「赤チン」最後の1社が製造終了…約70年作り続けた三栄製薬・社長に“思い”を聞いた

暮らし

「赤チン」国内唯一のメーカーが製造終了の日を迎えた

12月25日、昭和世代になじみのある消毒薬「赤チン」の製造が終了した。

赤チンの正式名称は「マーキュロクロム液」。

三栄製薬の「赤チン(マーキュロクロム液)」(提供:三栄製薬)
三栄製薬の「赤チン(マーキュロクロム液)」(提供:三栄製薬)

戦前は67社が製造していたというが、2019年5月、国内で製造しているメーカーはわずか1社になっていた。

それが、東京・世田谷区の「三栄製薬」。

三栄製薬の外観(提供:三栄製薬)
三栄製薬の外観(提供:三栄製薬)

創業時の1953年から「赤チン」を製造していたが、12月24日に最後の製造(中身の水溶液)、25日に最後の包装工程を行い、これをもって全ての製造が終了した。

製造終了に対し、「日本から赤チンが無くなるのが寂しい」「とても残念です」といった声が多数、寄せられているのだという。

なぜ、“「赤チン」最後の1社”は製造終了を決めたのか?
67年にわたって製造し続けてきた三栄製薬にとって「赤チン」とはどのような存在なのか?

三栄製薬の藤森博昭社長にお話を聞いた。

傷口にしみる「ヨーチン」に代わって日本中に流通した

――「赤チン」はどんな薬なのか、改めて教えて?

赤チンは1919年アメリカのジョンズ・ホプキンス大学の化学者などによって創製された殺菌消毒薬です。

日本には1939年に日本薬局方という薬の規格基準書に収載され、どの製薬会社でも製造ができる薬として製造されるようになりました。

原料は「マーキュロクロム末」という緑色した粉末です。

マーキュロクロム末(提供:三栄製薬)
マーキュロクロム末(提供:三栄製薬)

これを滅菌精製水に2%の濃度で溶かした、赤色の水溶液です。

赤チンが日本に入ってくるまでは、日本では「ヨーチン(ヨードチンキ)」が傷薬の主流でしたが、アルコールが入っていたので、傷口にしみたため、子供には嫌がられました。

チンの由来は、「チンキ」というアルコール製剤からきています。
赤チンにはアルコールは入っていませんが、ヨーチンの代わりとして、分かりやすく、赤チンの俗称で親しまれてきました。

赤チンの特徴はヨーチンと比べて傷口にしみないこと、効き目が穏やかで長時間持続することなどから、ヨーチンに代わり、広く日本中に流通しました。
 

昭和30年代後半から売り上げはうなぎのぼり

――三栄製薬で「赤チン」の製造を始めたのはいつ頃?

創業時の1953年(昭和28年)からになります。

創業当時(1953年)の「三栄製薬」渋谷工場。左が創業者で初代会長・藤森利美氏、右が創業者の妻で初代専務・藤森幸子氏。
創業当時(1953年)の「三栄製薬」渋谷工場。左が創業者で初代会長・藤森利美氏、右が創業者の妻で初代専務・藤森幸子氏。

――これまでに累計でどのぐらい売れた?

正確にはわかりませんが、累計では億本単位の数字になります。

――最も売れた年は?

昭和30年代(1955年~)の後半からは、売り上げはうなぎのぼりでした。
昭和40年代前半(1965年~)には、月に10万本を出荷していました。

売れた理由はベビーブームの頃の子ども達が元気に育ち、半ズボンで凸凹した砂利道を駆けっこしながら、しょっちゅう、外で遊んでいたからでしょうか。

三栄製薬の赤チン(マーキュロクロム液)のパッケージ。左が「昭和40年代まで」、真ん中が「昭和50年代~昭和の終わりまで」、右が「平成~令和」。
三栄製薬の赤チン(マーキュロクロム液)のパッケージ。左が「昭和40年代まで」、真ん中が「昭和50年代~昭和の終わりまで」、右が「平成~令和」。

製造終了を決めた理由

――「赤チン」を製造する最後の1社になったのは何年前?

2019年5月に日本薬局方(国が定めた医薬品の規格基準書)から赤チンが外れたのをきっかけに、弊社が最後のメーカーになりました。
パッケージ、ラベルなどの資材を作り直さなければならないので、残った他社は製造を終了したものと思われます。

弊社は資材を作り直してでも、最後まで製造し続けることにしました。
創業以来の愛着のある製品ですし、全国からの励ましのお手紙やお電話を長い間いただいてきましたので、作り直して製造を続けてきました
 

――そうした熱い思いがあるにもかかわらず、製造終了を決めたのはなぜ?

2017年8月に発効された国際条約(水銀を使用した製品の製造、輸出入を規制する国際条約)により、原料の輸入ができなくなるのをきっかけに終了を決めました。

赤チンの製造には水銀は出ませんが、原料(海外メーカーより輸入しています)を精製する過程で水銀が廃液中に出るのです。

売れなくなった理由は1971年に白チン(マキロン)が発売され、色が付かなく、しみない傷薬が人気になったこと、赤チンが1970年代に起こった水銀による環境汚染問題に絡んで、人体に良くないのでは、という風評被害が重なり、徐々に人気が落ちていきました。
 

――製造終了を決めてから、どのような声が寄せられている?

「日本から赤チンが無くなるのが寂しい」「とても残念です」「まとめて購入したいので、どこに売っているのか知りたいです」といった声が、電話、手紙、ご訪問の形で多数の方から、お寄せいただいています。
 

――製造終了を惜しむ声が寄せられている。これはなぜだと思う?

子どもの頃、親や祖父母にケガをした際に傷口に付けてもらった風景を、赤チンは思い出させてくれる薬だから、ではないでしょうか。

懐かしく優しい記憶と共に、赤チンは皆さんの記憶の中にずっと存在してきたから、だと私は思います。
 

三栄製薬にとって「赤チン」とは?

――最後に、三栄製薬にとって「赤チン」とは?

創業時からの製品なので、他の製品と比べて、とても愛着があります。なので今まで、70年近く、製造し続けることができました。

子どもの頃からいつもそこにあり、会社の成長と共に居続けてくれた大事な製品です。

最後の製造になってしまいましたが、本当に今まで多くの方々が赤チンを愛用していただき、また、熱烈なファンの方々のお手紙をいただきまして、心より感謝しています。
これからも幼い頃の思い出と共に、赤チンのことを思い出してくれたら、うれしいです。

私からは「今までありがとう、赤チン!」と言いたい気持ちです。

 

惜しむ声が寄せられる中、国内での製造終了の日を迎えた「赤チン」。社長の熱い思いとともに、我々も幼い頃の思い出を胸に「今までありがとう」と声をかけてあげたい。
 

(FNNプライムオンライン12月25日掲載。元記事はこちら

https://www.fnn.jp/

[© Fuji News Network, Inc. All rights reserved.]

FNNニュース