自らも被災した消防団員…流されたと思われた看板が海を越えて発見 【熊本発】

社会

  • 25人の命が奪われた球磨川の豪雨災害
  • 失われたと思われた消防団の看板が海を越え発見
  • 豪雨被害の凄まじさを伝えるために活動

7月の豪雨災害で球磨川に流された漂流物が10月、約300km離れた長崎・対馬市で発見された。

見つかったのは、団員が守り継いできた消防団の看板。
村に戻ってくるまでの不思議な縁をたどる。

死を覚悟…活動拠点を失った消防団員

球磨村消防団第4分団・松舟大吾分団長:
高台もなく屋根にも上がれない状況だった。みんなも死を覚悟して「早く救助が来ないかな」という感じで。消防団として、何と言葉をかけていいか分からない。ただ「雨が止んでくれ」それだけだった


村民の暮らしを守ってきた消防団ですら、死を覚悟した球磨川の氾濫。

7月の豪雨災害で25人の住民が亡くなった球磨村。
孤立状態が続く中、自らも被災した多くの消防団員が救助活動に奔走していた。


村内では6カ所の詰め所が被災。松舟さんが分団長を務める第4分団は、避難させたポンプ車も水没してしまった。拠点と機材を失った第4分団。詰め所再建の見通しも立たない中、10月上旬、村に驚きの一報が入った。

球磨村消防団第4分団・松舟大吾分団長:
信じられなかった。「こんなことがあるのか」と。歴代の団員が守ってこられた看板だったので

消防団の思いを乗せて戻ってきた看板


豪雨災害の混乱の中、団員たちも流されたことを忘れていたという詰め所の看板が見つかったという。

看板の第一発見者:
海岸を散策して帰ろうとしたら、長い木の板が海岸に流れ着いているのを見つけて、寄って行ったら「球磨村」と書いてあったので、これは水害で流されたのかもしれないと思った


球磨川から八代海を経て看板が流れ着いたのは、球磨村から直線で約300km離れた長崎・対馬市の三宇田浜海水浴場。
「球磨村」という文字を見て、熊本の被災地とピンときたという第一発見者は、たまたま家族旅行で訪れていたサガテレビ報道部の田村淳一郎デスク。

サガテレビ 報道部・田村淳一郎デスク:
八代海や東シナ海、対馬海峡を通って対馬の海岸に看板が流れ着いたのは、本当に奇跡だと思います


田村デスクは、これ以上流されないようにと、息子と2人で海水浴場の管理棟に看板を立てかけた。
さらに、看板発見の一報は、地元・対馬市の消防団へと入り、看板を球磨村に返すことになった。


対馬市消防団・築城慎一副団長:
(球磨村消防団の看板を)郵送で送る準備をしていたが、それは味気ないということで、気持ちがこもった手渡しができないかと

サガテレビ 報道部・田村淳一郎デスク:
対馬市消防団が球磨村に看板を返すということで、長崎・熊本・佐賀の消防団の3つのリレーができたと思います


そう、何を隠そう第一発見者の田村デスクは、現役の佐賀市消防団の団員でもある。

そして、11月2日、海を渡った第4分団の看板は、対馬から空を飛んで球磨村に返ってきた。


球磨村消防団第4分団・松舟大吾分団長:
潮の香りがする。今まで頑張ってきた団員へ、神様からの贈り物じゃないかなと驚いて、うれしい。普通ならそのままで終わってしまうのに、(発見者が)同じ消防団員で丁寧に置いていただいて本当にありがたかったです

潮の香りをまとって返ってきたのは、看板だけではなかった。
水害の記憶を継承するために保存されることを見越して、対馬市の消防団からは対馬産のヒノキ板と、団員からの見舞い金も贈られた。
いつか再建される詰め所に使ってほしいという、粋な贈り物。


災害を忘れないでほしい…後世に伝える活動

詰め所を案内する球磨村消防団第4分団・松舟大吾分団長:
ここに駐車場と倉庫と詰め所があった。大切な思い出を一瞬にして流し去った水害。


対馬市消防団・築城慎一副団長:
(球磨村を訪れて)常に警戒して、気持ちを引き締めていかなければいけないと改めて思いました

球磨村消防団第4分団・松舟大吾分団長:
早く新しい看板を掲げたい

対馬市消防団・安田壽和団長:
(水害を)忘れないように看板を置いておかないといけないですよね

球磨村消防団第4分団・松舟大吾分団長:
ずっと引き継いでいきたいと思います

村に還ってきた第4分団の看板は、豪雨の凄まじさを後世に伝えるために、村で保存され、球磨村と対馬市の消防団は災害研修などを行い、交流を始めることにしている。


(テレビ熊本)

(FNNプライムオンライン11月15日掲載。元記事はこちら

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