今週の歴史を振り返る:This Week in Japanese History

今週の歴史を振り返る:8月3~9日

8月3日

裁判員裁判の第1号が開廷

2009(平成21)年 日本で初めて裁判員制度を適用した裁判の初公判が東京地裁で行われた。殺人などの重大な刑事事件の第一審に市民が裁判員として参加。有罪か無罪か、有罪の場合の量刑について、裁判官と一緒に審理する制度。この日の裁判は、同年5月に隣人同士のトラブルで女性が殺害された事件。6人の裁判員が3人の裁判官と共に、法廷で証人や被告人への尋問、証拠調べなどを行い、6日に判決と4日間の日程で行われた。

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8月4日

日本初のビアホールが銀座に開店

1899(明治32)年 日本初のビアホール「恵比寿ビヤホール」が銀座の新橋際(現銀座八丁目)に開店した。れんが造り2階建ての建物の2階115平方メートルを間借りして開業。床はリノリウム張り、イスやテーブルはビールのたる材で作られ、ガラス製のジョッキで供された。1日の来客数は平均800人と繁盛し、遠くから馬車でやってくる人もいたという。

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8月5日

赤軍要求に服役犯「超法規」で釈放

1975(昭和50)年 クアラルンプールの米国大使館領事部とビルの同じ階にあるスウェーデン大使館を占拠し米総領事ら52人を人質に取ったクアラルンプール事件が4日に発生。犯人の日本赤軍から日本政府に、人質の解放と引き換えに拘置・服役中の左翼活動家の釈放を要求した。三木武夫内閣は5日、犯人の要求に応じ、「超法規的措置」で5人を釈放。政府が用意した日本航空機でクアラルンプールに移送させた。釈放された5人は赤軍メンバーと合流し、リビアに入国し同国政府に投降した。

8月6日

米軍、広島に原爆投下

1945(昭和20)年 マリアナ諸島テニアン島から飛来した米爆撃機B29「エノラ・ゲイ」号が午前8時15分、広島市に原子爆弾「リトルボーイ」1発を投下。人類史上初の核兵器による無差別攻撃が行われた。原爆は地上から約600メートルの空中で爆発。中心温度100万度の火の玉ができ1秒後に直径280メートルに達した。原爆のエネルギーは熱線や放射線、爆風に変わって街に襲いかかる。生命のあるもの、無機物を問わず全てのものを一瞬にして破壊した。熱線によるやけどや放射線による障害などで、年末までに14万人が死亡した(当時の広島市内の人口約35万人)。

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8月7日

初の宇宙飛行士3人選抜

1985(昭和60)年 宇宙開発事業団(現宇宙航空研究開発機構、JAXA)が、米国航空宇宙局(NASA)のスペースシャトルに搭乗する候補者3人を発表した。3人はいずれもスペースシャトルに滞在し、さまざまな実験や作業を行う科学技術者。初めて日本人宇宙飛行士で選ばれたのは北海道大工学部助教授の毛利衛氏、慶応大学医学部助手で心臓外科医の内藤千秋氏(結婚後向井姓に)、NASA研究員の土井隆雄氏。3氏とも、これまでの職業を離れ、「搭乗科学技術者」として多様な分野で研鑽(けんさん)を積み、宇宙での活動に必要な訓練を受ける長い助走期間に入った。搭乗第1号は毛利氏で92(平成4)年9月に宇宙に飛び立った。94(同6)年に向井氏、97(同9)年には土井氏も宇宙飛行士となった。

8月8日

札幌医大の和田教授、日本初の心臓移植

1968(昭和43)年 札幌医科大の和田寿郎教授(1922~2011)が日本初の心臓移植手術を行った。心臓を提供したドナーは、海で溺れた当時21歳の男子大学生。移植手術を受けたのは心臓弁膜症を患う当時18歳の男性。手術から83日後に男性は死亡した。大学生の脳死判定、男性の手術の緊急性などをめぐり疑惑が浮上。和田教授は告発されたが不起訴となった。

8月9日

細川連立政権が発足 自民一党支配に幕

1993(平成5)年 日本新党の細川護熙代表を首相とした多党連立政権が発足した。同年7月の衆院選で自由民主党が過半数を割り、日本社会党、新生党、公明党、日本新党、民社党、新党さきがけ、民主改革連合、社会民主連合の8党会派による連立が成立した。55(昭和30)年以来続いた自民党の一党支配体制が崩れた。

バナー写真:相生橋(あいおいばし)東詰の商工会議所屋上から見た、被爆した産業奨励館(現在の原爆ドーム)1945年9月撮影(時事)

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