今週の歴史を振り返る:This Week in Japanese History

今週の歴史を振り返る:1月27日~2月2日

1月27日

新燃岳が52年ぶりに噴火

2011(平成23)年 鹿児島・宮崎の両県にまたがる霧島連山の新燃岳(しんもえだけ)が52年ぶりに爆発的噴火を起こした。噴煙は主に南西方向に流れ、鹿児島県の霧島市、宮崎県の都城市、宮崎市などに大量の降灰、噴石をもたらした。人的被害はなかったが、航空・鉄道などの交通機関や農業・観光分野に大きなダメージを与えた。

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1月28日

第一次上海事変

1932(昭和7)年 日本と中国による軍事衝突「第一次上海事変」が勃発した。事変は、中国の抗日運動を抑え込むとともに満州国建設を懸念する列強の目をそらすため、日本側が企てた謀略がきっかけとされる。日本人の住む租界を警備する日本海軍陸戦隊が中国軍と戦闘。2月には日本が陸軍を投入する事態に発展したが、中国側の強い抵抗に遭い、5月には両国間で停戦協定が成立した。

世界初、南極からのテレビ生中継

1979(昭和54)年 NHKが世界初の南極からのテレビ生中継放送を行った。日本の南極観測活動の拠点である昭和基地に放送衛星の地上局を設置。8万キロ離れた日本の地上局と衛星回線でつなぎ、第19次越冬隊の活動風景などをお茶の間に届けた。

1月29日

日本の観測隊が南極上陸

1957(昭和32)年 日本の南極予備観測隊(後に「第1次南極観測隊」に呼称変更)が南極のオングル島に上陸した。同島を活動拠点に定めて施設を建て「昭和基地」と命名した。隊名に「予備」が付いていたのは、基地建設までが与えられた任務だったため。しかし、一部隊員が昭和基地に残留し越冬観測することを決め、西堀栄三郎副隊長を越冬隊長として敢行。越冬隊は翌年2月、第2次南極観測隊とともに帰還し、日本国民の歓呼に迎えられた。

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1月30日

日朝国交正常化交渉スタート

1991(平成3)年 北朝鮮・平壌で日朝国交正常化交渉本会議がスタート。2002年まで断続的に12回開催された。

1月31日

日本初の五つ子誕生

1976(昭和51)年 鹿児島市立病院で男児2人、女児3人の五つ子が誕生。五つ子が生まれる確率は4000万回の出産に一例ほどといわれるが、日本で無事出産し成長した例は初めて。

2月1日

藤井聡太棋士、初の中学生六段

2018(平成30)年 2016年12月に史上最年少の14歳でプロデビューした中学生棋士、藤井聡太四段(15)が名人戦順位戦のC級2組を9戦全勝し、中学生で初めて五段に昇段した。17日には朝日杯将棋オープン戦決勝で初優勝を飾り、初の中学生六段となった。

2月2日

日本航空、戦後最初の国際定期便

1954(昭和29)年 日本航空は東京(羽田空港) - ホノルル - サンフランシスコ線(DC-6B型機、36人乗り)を開設。戦後、日本の航空会社による最初の国際線定期便。当時はファーストクラスのみの客室で、ホノルルまでの運賃は片道515ドル(18万5400円)。飛行時間は、給油のための経由(ウェーキー島)時間を含め18時間以上だった。

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