「対立」よりも「協調」を選択した沖縄県民 ―本土復帰後生まれの古謝玄太氏が知事に初当選
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過去最多得票での圧勝
沖縄県民が選んだのは、米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対し、日本政府との対決姿勢を取ってきた現職の玉城デニー氏(66)ではなく、政府と連携し沖縄を前へ進めようと訴えた新人で前那覇市副市長の古謝玄太氏(42)だった。
9月13日投開票の沖縄県知事選、事実上の一騎打ちは、玉城氏を14万票以上突き放し、古謝氏が42万3124票で圧勝した。

落選が確実な情勢となり、会場に集まった支持者にあいさつする玉城デニー氏=2026年9月13日、那覇市(時事)
沖縄の知事選挙は他の知事選と比べ全国的に高い関心を集める。沖縄県を構成する琉球列島は、中国の船舶や航空機が太平洋に出る際に「ふた」をするような形で弧状に広がる。米軍は長年、沖縄を「太平洋の要石」と呼び、戦略拠点として重視し、多くの軍事施設を置いている。また、台湾有事の懸念が高まる中、自衛隊も防衛力強化の動きを加速させており、沖縄は日米の防衛の最前線と言える。
一方、沖縄はかつて琉球王国という独立国だった歴史を持つ。太平洋戦争時の沖縄戦では、日米が激しい地上戦を繰り広げ、県民の4分の1が命を落としたといわれる。さらに戦後27年間、米軍統治下に置かれ、1972年の本土復帰後も広大な米軍基地が残る。こうした歴史的経緯から、県民の中には今でも日本政府に対し複雑な感情を持つ人も少なくない。沖縄の人々、県政と良好な関係を保てるかどうかは、日本の外交安保上、重要な意味を持つ。
中央の保守勢力が結束して古謝氏支援
外から見ると、沖縄には米軍基地に反対する革新勢力が多いというイメージを持たれがちだが、実は保守と革新はほぼきっ抗している。本土復帰後から前回までの知事選は、7対7と互角だった。
沖縄の米軍基地問題の大きな転機となったのが1995年の3米兵による少女暴行事件だ。痛ましい事件に県民の怒りが爆発し、大田昌秀知事(当時)は米軍基地用地使用手続きの署名を拒否し、混乱が広がった。事態を重く見た日米両政府は翌96年、市街地に位置し、世界で最も危険ともいわれる宜野湾市の普天間飛行場の返還に合意。その後、沖縄本島北部の名護市辺野古沖を埋め立て、飛行場を移設することが決まった。
2013年、仲井真弘多知事(当時)が反対の世論を押し切り、辺野古沖埋め立てを承認。翌14年の知事選では、保守の一部を糾合した「オール沖縄」勢力の翁長雄志氏が移設に反対、「イデオロギーより(沖縄の)アイデンティティー」と訴え、仲井真氏に圧勝した。しかし、翁長氏は18年に病死し、後継者として同年の知事選に勝利したのが玉城氏だった。
世論調査結果などから、今回の選挙は当初、玉城氏がややリードとみられていた。現職としての知名度はもちろん、もともとはラジオの人気DJとして知られ、親しみやすい人柄から根強いファンが多い。保守関係者からも「デニーさんに勝てる人はなかなかいない」との焦りの声が出ていた。
一方の「県民所得の倍増」を公約に掲げた古謝氏は総務官僚出身で堅物の印象。知名度は低く、42歳の若さもあり、経済界の重鎮から不安視する見方もあった。しかし、中央の保守勢力がこぞって支援に乗り出し、自民、日本維新の会、国民民主、参政、日本保守の各党と、公明党県本部が推薦。組織票をじわじわと固めていった。
潮目を変えた下地氏の出馬取りやめ
玉城氏は、過去最多の入域観光客数の達成や「誰一人取り残さない」福祉政策など実績をアピール。ただ、沖縄県には長年、県内で生じた利益が県外へ流出する「ザル経済」と呼ばれる課題がある。製造業はぜい弱な一方、観光産業には県外や海外からの参入が相次ぎ、利益が県外に流れ、沖縄に残らない構造だ。物価高騰の中、多くの県民の生活は苦しさを増している。
最大の公約だった普天間飛行場の辺野古移設阻止も、埋め立てを巡る国との訴訟にことごとく敗れ、手詰まり状態に。すでに広大な面積の埋め立てが進む中、県民の間に諦めの雰囲気が広がっていた。また、女子高生らが死亡した今年3月の辺野古沖での小型船転覆事故では、革新勢力の運航団体の責任が厳しく問われ、玉城陣営への逆風となり、先の読めない展開となっていった。

土砂が投入された埋め立て工事が進む沖縄県名護市辺野古沖=2026年6月撮影(時事)
潮目が大きく変わったのが、出馬に意欲を見せていた下地幹郎元衆院議員の立候補取りやめだ。保守分裂が玉城陣営に利することになると自民党本部が下地氏に働きかけ、告示直前に政策協定を結び、古謝氏への支持を取り付けた。
玉城陣営は、自民党本部の介入や県外からのSNSによる中傷を厳しく非難。「沖縄のことは沖縄が決める」と、沖縄の自己決定権を強調し、沖縄vs本土の対決の構図に持ち込み、結束を固めようとした。地元の方言を多用し、「沖縄の人々よ、立ち上がれ」と訴えた。
これに対して古謝氏は告示日、「沖縄を前へ」のスローガンに沿い、「停滞の県政を前進の県政に変える」と強調。「誰かのせいにして、今を諦めるのはもうやめよう」と玉城体制を批判し、県政の刷新を誓った。
政府との対立よりも経済活性化を
沖縄では1990年に当選した大田氏以来36年間、3選を果たした知事は出ておらず、「3選の壁」がある。今回も、2期8年の間、辺野古沖の埋め立てが止まらない中、県民世論は、政府との対決路線を続ける玉城体制の継続よりも、県政を刷新し、政府との協調によって苦境を打開しよういう古謝氏に大きく流れていった。
筆者は1994~98年に続いて2023年から那覇で勤務している。この間、街並みは大きく発展したが、それ以上に変わったと感じるのが沖縄の人々の意識だ。この25年間で安室奈美恵やSPEEDなど沖縄出身の多くの歌手が活躍し、NHKの連続テレビドラマ「ちゅらさん」の放映などで沖縄ブームも起きた。かつては沖縄の人々の本土に対するコンプレックスのようなものも感じることもあったが、今の特に若い世代は自信に満ちている。彼らにとっては、「政府との対立よりも協調によって実利を得て、前に進んでいこう」という古謝氏の姿勢の方が、しっくりくるのかもしれない。
普天間飛行場の辺野古移設は、海底に軟弱地盤が見つかったことにより、返還は36年1月以降と説明されている。古謝氏は移設を容認しており、その間埋め立て工事は着々と進んでいく見通しだ。米軍による深刻な事件・事故が起きれば、95年のように県民の怒りが爆発することも考えられるが、そうでなければ、日米の抑止力強化の動きは続いていくとみられる。
経済面では、所得2倍は容易ではないとしても、沖縄が持つポテンシャルの大きさは疑いない。政府も沖縄振興費を大幅に増額するとみられている。県経済の活性化が見込まれ、「ザル経済」をいかに克服するかが課題となる。42歳の若きリーダーの下で、新しい沖縄が動き出そうとしている。
バナー写真 : 当選確実の報を受け、笑顔の古謝玄太氏(手前左)=13日夜、那覇市(時事)