今週の歴史を振り返る:This Week in Japanese History

今週の歴史を振り返る:3月2~8日

3月2日

中国残留日本人孤児、初来日

1981(昭和56)年 戦前、両親とともに中国に渡り、ソ連(ロシア)による旧満州(中国東北部)への侵攻などで帰国できなかった残留日本人孤児のうち47人が、肉親探しのため初めて日本を訪れた。このうち30人の身元が判明した。72年の日中国交回復を機に、在留孤児問題が注目されるようになり厚生省(現厚生労働省)が訪日調査に踏み切った。同省は訪日調査を99年まで30回実施した。

3月3日

昭和三陸地震発生

1933(昭和8)年 岩手県釜石町(現釜石市)の東方沖200キロの太平洋でマグニチュード8.1の地震が発生。最大震度は5。三陸海岸など東北地方の太平洋沿岸を巨大津波が襲い、岩手・宮城両県を中心に死者・行方不明者計3064人などの人的被害を出し、家屋の流出倒壊6837戸のほか、港湾施設や橋、道路などの公共施設が崩壊した。37年前の1896 (明治29) 年には明治三陸地震津波が起き、死者2万1953人を数えるなど、リアス海岸という地形要因により三陸地域ではたびたび巨大津波の被害を受けている。2011年3月11日の東日本大震災では「津波てんでんこ(自らの命を守るため、まず高台に避難)」という過去の教訓が十分には生かされなかったといわれる。

3月4日

高見山関が外国人初の関取

1967(昭和42)年 大相撲力士で米ハワイ州マウイ島出身の高見山が3月場所で十両に昇進することが決まった。64年3月場所の初土俵から3年で、外国人初の関取となった。新十両の同場所を10勝5敗で勝ち越した。72年7月場所では外国人力士で初めて優勝。最高番付関脇。日本国籍を取得し本名を渡辺大五郎と改めた。引退後東関部屋を開き、これも初の外国出身師匠。旧名「ジェシー」の愛称で親しまれた。

3月5日

徳川慶喜が江戸城明け渡しを決断

1868年(旧暦:慶応4年/明治元年2月12日) 江戸幕府第15代征夷大将軍徳川慶喜が幕臣勝海舟の献策を受け入れ江戸城明け渡しを決断。東征軍(新政府軍)に恭順の意を表するため、この日、江戸城を出て上野寛永寺に謹慎した。勝は幕府陸軍総裁として東征軍との交渉に当たることになり4月6日(旧暦:3月14日)、東征軍の事実上の総司令官である西郷隆盛と会談、江戸城無血開城で合意した。江戸での戦火は回避された。

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3月6日

『窓ぎわのトットちゃん』が発売

1981(昭和56)年 女優黒柳徹子さんの自伝的物語『窓ぎわのトットちゃん』が発売された。黒柳さん自身が経験した小学生時代を、主人公のトットちゃんに重ね合わせてつづった。表紙や挿絵は画家いわさきちひろさんが描いた。累計発行部数は単行本・文庫本合わせて800万部を超え、「戦後最大のベストセラー」と称される。世界35カ国で翻訳され、中国では2017年に1千万部を突破した。

3月7日

パナソニック創業

1918(大正7)年 松下幸之助が、勤めていた電力会社「大阪電灯」を退社し、配線器具などの製造販売を目的として、大阪市に松下電気器具製作所(現パナソニック)を創業。幸之助と妻むめの、義弟井植歳男の3人でスタートさせた。この時代、一般家庭には電灯一灯のみに電気が供給されていた。幸之助は、電灯とアイロンなどの電器器具を同時に使えるようにした「二股ソケット」を発売。低価格・高品質が評判となり大ヒット。家庭電器事業を軌道に乗せた。井植は1950(昭和25)年に独立し、三洋電機を設立した。

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3月8日

地下鉄日比谷線脱線事故で5 人死亡

2000(平成12)年 東京都目黒区の中目黒駅構内で、営団地下鉄(現東京メトロ)日比谷線の脱線事故が発生。5人が死亡、63人が負傷。営団地下鉄の脱線事故で死者が出たのは、これが初めて。日比谷線は中目黒駅で東急電鉄東横線、北千住駅で東武鉄道伊勢崎線が乗り入れる路線。事故は北千住発菊名行き下り電車の最後尾車両が脱線。反対方向から来た中目黒発竹ノ塚行き上り電車が脱線し、上り線路側にはみ出した車両に衝突して起きた。運輸省(現国土交通省)は、車輪がレールから外れて脱線したのが事故の一因とみて、脱線防止レールの設置を鉄道事業者に指示した。

バナー写真:日本に帰化し、渡辺大五郎の日本名を披露する高見山関(中央)=1980年6月3日(時事)

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