : ニッポンドットコム編集部
バナー写真:江戸末期(1856年)に幕府の命で建造された西洋式帆船の「旭日丸」(写真提供 : 船の科学館)
