「産めないけれど育てたい」不妊治療、死産を経て養子を迎えた夫婦の決意

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  • 「親になりたい」子宮全摘後に夫へ伝えた妻の思い
  • 離婚もできたけれど「この人と家族を作りたかった」
  • パートナーが一番信頼できる存在でいることが大事

時代とともに多様化する夫婦の関係性を見つめる、特集「夫婦のカタチ」。今回は、10年以上もの不妊治療に取り組んだのち、特別養子縁組を決心した夫婦の姿に迫る。

話を聞いたのは、『産めないけれど育てたい。 不妊からの特別養子縁組へ』(KADOKAWA)の著者、不妊ピア・カウンセラーの池田麻里奈さん。池田さん夫妻は2019年、夫・紀行さん46歳、麻里奈さん44歳のときに生後5日の男の子を迎えた。

子宮全摘手術の直後に渡した「手紙」

池田麻里奈さん
池田麻里奈さん

麻里奈さんは不妊治療のさなかにあった約10年前から頭の片隅で特別養子縁組を考えるようになったという。国内外の制度や事例を調べるなかでその気持ちは高まったが、当時、紀行さんの「養子は、いまは考えられない」という意思は固かった。

しかし36歳のときには妊娠7ヵ月での死産を経験。悲しい別れを経て夫婦は徐々に2人での生活を充実させる方向へと舵を切り、42歳で不妊治療をやめた。

「30代後半から、このまま夫婦2人で生きていくのかもしれないなと思って、社会のなかでの自分の役割を探して児童養護施設で育った子どもたちのアフターケアや、乳児院などの子ども関連のボランティアを始めました。ボランティアにもやりがいを感じていたのですが、そこで子どもたちと関われば関わるほど、親という存在の大きさを知って。やっぱり自分も育てたい、親になりたい、という気持ちが湧いてきました」


同じく42歳のとき、麻里奈さんは持病の子宮腺筋症の悪化により子宮を全摘出することを決断した。子宮を失うことは、いよいよ妊娠・出産をあきらめること。手術を終えたその日、麻里奈さんは病室のベッドで紀行さんに一通の手紙を渡した。

「子宮はなくなったけど、子どもを育てたいという気持ちはこの先も抱えて生きていく。だから『養子縁組を考えてほしい』と手紙に書きました。夫はもう、びっくりしたと思います。でも『わかった』と。私の人生に『付き合うよ』って。

手紙には、これまで私も夫の人生にずっと付き合ってきた、ということも書きました。夫が起業すること、会社を大きくすること、それらは私もうれしかったし、ずっと協力して尊重してきたつもりでいて。いま私が人生で望むことは『親になる』こと、『子どもを育てる』ことなの、ということを伝えました」

もともと紀行さんが養子の決断を先延ばしにしていた背景には、「実子をあきらめること」と「血のつながらない子を一生愛し続けること」を覚悟する怖さがあったという。

しかし夫婦で踏み出すことが決まってからの展開は早かった。児童相談所で里親研修を受け、民間の養子縁組あっせん団体に登録し、手紙から1年後、2019年の冬に養子を迎えることが決まったのだ。

養親として。夫婦が大切にすること

生後5日。抱っこするにもおっかなビックリだった頃 (提供:池田麻里奈さん)
生後5日。抱っこするにもおっかなビックリだった頃 (提供:池田麻里奈さん)

新生児を我が家に迎えた喜びや、2時間おきのミルクで睡眠もままならず大変だった記憶。その後すくすくと育ち、1歳となったタイミングでのコロナ禍で、自粛生活により増えた家族の時間。たびたび壁にぶち当たりながらも夫婦で調整を重ね、助け合ってきたこれまでの日々。

親子のエピソード1つ1つを語る麻里奈さんと接していると、自然と「血のつながりがない」という事実を忘れてしまう。しかし、麻里奈さん自身は今の段階からすでに「産みのお母さん」がいることを、子どもに言って聞かせているという。

生後1ヵ月。「お母さん」に慣れてきた頃(提供:池田麻里奈さん)
生後1ヵ月。「お母さん」に慣れてきた頃(提供:池田麻里奈さん)

「私たちは養子と養親の関係で血のつながりがない事実は変わらないし、いつか課題になるかもしれない。それはきちんと向き合っていかなきゃいけない、忘れちゃいけないことです。

子どもの人生は、うちに来てから始まったわけじゃなくて、たった5日だとしてもその前からスタートしている。そこをつなげてあげないといけない。子どもは、よく『どうしてお父さんとお母さんは結婚したの』と聞いたりしますよね。これは親が結婚したところも自分のストーリーに入っているからなんです。それと同じなんじゃないかなと思って、丁寧に伝えていこうと思います」

生後8ヵ月。娘の命日には家族でお墓参り(提供:池田麻里奈さん)
生後8ヵ月。娘の命日には家族でお墓参り(提供:池田麻里奈さん)

この考えは、もちろん池田さん夫婦の意思だ。もともと登録した民間の養子縁組あっせん団体による研修で、子どものためになる「真実告知」の大切さを夫婦で学んだという。

「真実告知」とは、養子縁組している家庭が子どもに生い立ちを伝えることを指す。麻里奈さん(養母)は産みの親ではなく、産んでくれた人(実母)には事情があって、あなたを育てることができないこと。そして、養親である麻里奈さんと紀行さんは、あなたを育てることを心から望んでいること。それらを伝え、子どもと共に生い立ちを受け止めていく。

生後11ヵ月。パパと一緒にお昼寝(提供:池田麻里奈さん)
生後11ヵ月。パパと一緒にお昼寝(提供:池田麻里奈さん)

「ただ『あなたは養子だよ』とか、『血のつながりがないんだよ』とか、そういう伝え方が『真実告知』ではないですよね。そうじゃなくて、『あの日電話がかかってきて、あなたが来てくれるって聞いてね、もうすごくうれしくて最初は信じられなかったんだ。そのあと実のお母さんががんばって産んでくれて、わたしたちが病院に迎えに行ったんだよ。その日はすごく晴れていて富士山がきれいに見えたんだ』って。『あなたが来てくれて本当に幸せだよ。あなたは私たちの宝物だよ』って、肯定するように伝えていけたらと思っています」

「養親って、養子を迎えて終わり、じゃない。その後も学び続けなきゃいけないんです。時代によっても変わるでしょう。お付き合いいただいている他の養子・養親ファミリーからリアルな情報を得たり、いろんな家族のカタチがあるんだと知ることも大切にしています」

離婚はせず、「この夫婦」でやっていくと決めた

不妊治療から養子を迎えるまでの15年間を振り返ったとき、麻里奈さんは「離婚しよう、と思ったらすぐにでもできる状態だった」と語る。


「特に不妊治療をしていた当時は子どももおらず、家も買っていなかったので、次の日からすぐバラバラになれたと思うんです。何も引き止める要素はなかった。

特に治療を始めた最初の頃は不妊の原因も不明で、お互いに『じゃあ他の人とだったら?』という考えがまったくなかったわけじゃない。実際に周囲でも再婚した次の相手と幸せな暮らしを送っている方もいました。

ですが、それでもやっぱり私たちは、結婚したこの2人の間で、この関係を修復しながら進みたいと思ったんです。この人と家族を作りたい。この人が親になった姿を見たい、って」

(提供:池田麻里奈さん)
(提供:池田麻里奈さん)

だからこそ、池田さん夫婦は「お互いにとって、パートナーが一番信頼できる存在だという認識でいること」を大切にしているという。信頼し合うと決める強い意思に、夫婦であり続ける覚悟がにじむ。そして、その覚悟は子育てにもつながっていく。

「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」(KADOKAWA) 撮影/回里純子
「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」(KADOKAWA) 撮影/回里純子

「私たち夫婦がそれぞれ困ったことがあったとき、互いに相談して助け合う姿を、子どもにも見せていきたい。子どもって本当にいつも、私たちの仕草や、やりとりを観察しています。そして真似するんですよ。

この先、子ども自身が養子ということで課題や葛藤を抱えるかもしれません。その時に、本当に大変なことや困ったことは『家族には相談しよう』と思ってもらえるように。『なにかあったら、言ってね』って言葉で伝えてもダメなんです。そこは私たち夫婦がお互いにその姿を見せることで伝えていきたいと思いますね」

 

池田麻里奈
不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」主宰。28歳で結婚、30歳から10年以上不妊治療に取り組み、人工授精・体外受精、二度の流産と、死産を経験。子宮腺筋症のため子宮全摘。2019年1月、44歳で生後5日の養子を迎える。著書に『産めないけれど育てたい。 不妊からの特別養子縁組へ』(KADOKAWA)

『産めないけれど育てたい。 不妊からの特別養子縁組へ』(KADOKAWA)
『産めないけれど育てたい。 不妊からの特別養子縁組へ』(KADOKAWA)

 

取材・文=高木さおり(sand)

(FNNプライムオンライン11月29日掲載。元記事はこちら

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