生鮮カツオ日本一の気仙沼港、味わうなら刺し身:漁船支え、350年の歴史

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2025年の記録的な不漁から一転、26年の気仙沼港(宮城県)はカツオの豊漁に沸いている。海外では缶詰などの加工品としても親しまれるが、日本では刺し身やたたきで旬を味わう。長年、生鮮カツオの水揚げ日本一を誇ってきた港町で、その食文化を訪ねた。

記録的不漁から一転、豊漁

戻りガツオの秋。早朝の魚市場に銀色に輝く魚体が次々と運び込まれる。ベルトコンベヤーの上を流れ、水産関係者が手際よく選別していく。

宮城県北東部、太平洋に面する気仙沼市。9月には1日数百トンのカツオが水揚げされる日もあり、前年の記録的な不漁から一転、港は活気を取り戻している。

気仙沼では、5月下旬から6月ごろの「初ガツオ」と、9月から11月ごろの「戻りガツオ」の年2回の旬がある(気仙沼市役所提供)
気仙沼では、5月下旬から6月ごろの「初ガツオ」と、9月から11月ごろの「戻りガツオ」の年2回の旬がある(気仙沼市役所提供)

カツオはマグロと同じサバ科の回遊魚だ。世界の熱帯・亜熱帯に広く分布し、英語でskipjack tunaと呼ばれ、欧米では主に缶詰などで売られている。2024年の冷凍を含む水揚げ量上位の港は1位焼津(静岡県)、2位枕崎(鹿児島県)、3位山川(同)、4位気仙沼(宮城県)の順だ。

日本周辺では春になると黒潮に乗って太平洋側近くを北上。プランクトンが豊富な三陸沖から北海道沖で脂肪を蓄え、秋には南下する。気仙沼漁港に近い三陸沖は良好な漁場で、初夏の「初ガツオ」、秋の「戻りガツオ」はともに、季節を感じさせる風物詩になっている。

気仙沼は長年、日本を代表する生鮮カツオの港として知られてきた。水揚げ量は2024年まで28年連続で日本一。しかし25年の生鮮カツオは前年比86%減の4372トンまで落ち込み、首位を千葉県の勝浦漁港に譲った。宮城県水産技術総合センターによると、日本近海へ北上する群れが少なかった。

約8年続いた黒潮の大蛇行が2025年4月に終息。黒潮の流路変化が漁場の環境に影響したとみられている。

26年は一転して状況が変わった。国立研究開発法人「水産研究・教育機構」がシーズン前、常磐・三陸沖へ来遊するカツオについて「前年を上回り、過去10年の平均並みの水準」と予測した通り、気仙沼漁港では水揚げが劇的に回復。報道によると生鮮カツオの水揚げ量は9月時点の累計で全国首位となり、2年ぶりの年間日本一への期待が高まる。

漁船を集める「陸」の力

2024年、気仙沼市魚市場のカツオの取扱量は約3万4000トン、金額で約104億円に上った。数量、金額とも、カツオは気仙沼市魚市場全体の5割ほどを占め、最も重要な魚種になっている。

気仙沼が日本有数のカツオ港に発展した背景には、三陸沖の豊かな漁場と天然の良港という地理的条件がある。加えて、仲買業者や魚問屋、冷蔵・冷凍、水産加工、運送、製氷、造船、船舶修理、燃料供給など漁船の操業を陸から支える関連産業が集まり、人材や施設も豊富で、水揚げしやすい環境が整っていることも重要だ。

充実した支援体制の象徴的存在として挙げられるのが、気仙沼の魚問屋「小野健商店」だ。魚の買い付けだけでなく、水揚げの手伝い、燃料や漁具、氷の補給、さらに船員の食料の手配など、漁船が入港時に必要とするさまざまな業務を担う。1916年の創業以来、紀州や高知など県外の漁船の入港を支えてきた。

小野寺健藏社長は「入港後のバックアップ体制が信頼され、漁師の方々に選ばれてきました」と話す。「船にけが人がいれば病院や医師を手配し、船の修理が必要なら造船所とつなぐ。『一生懸命サポートしてくれるから気仙沼で水揚げするよ』と言ってもらえることが、何よりうれしい」と目を細める。

魚問屋・小野健商店の社長・小野寺健藏さん(筆者撮影)
魚問屋・小野健商店の社長・小野寺健藏さん(筆者撮影)

乗組員の憩いの場もある。魚市場近くの「鶴亀の湯・鶴亀食堂」は早朝から営業し、長い航海を終えた漁師が風呂に入り、朝食を取れる。船と人を温かく受け入れてきた積み重ねこそが、全国のカツオ漁船に選ばれる港をつくった。

海と陸の信頼関係は大災害の際にも力を発揮した。11年3月の東日本大震災の津波で気仙沼の水産業は壊滅的な被害を受けたが、県外の漁船との関係は途切れなかった。小野寺さんは「信頼関係が変わらずあったことで、震災後の気仙沼の水産関係者は支えられてきた」と振り返る。

伝統の一本釣り漁

そもそも、気仙沼とカツオの関係は江戸時代前半までさかのぼる。

市関係者によると、1675(延宝3)年、紀州・三輪崎(現在の和歌山県新宮市)の人々が気仙沼を訪れ、「溜(た)め釣り漁」を伝えたとされる。生き餌をまいて魚群を寄せ、次々と釣り上げるこの手法がカツオ漁を発展させた。現在の一本釣り漁の源流もこの溜め釣り漁にある。

屋号「古舘家」で知られる旧家の当代、鈴木伸太郎さんは、カツオ漁の拠点として栄えた気仙沼市唐桑地域の伝承を話す。「紀州の漁師たちは太平洋沿岸を九州・沖縄から東北まで渡りながら、各地へ漁法を伝えていたという。溜め釣り漁が伝わる前は小舟による1回の出漁で十数匹を釣るのが精いっぱいだったが、溜め釣り漁の導入後は大型船で十数人が沖に出て、一気に数百匹を水揚げできるようになった」。

古舘家の祖先は紀州の名家の血を引いていたため、漁法を教えてもらえたとも考えられている。

江戸時代からの歴史を伝える「古舘鈴木家」の住まいで話す鈴木伸太郎さん(筆者撮影)
江戸時代からの歴史を伝える「古舘鈴木家」の住まいで話す鈴木伸太郎さん(筆者撮影)

気仙沼漁港を訪れる旅行者も脈々と受け継がれてきた漁業文化に触れることができる。魚市場には水揚げの様子を見学できるデッキがあり、魚市場の開場日には午前6時45分から予約制のガイドツアーもある。旬の時期なら、仲買人らが取引する活気ある港の朝を実感できる。

赤身のうま味ともっちり食感

カツオの食べ方として、炎で表面をあぶる「藁(わら)焼き」「たたき」が広く知られているが、気仙沼観光推進機構は「新鮮なうちに刺し身で」と勧める。鮮度の良い赤身は濃厚なうま味に加え、もっちりした弾力がある。ショウガやニンニク、ネギなどの薬味を添えたしょうゆダレをつけていただく。

気仙沼の和食店「宮登」では新鮮なカツオの刺し身を味わえる(宮登提供)
気仙沼の和食店「宮登」では新鮮なカツオの刺し身を味わえる(宮登提供)

「鶴亀の湯・鶴亀食堂」では、カツオの刺し身を西日本風の甘口しょうゆで提供している。高知や宮崎などを母港とする漁船を長く受け入れてきた気仙沼らしい、漁師たちが持ち込んだ食文化だ。神奈川県から気仙沼を訪れた50代の女性は「好物のマグロのお刺し身よりおいしい。こんなカツオは、気仙沼で初めて食べた」と興奮して話す。

地元の飲食店では、「レアカツ」「カツオだしのラーメン」などさまざまなメニューを開発。削りたての香り高いかつお節を食べられる朝食を名物にするホテルもある。

気仙沼市の大島にある「島の味処 こまつ」のレアかつお丼(島の味処 こまつ提供)
気仙沼市の大島にある「島の味処 こまつ」のレアかつお丼(島の味処 こまつ提供)

一本釣りのカツオをふんだんに使った「亀洋丸かつお食べ比べセット」(北かつまぐろ屋提供)
一本釣りのカツオをふんだんに使った「亀洋丸かつお食べ比べセット」(北かつまぐろ屋提供)

海の変化と向き合う

一方、気仙沼の水産業が抱える課題も多い。

宮城県北部鰹鮪漁業組合の菅原和昭専務理事は「燃料費や餌代、資材価格の高騰も重くのしかかっている」という。高齢化や担い手不足もある。

2025年の記録的な不漁は、気仙沼の主産業が不安定な海洋環境に左右されることもあらためて示した。気仙沼の船舶機器のコンサルティング会社代表の畠山茂さんは「漁獲量だけを追う時代から、利益を生み出す漁業へ発想転換の必要がある」と指摘し、「量を競うだけではなく、付加価値で勝負する漁業への転換が求められている」とも強調する。

気仙沼市は、昨年の溜め釣り漁伝来350周年を契機に、ブランド力向上に力を入れている。首都圏でのPR活動やイベントを通じ、生鮮カツオの産地としての認知度向上を図り、気仙沼ならではの味の魅力を発信し、観光との連携も進めている。

約350年前、紀州から伝わった新たな漁法がカツオ漁を発展させた。その後も全国から集まる漁船への支援体制を整備し、気仙沼は生鮮カツオ日本一の座へと上り詰めた。日本社会と海洋環境が変化に直面する今、気仙沼には新たな時代に対応する力が求められている。

2026年、生鮮カツオ水揚げ日本一への返り咲きが確実視されている気仙沼漁港(筆者撮影)
2026年、生鮮カツオ水揚げ日本一への返り咲きが確実視されている気仙沼漁港(筆者撮影)

バナー写真:気仙沼漁港で水揚げされたカツオ(気仙沼市役所提供)

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