「佐賀の空最高よ、戻っておいで」…コロナ禍のバルーン 亡きパイロット夫婦も大空へ

社会

  • 約40年の歴史を誇る佐賀インターナショナルバルーンフェスタ
  • 今年は中止になったが有志のパイロットが集まりバルーンを飛ばした
  • 11年前、不慮の災害で命を落とした夫婦も大空へ飛び立った

亡きパイロット夫婦へ…色とりどりのバルーンが秋空を彩る

約40年の歴史を誇る佐賀インターナショナルバルーンフェスタ。今年は新型コロナの影響で中止にったが、10月31日、11月1日には有志のパイロットが集まり、色とりどりのバルーンが秋空を彩った。そんなパイロットたちと同じように佐賀の空を愛し、11年前、不慮の災害で命を落とした夫婦も大空へ飛び立った。


この例年にないイベントに特別な思いで参加する男性の姿があった。増本嘉浩さんだ。

増本嘉浩さん:
みんなが笑顔で空見上げるってやっぱいいよなって思いますね。2人にも佐賀の空を満喫してねっていう風に言いたいですね


北九州市の井上義裕さん、水子さん夫妻。国内トップレベルのパイロットで佐賀のバルーンフェスタにも毎年エントリーしていた。


しかし、2009年7月、九州北部を襲った集中豪雨。この時、福岡県大野城市の九州自動車道で発生した土砂崩れに巻き込まれ、2人は帰らぬ人となってしまった。義裕さんは当時43歳、水子さんは40歳だった。


増本嘉浩さん:
ここです

ーーやっぱり思い出しますか?

増本嘉浩さん:
やっぱりもうここ通るときは常に思い出しますよね

2人と親交が深かった増本嘉浩さん(46)。5年ほど前に引退したが、かつては世界を代表するパイロットで、海外の大会などで義裕さんとチームを組むこともあった。


増本嘉浩さん:
私にとっては兄と姉でしたね。2人とも本当に自分にすごく優しく、時には厳しく接してくれて、相談にもいろいろ乗ってくれるし、本当に良い兄と姉でしたね

増本さんにとってかけがえのない存在だった2人。その日、向かっていたのは佐賀市で開かれるパイロットの総会だったという。当時、パイロット協会の副会長だった増本さんは、2人に連絡しなかったことを今でも悔やんでいる。

増本嘉浩さん:
うちのチームメンバーで北九州から来ている人たちいるんですよね。その人たちには“もう総会ないよ”“もう佐賀これだけ洪水だから危ないから来ないで”って電話したんですよ。でも井上さんたちには連絡していなかったんですよね。それがすごく悔やまれて、あの時一報入れておけば、もしかしたら、あの2人はそんなことにならなかったんじゃないかなってずっと悔やんでますよね

イベントの1週間前、増本さんは北九州市にある井上さん夫妻の墓を訪れていた。

増本嘉浩さん:
大体春先と秋口の2回来てますね。でも別にその堅苦しく参っているわけじゃないので、本当に遊びに来たっていう感じで。きっといないんですよここには。彼らは(笑)どうせどっか飛びに行っているんだろうなって思っているんで


増本嘉浩さん:
彼らのあの戒名“飛ぶ”っていう字が入っているんですよね。和尚さんが“飛ぶ”“翔く”って入れてくれたんで、やっぱりもうどこか、常にどこか飛び続けているんだろうなっていつも思っていますね。

増本嘉浩さん:
彼らにとってもですし、気球やっているパイロットにとって佐賀の空というのは、日本というより世界で一番崇高な場所だと思うんですよね。その中で何十万人の観客の前で、自分が好きなことやっているだけなんですけども、それを見てもらって、それに一喜一憂される。それで、また自分自身も一喜一憂して、それを共感できる気球仲間が周りに飛んでるという、やっぱり彼らとしてもずっと出続けたいなとは思っていたでしょうし。すばらしいところですよ佐賀の空って



40年を超えたその歴史の中で初の中止。そんな中でも有志のパイロットによって今年も佐賀の空にはバルーンが浮かんだ。その中には、義裕さんの忘れ形見のバルーンを飛ばすかつてのクルーの姿もあった。

中山孝さん:
昔ここから一緒に飛んだことがあったので、それを思い出しながら、一緒に行きます


増本さんのチームも、井上さん夫妻とともに約1時間半佐賀の空を巡った。


増本嘉浩さん:
本当にこの佐賀の大会、この気球っていうのが、人とのつながりでできているなというのを改めて思いましたし、この佐賀の空が40年以上続いていることのすばらしさ、この風景、やっぱり佐賀最高だなと思いました。やっぱり佐賀の空最高よ、戻っておいでという風に一緒に楽しもうという風に言いたいな



(サガテレビ)

(FNNプライムオンライン11月7日掲載。元記事はこちら

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