今週の歴史を振り返る:This Week in Japanese History

今週の歴史を振り返る:8月10~16日

8月10日

PKO協力法が施行 人的国際貢献可能に

1992(平成4)年 国連平和維持活動(PKO)協力法が施行された。90(同2)年8月のイラクによるクウェート侵攻で始まった湾岸戦争の過程で、日本は資金・物品の協力に加え「人的な国際貢献」を行うべきだとの理解が国内で広く定着したことから、政府は「国際平和協力の法体制整備準備室」を設置し、本格的な法律作成作業に着手。国会審議を経て、92年6月PKO法が成立・公布、8月10日に施行された。同年9月、PKO法に基づく初めての業務として、第2次国連アンゴラ監視団に選挙監視要員を派遣。

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8月11日

反骨の記者桐生悠々が「関東防空大演習」を嘲笑

1933(昭和8)年 長野県紙「信濃毎日新聞」が主筆桐生悠々(1873~1941)の時局評論「関東防空大演習を嗤ふ(わらう)」を掲載。大日本帝国陸軍が8月9日から国民を動員し、関東地方防空大演習(夜間、灯火を消した状態で敵機の来襲に備える訓練)を実施。桐生は信毎11日付紙面で「敵爆撃機を関東の上空で迎え撃つということは、わが軍の敗北そのものである。仮に迎撃しても全機撃墜は無理で、撃ち漏らした敵機に爆弾を投下されれば、木造家屋が多い東京は焼き払われる。しかも、こうした空襲は何度も繰り返される可能性がある」と警告。同演習が無意味であると断じた。大真面目の訓練を嘲笑されたと受け取り、軍部や在郷軍人会が強く反発。桐生は退職を余儀なくされた。

8月12日

日航ジャンボ機、御巣鷹の尾根に墜落 520人犠牲

1985(昭和60)年 日本航空の羽田(東京)発伊丹(大阪)行きボーイング747SR型機(短距離路線専用ジャンボ機)が墜落事故を起こし、乗員乗客520人が死亡した。同機はJAL123便として18時、羽田を離陸した後、群馬・御巣鷹山の尾根に墜落。お盆の時期の夕刻出発便とあって、ほぼ満席での運航。乗員乗客524人のうち520人が死亡、生存者4人が救助された。この「日航ジャンボ機墜落事故」は単独機の事故として史上最多の犠牲者を出した。同機は78(同53)年に起こした事故の修理をボーイング社が行った際、後部圧力隔壁の修理ミスで同隔壁の金属疲労が蓄積。123便の飛行で隔壁が破断し、その破片が垂直尾翼を破壊。機体のコントロールが不能になり、墜落した。

8月13日

日の丸、君が代を法制化

1999(平成11)年 国旗及び国歌に関する法律(国旗国歌法)が公布・施行された。法制化にあたり政府側は、国旗の掲揚、国歌の斉唱を義務づける考えはないと答弁した。しかし実際には施行後、各地の教育現場で法律順守を求める指導が強まった。東京都教委は03(同15)年に徹底を求める通達を出し、04(同16)年春までに250人の教職員を処分した。神奈川県でも同年に教職員の起立徹底を通知。大阪府や広島県、福岡県などでは児童生徒の不起立の有無の確認を学校に求める動きが出た。

8月14日

北島、五輪平2種目で2連覇

2008(平成20)年 北京五輪男子200メートル平泳ぎ決勝で北島康介が優勝し金メダルを獲得。北島は11日の100メートル平泳ぎ決勝でも優勝し、アテネ大会に続き2種目で2連覇という偉業を達成した。タイムは2分07秒64で五輪記録を更新。6月のジャパン・オープンで自身がマークした世界記録には0秒13下回り、100メートルに続く「世界新での金メダル」は逃した。

8月15日

中曽根首相が靖国公式参拝

1985(昭和60)年 中曽根康弘首相が靖国神社に公式参拝。拝殿で「内閣総理大臣」と記帳し、公費で購入した生花を本殿に供えた。中国、韓国が強く反発した。次に靖国参拝を終戦記念日に行ったのは2006(平成18)年の小泉純一郎首相。小泉首相は01(同13)年に自民党総裁選で8月15日に靖国参拝を行うことを「公約」したが、同年は15日を避け、2日前倒しで13日に参拝するなど、05(同17)年まで15日の参拝は控えていた。

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村山談話を閣議決定し発表

1995(平成7)年 社会党所属の村山富市首相が「戦後50周年の終戦記念日にあたって」と題する声明を、閣議決定を経たうえで発表した。「村山談話」と呼ばれる。「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」との歴史認識を示し、謝罪した。

8月16日

フジヤマのトビウオ、米大会で世界新連発

1949(昭和24)年 競泳自由形選手の古橋広之進氏(1928~2009)がロサンゼルスの全米水上選手権大会に出場し1500メートル自由形決勝で18分19秒0の世界新記録を出し優勝した。自由形800メートル、同400メートルでも世界新で優勝し、戦争で打ちひしがれた日本人を勇気づけた。前年の48(同23)年に行われたロンドン五輪で日本はドイツと共に、第2次世界大戦の敗戦国として出場を認められなかった。49年に日本が国際水泳連盟に復帰し、古橋氏ら日本選手が北米大会に招待された。世界記録を連発する驚異のスイマーは米国で「フジヤマのトビウオ」と称賛され、日本でもそう呼ばれるようになった。

バナー写真:日航ジャンボ機の群馬県上野村御巣鷹山墜落事故現場。8月13日撮影(時事)

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