解散ではなく「活動停止」を決断 新潟県原爆被害者の会「運動の根っこは残したい」

社会

新潟県原爆被害者の会が活動を停止した。県内に住む被爆者などが各地で体験を語り、その悲惨さを伝える活動を行ってきたが、高齢化により運営が難しくなっていた。
風化させたくない。関係者の葛藤と願いを聞いた。

「悲惨な経験を誰にも味わわせたくない」

長岡市に住む西山謙介さん(73)は、2015年から新潟県原爆被害者の会の事務局長を務めてきた。

NST新潟総合テレビ 杉本一機キャスター:
新潟県原爆被害者の会として、どんな思いで活動をしてきた?

新潟県原爆被害者の会事務局長・西山謙介さん:
被爆者は、自分たちが経験した地獄のような悲惨な経験を、二度と誰にも味わわせたくないというのが基本。そのために何としても核兵器を廃絶したい。そのことが一番

新潟県原爆被害者の会事務局長・西山謙介さん
新潟県原爆被害者の会事務局長・西山謙介さん

1945年8月、アメリカ軍により広島と長崎に投下された原子爆弾で、20万人を超える人の命が奪われた。
この原爆をめぐっては、新潟市も投下の候補地となっていたほか、長岡市には模擬原爆が投下されるなど、県内も無縁ではない。

資料:長岡市
資料:長岡市

こうした中、新潟県原爆被害者の会は、県内に移り住んだ被爆者や家族が中心となり、1966年に結成され、各地で追悼の催しなどを開くとともに、その体験を語り伝えてきた。


新潟県原爆被害者の会事務局長・西山謙介さん:
父親が長岡に帰ってきてすぐに授かった子どもは、何日も生きずに死んだ。その後、私が生まれた

陸軍の一員だった父・喜代次さん(享年57)が広島で被爆し、その後戻った長岡市で生まれた、いわゆる被爆2世の西山さん。

被害者の会の活動に携わるようになったのは、喜代次さんが他界したのとほぼ同じ歳で、がんが見つかったあとだ。
「被爆の影響か…」との疑念とともに、命について意識したことがきっかけだった。


新潟県原爆被害者の会事務局長・西山謙介さん:
あの時、57歳で死んだ親父は若かったんだな、無念だったろうな。加えて、広島で亡くなられた人たちは、さぞかし無念だったろうなと。退院したら、そういう人たちのために何か頑張りたいなというのが、その時に湧いてきた

活動停止は「申し訳なく、つらい決断」

こうした関係者の思いのもと活動が続けられてきた被害者の会だが、年を経るとともに被爆者の高齢化が進み、ピーク時に約400人いた会員は、20人に届かない。
運営が難しくなる中、西山さんが下したのが、原爆投下から76年となる、2021年3月末での活動停止という決断だった。

西山さんが下した苦渋の決断
西山さんが下した苦渋の決断

NST新潟総合テレビ 杉本一機キャスター:
長い活動があったが、3月末で活動を停止する

新潟県原爆被害者の会事務局長・西山謙介さん:
核兵器廃絶が現実のものとなっていない段階で活動を停止するということは、被爆者に対して申し訳ないし、つらい決断だった

2016年、当時のアメリカ・オバマ大統領が広島を訪問した際には、西山さんも中継画面を見つめるなど、期待が膨らんだ核兵器廃絶への道。しかし…

菅義偉首相:
核兵器禁止条約については、署名する考えはない

菅義偉首相
菅義偉首相

2021年1月に発効した核兵器禁止条約に唯一の被爆国である日本は参加しないなど、“核なき世界”は、いまだ遠いままとなっている。

“風化させたくない”…会員共通の思い

こうした中での被害者の会の活動停止に、複雑な思いを抱える人がいる。
新潟市中央区に住む金田宏子さん(77)は、1歳の時に、母親とともに広島の自宅で被爆した。

金田宏子さん:
(母親が)たまたま私をトイレに行かせて、トイレの中に入った瞬間にドンと来たらしい。とにかく私をおんぶして表に出てみたら、外は焼け野原

1歳で被爆した金田宏子さん
1歳で被爆した金田宏子さん

被爆の記憶は残っていないが、新潟に移り住んだあと母・スエさんから、ことあるごとに当時の状況を聞かされていた。

スエさんが体験を記した手記

血だらけになって泣き叫ぶ人たち。建物が崩れ、ガレキの下でうごめいている人。焼けただれ生死をさまよっている人々。この世の地獄絵を見たような、言葉もなく、涙さえ出ませんでした

金田さんの母・スエさんの手記
金田さんの母・スエさんの手記

NST新潟総合テレビ 杉本一機キャスター:
想像するだけでも苦しくなってくる

金田宏子さん:
こうやって話をしていると、胸が苦しくなってくる

金田さん自身も、被爆者としての苦しみの中を生きてきた。

金田宏子さん:
しょっちゅう頭痛がひどくなり、貧血で倒れたり、学校の授業中に何回も倒れては、医務室に運ばれて。あのころは、「ピカドン、ピカドン」と言われて。今でいうと“いじめ”。つらい思いもした

「つらい思いをした」と話す金田宏子さん
「つらい思いをした」と話す金田宏子さん

こんな経験は、二度と誰にもさせてはいけない。被害者の会の一員として、さまざまな場で体験談を語り伝えてきた。
そんな中で迎えた活動停止に…

金田宏子さん:
若い人たちに、戦争とか核兵器という恐ろしさが分かってもらえなくなる時期が来るのではないか。残念ですよね


“戦争や原爆の悲惨さを風化させたくない”、それは、被害者の会の会員共通の思いだ。

“想像力を失わない”ことが平和への道に

事務局長だった西山さんは、実は当初、会を解散する方針だったが、考えた末に“活動停止”に変更した。

新潟県原爆被害者の会事務局長・西山謙介さん:
少なくなったとはいえ、その人(被爆者)たちを置き去りにすることはできない。運動の根っこは残しておきたい


今後もほかの平和団体の活動などに、できるかぎり協力していくという西山さん。被害者の会の活動が停止した今、私たちに望むこと、それは「想像力を失わないこと」だという。

新潟県原爆被害者の会事務局長・西山謙介さん:
一瞬で何十万の多くの人が殺されて、その後、また何十万の人が塗炭の苦しみの中生き抜いてきて、その人の人生や家族や、さまざまなものがその死にはある。想像力を失わないでほしい。それを忘れないことが平和につながる

(NST新潟総合テレビ)

(FNNプライムオンライン4月25日掲載。元記事はこちら

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