今週の歴史を振り返る:This Week in Japanese History

今週の歴史を振り返る:7月27日~8月2日

7月27日

ロッキード事件で田中角栄元首相逮捕

1976(昭和51)年 戦後最大の疑獄事件といわれたロッキード事件を捜査していた東京地検特捜部が田中角栄前首相を逮捕した。同事件は米ロッキード社が旅客機を全日空に、対潜哨戒機を自衛隊に売り込むため、30億円を超える資金を日本側に渡したとされる。資金は3つのルートで政官界実力者に流され、田中元首相は丸紅を通じて5億円を受け取ったとして、8月16日に受託収賄容疑で起訴された。一審東京地裁は83(同58)年に懲役 4年、追徴金 5億円の実刑判決を言い渡した。二審東京高裁は一審判決を支持し、元首相の控訴を棄却。田中元首相は最高裁上告後の93(平成5)年に死去し、公訴棄却となった。

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バルセロナ五輪 女子200平で岩崎選手が金メダル

1992(平成4)年 バルセロナ五輪の競泳女子200メートル平泳ぎで中学2年の岩崎恭子選手(14)が金メダルを獲得した。日本の五輪史上最年少の金メダリストとなり、この最年少記録は現在でも破られていない。五輪開幕前は世界記録と6秒も差があった。予選を2位で通過し、決勝ではゴール直前で世界記録保持者のノール(米国)を抜き、2分26秒65の五輪新記録で制した。試合後に答えた感想「今まで生きてきた中で一番幸せです」が話題になった。

7月28日

「ゴジラ」松井外野手、ヤンキースで引退式

2013(平成25)年 「ゴジラ」の愛称で米国の野球ファンから親しまれた松井秀喜外野手の引退式が、ヤンキースタジアムで行われた対レイズ戦の試合前に開催された。松井外野手はこの日、ニューヨーク・ヤンキースと1日限定のマイナー契約を結び、グラウンド上での引退セレモニーに登場。09(同21)年のワールドシリーズ制覇などで活躍したことをたたえられ、松井はヤンキースの一員として野球選手としての活躍を終えた。

7月29日

小泉人気で自民、参院選大勝

2001(平成13)年 第19回参院選が行われ、この年4月の自民党総裁選に勝利し、改革を旗印に政権の座に就いた小泉純一郎首相への期待が高まり、自民党が改選64議席を獲得した。非改選議席を合わせると公明党、保守党を含む与党が139議席を確保し参院247議席の安定多数を確保。選挙後は、新たな産業創出、民間や地方への権限・事業移譲による中央政府の行政改革、特殊法人見直しなど「聖域なき改革」を進めた。

自民、参院選で歴史的敗北 安倍首相退陣へ

2007(平成19)年 第21回参院選が行われ自民党が37議席と歴史的大敗を喫した。一方、民主党は60議席を獲得し、参院で第1党となった。郵政造反組復党問題や年金問題、相次ぐ閣僚の不祥事が重なり、第一次安倍晋三内閣への批判が自民から民主へのシフトを引き起こした。非改選議席を含めると参院では野党が137議席の安定多数を獲得し、衆院与党の政権運営が難しくなる「ねじれ国会」となった。安倍首相は9月に内閣総辞職を表明し、福田康夫氏が後任首相に就いた。

7月30日

全日空機と自衛隊機が衝突 162人犠牲

1971(昭和46)年 岩手県雫石町上空で全日空機と自衛隊機が空中衝突し、162人が死亡した。高速で飛行するジェット機同士の事故は、空の旅が本格化しつつあった日本の国民に衝撃を与えた。全日空機は千歳発羽田行きボーイング727型旅客機。訓練中だった航空自衛隊第1航空団松島派遣隊のF86F戦闘機と高度8500メートルで空中衝突した。旅客機は音速を超えるスピードで落下し、4600メートル付近で機体が空中分解し乗員7人、乗客155人は全員死亡した。自衛隊機のパイロット1人は自力でパラシュートを使い脱出して無事だった。

7月31日

「命のビザ」発給 ユダヤ人助けた杉原千畝氏が死去

1986(昭和61)年 ナチス・ドイツの迫害に苦しむユダヤ人に日本通過ビザを発給し亡命を助けたことで知られる元外交官の杉原千畝氏が死去。86歳。第2次世界大戦中の40(同15)年、リトアニアの日本領事館領事代理として赴任した杉原氏は、外務省の訓令に反してビザを発給し6千人のユダヤ人の命を救ったとされる。帰国後、「抗命」を責められ外務省から辞職を余儀なくされた。68(同43)年に「杉原ビザ」受給者の一人、在日イスラエル大使館参事官が杉原氏の所在をつきとめて再会。失職覚悟で行った人道的行為が世界で称賛された。日本政府により名誉回復が図られたのは、死去後の2000(平成12)年10月10日だった。

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8月1日

鉄人・金本 701試合連続フルイニング出場

2004(平成16)年 「鉄人」「アニキ」と呼ばれた阪神の金本知憲外野手が対巨人戦で701試合連続フルイニング出場の日本新記録を達成。7月29日の中日戦で左手首に死球を受け軟骨損傷。あわや記録ストップかと思われたが、痛みをこらえて出場し、30日の巨人戦では右手だけで安打を放った。広島時代の1999(同11)年7月21日の阪神戦でスタートし、この日に更新した日本記録は単なる一里塚。2010(同22)年4月17日まで1492試合フルイニング出場。この偉業は同年5月15日にギネス世界記録に認定された。

8月2日

アムステルダム五輪で織田が日本初の金、人見決死の銀

1928(昭和3)年 アムステルダム五輪で、織田幹雄が三段跳び決勝で15メートル21を出して優勝し、日本人で初めて金メダルに輝いた。同日行われた陸上女子800メートル決勝で人見絹枝が2分17秒6で2位となり、銀メダルを獲得。日本女子で初めて五輪に出場し、初のメダリストになった。人見は7月30日、これ一本に集中していた100メートルの準決勝で4位に終わり、決勝に進めなかった。800メートルは初のレース参加だったが、「手ぶらでは帰国できない」という思いだけで走った。

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湾岸戦争勃発 日本、国際貢献再考の契機に

1990(平成2)年 イラクがクウェートに軍事侵攻をして湾岸戦争が始まった。米国を中心とする多国籍軍に日本は総額130億ドルの資金支援を実行。しかし、欧米からは経済的な支援しかできない日本の「国際貢献」に批判の声が上がった。政府は一部野党の反対を押し切り、92(同4)年には国際平和協力法を成立させ、自衛隊の国連平和維持活動(PKO)参加に道を開いた。

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バナー写真:バルセロナ五輪の競泳女子200メートル平泳ぎ決勝で力泳する岩崎恭子選手(時事)

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