【4K動画】藩校・旧崇広堂―藩政改革にかける藩主の意気込み伝わる上杉鷹山の扁額:三重県伊賀市
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19世紀初頭に津藩10代藩主となった藤堂高兌(たかさわ)は、藩債の乱発で悪化した藩財政を10年以上にわたる改革で立て直し、藩校・有造館を開設して藩士の子弟教育に力を入れた中興の明主とされる。
旧崇広堂(きゅうすうこうどう、三重県伊賀市)は、伊賀や大和の領地に住む藩士子弟の教育のため、有造館の支校として1821年に建てられた。1854年の伊賀上野地震で創立当初の建物の多くが倒壊したが、72畳の講堂は地震に耐え、現代にその姿を残す。講堂正面の門に掲げられた扁額(へんがく、複製)には、大規模な藩政改革の実績があった米沢藩主・上杉鷹山(ようざん)の銘があり、藤堂高兌の人材育成にかける熱意が伝わってくる。
明治維新で藩校としての役割は終えたが、建物は村立・町立の小学校として活用され、1905年から80年間にわたって市立図書館として親しまれた。この額が掲げられた弁柄塗りの表門は、地元では“赤門”の愛称で呼ばれる。