今週の歴史を振り返る:This Week in Japanese History

今週の歴史を振り返る:7月6~12日

7月6日

杉山愛、全英テニス複で優勝

2003(平成15)年 テニスのウィンブルドン選手権女子ダブルス決勝で杉山愛がキム・クライシュテルス(ベルギー)と組んでストレート勝ち。6月の全仏オープンに続く四大大会2連勝を果たし、00年以来3年ぶり2回目のダブルス世界ランキング1位に輝いた。日本人の全英優勝は1975年女子ダブルスの沢松和子以来、28年ぶりの快挙。

7月7日

「今太閤」田中角栄、首相に就任

1972(昭和47)年 田中角栄(1918~1993)が54歳の史上最年少(当時)で首相に就任した。札束が乱れ飛んだ自民党総裁選では福田赳夫ら3候補を破って総裁に。首相就任時は「今太閤」ともてはやされ、政権に就く直前に発刊された著書『日本列島改造論』は経済成長の夢を有権者に与えた。その一方で壮大な開発構想が土地投機をあおり、地価が急騰。73(同48)年10月の第四次中東戦争で第一次石油危機が起こり、やがて物不足や狂乱物価をもたらした。74(同49)年に田中金脈問題が追及され、年末に辞任を余儀なくされた。在任886日。

7月8日

永山則夫の死刑回避にNO:最高裁が極刑基準

1983(昭和58)年 永山則夫連続射殺事件の上告審判決公判で、最高裁第二小法廷は「死刑を回避した原判決は著しく正義に反する」として東京高裁の無期懲役判決を破棄し、審理を東京高裁に差し戻した。同小法廷はこの際、死刑適用基準としていわゆる「永山基準」を示した。同基準は①犯行の罪質②動機③態様、特に殺害の手段方法の執拗(しつよう)性・残虐性④結果の重大性、特に殺害された被害者の数―などを総合的に考慮して判断すべきだとした。永山は19歳だった68(昭和43)年に東京都内のホテルで警備員を射殺、その後京都などでも3人を射殺した。90(平成2)年の第2次上告審で死刑確定。

7月9日

ベネッセで顧客情報流失

2014(平成26)年 ベネッセホールディングスが最大2070万件の顧客情報が流出した可能性があると発表した。流出した情報は、「進研ゼミ」などの顧客の情報であり、具体的には子供や保護者の氏名、住所、電話番号、性別、生年月日など。7月19日、警視庁は、ベネッセのグループ企業、シンフォームに勤務していた派遣社員のエンジニアを逮捕。取り調べで情報を持ち出し、名簿業者に売却したことを認めた。被害件数は、その後の調べで3504万件に達することがわかった。

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7月10日

嘉納治五郎、体協立ち上げ

1911(明治44)年 大日本体育協会(現日本体育協会)が柔道創始者嘉納治五郎(1860~1938)の尽力により創立された。嘉納は「体育の振興体制が欧米に比べ劣っており、青少年の体格も劣弱」と日本の現状を憂い、体育振興機関としての体協設立をスポーツ関係者に呼び掛けた。当面の課題として、12(同45)年のストックホルム五輪への日本初参加を挙げ、自らが団長として代表団を率いた。嘉納はアジアで初めて国際オリンピック委員会 (IOC)委員を務め、40(昭和15)年の東京五輪誘致にも成功した。しかし、日中戦争の長期化などで開催を返上。幻の東京五輪となった。

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7月11日

原爆ドームの永久保存決定

1966(昭和41)年 広島市議会が7月市会本会議で「原爆ドーム保存の要望」を満場一致で決議した。原爆ドームは、過去の悲惨な記憶を呼び起こさせるとして、撤去論が一時高まった。劣化が進行しており、残すには補強工事が必要だった。しかし、被ばくし白血病で死亡した女子高校生の日記が公開されたのをきっかけに、保存を求める市民らの運動が始まり、市議会の保存決議が実現。全国から工事のための寄付金が集まり、これを資金にひび割れを防ぐ保存工事が行われた。その後も補修が繰り返されている。

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7月12日

宮崎監督の『もののけ姫』が封切り

1997(平成9)年 宮崎駿監督・スタジオジブリ制作の長編アニメーション映画『もののけ姫』が封切りされた。森を侵す人間と荒ぶる神々との闘いを、壮大なスケールで描いた長編アニメーション。興行収入193億円を記録し当時の日本映画の興収記録を更新した。アニメ作品として初めて日本アカデミー賞作品賞を受賞。「キネマ旬報」ベスト・テン第2位、同読者選出ベスト・テン第1位。

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