今週の歴史を振り返る:This Week in Japanese History

今週の歴史を振り返る:2020年5月4~10日

5月4日

三国干渉受諾を聖断

1894(明治27)年 日清戦争の講和条約(下関条約)で日本に割譲された遼東半島について、ロ独仏の三国が返還を勧告。この日、日本政府は明治天皇の聖断により、不当な要求である「三国干渉」の受諾を決めた。その代償として3千万テール(両)、邦貨換算4,000万円が支払われた。下関条約ですでに決まっていた賠償金2億両と合わせて3億6,000万円と日本の国家予算4年分に相当する巨費を手にした。ロシアは同半島南部を清国から租借し、対ロシア交戦論の導火線となった。後の日露戦争の勝利で遼東半島の租借権は日本に移り、大連を中心とするこの地域を大陸進出の足がかりとした。

5月5日

「子供の国」が開園

1965(昭和40)年 「国立こどもの国」が横浜市青葉区に開園。59(昭和34)年4月の皇太子と美智子さま(現上皇夫妻)のご結婚を記念して、全国から寄せられたお祝い金を基金に造られた。国有地100ヘクタールが米軍から返還されたのを受けて、国費をはじめ多くの民間企業や団体などの資金が投じられた。次世代を担う子どもの健全育成のための施設で、児童福祉法に基づく児童厚生施設。ミニSL、湖、ミニアスレチック、せせらぎ、つり橋、湖、牧場などさまざまなアウトドア活動ができる。

5月6日

プロ野球で初のセ・パ交流戦

2005(平成17)年 日本のプロ野球で初のセ・パ交流戦が開幕。パ・リーグはかねてセ・リーグとの交流戦を望んでいたが、セは放映権料収入を稼げる巨人との試合数が少なくなることを懸念して消極的だった。しかし、プロ野球の人気が低落するなか、改革策の一つとして導入に踏み切った。毎年5月後半から6月前半にかけて実施される。通算勝利数が多いリーグの1位から順位に応じて賞金が出る。リーグの勝敗に反映し、他リーグとの試合で調子を上げたり、逆に不調に落ち込んだりすることもある。DH(指名打者)制を採用するパは主催試合ではこれがメリットになるが、セの試合では投手も打席に立つ必要があるなど、両リーグの違いが勝敗に影響するのでペナントレースとは別の面白さがある。2020年は新型コロナウイルス流行の影響で、リーグ戦の開幕が延期されるため、交流戦は中止となった。

5月7日

世界のソニー、町工場として誕生

1946(昭和21)年 「世界のソニー」となる東京通信工業が資本金19万円、従業員約20人の小さな会社としてスタート。創業者の一人井深大は、この年1月の会社設立趣意書で「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達(かったつ)にして愉快なる理想工場の建設」と記した。戦時中、新兵器開発プロジェクトで井深と知り合った盛田昭夫が創業に加わった。井深が技術部門、盛田が営業部門を率いた。50年テープレコーダー、55年トランジスタラジオを商品化し事業を拡大した。58年、ブランド名の「ソニー」に社名変更した。

5月8日

八田与一が死去 台湾のやせ地を緑土に

1942(昭和17)年 台湾のダム建設で知られる土木技術者八田与一が殉死。台湾南西部の嘉南平野をかんがいする烏山頭(うさんとう)ダム、ダムに水を引き込むトンネル、平原を潤す水路の調査・設計・建設を指揮。20(大正9)年に着工したが、関東大震災による資金不足や爆発事故などで工事が遅れ、30(昭和5)年に完成した。この総合利水事業により、降雨が少なく干ばつに悩まされていた嘉南平野4500平方キロを、台湾屈指の穀倉地帯に変貌させた。日本からフィリピンに赴任するため乗船した船が米潜水艦の雷撃を受けて撃沈され、56年の人生を終えた。八田の功績は台湾の教科書にも載せられ、命日の5月8日には烏山頭ダムの近くで慰霊追悼式が行われている。

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5月9日

新型インフル、日本で初感染者

2009(平成21)年 カナダから帰国した大阪府の高校生2人と教諭1人が国内初の新型インフルエンザに感染していたことが、成田空港の検疫で判明。厚生労働省がこの日発表した。日本では10(平成22)年第13週までに推計2100万人が感染したとみられ、同年3月31日までに厚労省に報告された死亡者数は198人で、人口10万人に対する死亡率は他国に比べて極めて低かった。

5月10日

異例の280万部 『サラダ記念日』が発刊

1987(昭和62)年 俵万智の歌集『サラダ記念日』が発刊。「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日―一般には知られていなかった口語短歌が注目されるきっかけとなった。累計発行部数280万部と歌集としては異例のベストセラー。前年の86(昭和61)年『八月の朝』で第32回角川短歌賞を受賞した俵の初歌集ということで、角川書店から発売するはずだった。ところが、当時社長だった角川春樹が俳人であり、俳句や短歌の短詩詩集は売れないと反対。河出書房新社にベストセラーをさらわれてしまった。

バナー写真:ソニー創業者の井深大氏(右)と盛田昭夫氏=1967年(時事)

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