北海道大学でワインを学び、味わう: 「ワイン教育研究センター」の爽やかな戦略
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ワイン核に国際大学院構想
日本の国立大学の構内に、12銘柄がグラスで楽しめるワインサーバーが置かれている。このミスマッチとも思える組み合わせが存在することを私が知ったのはフランス・ブルゴーニュでのことだった。
2025年2月、フランスの銘醸地ジュヴレ・シャンベルタン村で行われた、同村と北海道の余市町とのワイン産業を軸にした親善都市協定(通称「ワイン協定」)の締結式。シンポジウムで登壇したスピーカーのひとりに、北海道大学大学院農学硏究院の曾根輝雄教授(専門は微生物学)がいた。
曾根教授は北海道におけるワイン造りの概要について述べた後、自身がセンター長を務める「北海道ワイン教育研究センター」について話し、ワインサーバーの話題に触れたのだった。
それから1年後の26年3月、北大キャンパス内にある北海道ワイン教育研究センター(以下、センター)に曾根教授を訪ねた。
白壁にアイスグリーンの窓枠がすがすがしい印象を与えるレトロな平屋。「札幌農学校時代の1901年に昆虫学研究室として建てられたものです」と曾根さん。玄関から広々としたホールに入るとすぐにくだんのワインサーバーがあった。右手にはセミナーなどを行う講堂のような部屋、左手には分析機器の並ぶラボがある。

北海道ワイン教育研究センターのセンター長を務める曾根輝雄教授
センターの設立は22年4月。曾根教授によると、15年くらいから「ワイン」を核にした国際大学院の構想があったという。ワイン研究の世界最高峰の1つとして知られる米カリフォルニア大学デービス校のロジャー・ボールトン名誉教授(ワイン醸造学・化学)の協力も取り付け、17年に大学院がスタートした。
一方、北海道庁が15年から生産者を対象にした教育機関として「ワイン塾」を開講していた(16年に「ワインアカデミー」に改称)。このとき「微生物学の講義を」と曾根教授に白羽の矢が立ったことで、北海道大学と道、生産者のつながりが生まれた。
気候変動でプレゼンス高まる北海道
世界の有力ワイン産地の多くは、その域内にブドウ栽培・ワイン醸造に関するハイレベルの研究・教育機関を有している。中でも「トップ3」と目されているフランスのボルドー大学、米カリフォルニア大学デービス校、オーストラリアのアデレード大学は、現地の生産者と連携してワイン産業クラスターの一翼を成している。加えて、外部からもワイン造りや研究を志す人々を受け入れ、ワイン産業の進化・発展に貢献している。
これまで日本におけるワインの研究・教育をリードしてきたのは山梨大学だった。1947年に発酵研究所を開設。これが2000年に改組に伴いワイン科学教育センターとなった。 生命環境学部の地域食物科学科で「ワイン科学特別コース」を履修する学生は、修士課程まで6年間かけてみっちりブドウとワインに関する専門知識と技術を学ぶことができる。これまで長らく日本のワイン産業を引っ張ってきたのが勝沼町を中心とした山梨県であったことを考えると、当然のことだ。
また、近年では東京農業大学の醸造科学科で学び、ワイン造りへと向かう人もいる。元々は日本酒の酒蔵の後継者が酒造りを学ぶために設立された学科だが、微生物研究に秀でており、時代の要請で、バイオテクノロジーやワイン造りを志す学生が学ぶ場としての役割も果たす。
北海道におけるワイン造りの歴史も実は長く、1876(明治9)年に国策としてビール醸造と共に始まっている。しかし、ビールはサッポロビールとして今日まで残っているのに対し、ワインは1913年に一度、生産終了となった。当時は寒すぎてブドウが十分に熟さず、また日本人にはワインを飲む習慣が根付いていなかったためとされている 。

北海道大学の前身・札幌農学校時代には敷地内にブドウ畑が広がっていた(写真提供:北海道大学)
1963年、池田町ブドウ・ブドウ酒研究所(十勝ワイン)が誕生し、道内でのワインづくりが復活。70年代以降、企業系のワイナリーの設立が相次いだが、2000年時点で、道内のワイナリーは10軒以下だった。それが10年以降急増し、26年1月時点では8倍強の75軒になっている。この数字だけ見ても、北海道のワイン産業がいかに急成長しているかがわかるだろう。
日本全体のワイナリー数は約540軒で、北海道は山梨、長野両県に次いで3番目。3道県は伯仲しており、合計すると全国の半数を占める。気候変動の影響を考慮すると、今後は冷涼地である長野県と北海道の重要性が増し、質量ともに日本ワインをリードする存在になることが予想される。
「タダでワインが飲めるらしい」
話をセンター開設の経緯に戻そう。2021年、ワインの教育・研究拠点の設立を目的にした道と北大農学部との連携協定がスタートした。運営資金の寄付を募ると、コープさっぽろや家具大手のニトリホールディングス、ワイン関係では北海道ワイン(小樽市)、キャメルファームワイナリー(余市町)、ニキヒルズワイナリー(仁木町)などが手を挙げた。そうして3年間の期間限定、年間予算2000万円で「北海道ワインのヌーヴェルヴァーグ研究室」が立ち上がった。
22年には道の要請もあり、さらにスケールアップした「北海道ワイン教育研究センター」が設けられた。学内から微生物、土壌、栄養成分、農業経済、工学、メディアコミュニケーションなどのエキスパートをそろえた。

昆虫学教室の資料庫だった石造りの別棟も北海道ワイン教育研究センターの一部として使われている(國政崇撮影)
学外からも名うての講師を招いた。その中には山梨大学教授の奥田徹さん(北海道大学の客員教授を兼任)、日本固有のブドウ品種の研究で知られる日本醸造協会の後藤奈美さん、札幌の北東に広がる空知地方で10R(トアール)ワイナリーを経営する栽培醸造家ブルース・ガットラヴさん、十勝ワイン発案者の娘で、ワイン消費文化の形成に功績のある田辺由美さんらが含まれる。全15回のカリキュラムにはテイスティング講座もある。
当初は院生であれば誰もが聴講し、単位取得できた。次第に「面白い」「タダでワインが飲めるらしい」と評判になり、初年度には80人だった履修者数が3年目の24年度には200人を超えた(25年度は抽選制で150人)。
実験果樹園産ブドウで醸した“北大ワイン”
センター内のラボには、畳半分ほどの土壌サンプルが置かれている。北海道産ワインの海外での評価向上に大きく寄与した余市町のドメーヌ・タカヒコのブドウ畑で採取したものだ。垂直に薄く削った土壌をそのままパネル状にしてあり、表土から基底部までがつぶさに見てとれる。

北海道ワイン教育センターにあるドメーヌ・タカヒコの土壌サンプル
「途中の黒ずんだところは有機物が多く、それが特徴になっています」。そう説明する曾根教授は、同ワイナリーの醸造中のタンクからサンプルを取り、そこに含まれる微生物を分析したことがある。「他のワイナリーとは別種の乳酸菌が発酵過程で働いていることがわかりました。当然、それがワインのユニークな味わいにも影響しているはずです」。このようなリサーチの積み重ねが北海道産ワインのおいしさ、ユニークさの裏付けになっていくだろう。
余市町にはもともと北海道大学の実験果樹園があり、ブドウも10本ほど植わっていたが、曾根さんは大学院の準備をする過程でブドウの木を新植していった。現在、品種数16、総本数は470本になった。収穫の一部は町内の有力ワイナリーの1つ平川ワイナリーに醸造を委託し、“北大ワイン”としてボトル詰めしている。

北海道大の果樹園のブドウを余市町の平川ワイナリーで醸造したワイン
現段階でのセンターの存在意義は、さまざまな人材がワインを核に集い、学び、情報交換できるプラットホームということになりそうだ。曽根教授は「学生の多くはワインの知識をほとんど持っていません。私が期待するのは、このセンターの存在がきっかけになってワインに親しむ人が増え、それぞれの専門分野からワインを通して北海道を見て、こんなことができるのでは?とアイデアを出すようになってくれることです」と語る。念頭にあるのは深刻な人口減だ。北大生の6割が道外から来るが、卒業生の7割が道外に出ていく現実がある。
「ワイン造りは余市町以外にも、空知地方、函館・北斗エリア、さらにはこれまではブドウ栽培が困難とされてきた道東にまで広がっています。道内のおいしい食材とワイン、食とツーリズムをつなぐことができれば、札幌市内に集中しているツーリストを産地に連れ出すことができます。そうしたら新たな産業クラスターができて、それが若い人たちの受け皿になり、人口減に歯止めをかけられるでしょう」
遠い先には山梨大学のように、生産者を目指す人々が学べる学科を設けたい。そのためにもまずは地元に「受け皿」が欲しいと言うわけだ。

北海道ワイン教育研究センターのホールに据えられたワインサーバーとスタッフの説明を聞くツーリスト。“北大ワイン”もグラスで味わえる
センターに据えられたワインサーバーは一般の来訪者も利用できる。グラス1杯(35ミリリットル)がスタンダードの「リーズナブル」で600円、生産者の代表銘柄である「フラッグシップ」だと800円で飲める。銘柄は不定期で変わる。取材時にも、旅行中のカップルがスタッフにワインのことを尋ねながら、試飲して楽しむ姿が見られた。得てして閉鎖的で“お堅い”イメージが付きまとう学府という場所だが、ここには自由で軽やかな風が吹いているように感じた。
「実は、センター開設が決まった当時の農学部長が『お酒が飲める場所が欲しい』と語ったのがサーバー設置のきっかけになったのです」と曾根教授が秘蔵のエピソードを教えてくれた。曾根教授は「ワインがあると人が来る」という言葉を信じている。ケビン・コスナー主演の映画『フィールド・オブ・ドリームス』の有名なせりふ「If You build it, he will come(お前がそれをつくれば彼がやってくる)」が頭に浮かんだ。現段階ではワインの教育・研究機関としては山梨大学や東京農業大学に伍(ご)するべくもないが、新参こその伸びしろがありそうだし、北海道という土地の特性を生かした思い切った取り組みも可能だろう。センターの存在が北海道と日本ワインの未来を変える一助になり得るのか注視していきたい。
写真:署名無しは浮田泰幸撮影
バナー写真:北海道ワイン教育研究センター。築120年超の建物をリノベーションした(國政崇撮影)

