東京パラ 日本水泳界”愛されキャラ”のエースが手にした悲願の金メダル

スポーツ 東京2020

東京パラリンピックで、日本水泳界のエース・木村敬一選手が4大会目の出場にして、初めて金メダルを獲得した。大きなストライドでライバルたちを退け、1番でゴールすると、涙が溢れ出た。頂点に立つまでの戦いは、長い長い道のりだった。

100mバタフライ決勝で力泳する木村選手(手前)と富田選手(時事)
100mバタフライ決勝で力泳する木村選手(手前)と富田選手(時事)

2歳で視力を失った少年 いつしか”日本のエース”に

2歳の時、先天性の病気で視力を失った木村選手。走り回るのが大好きで、安全に運動できるようにと、両親が勧めたのが水泳だった。敬一少年はその魅力にのめり込んでいった。『出来る事がどんどん増えていく。息継ぎができるようになって、速く泳げるようになって、ずっとその先、その先の目標があり、達成していく事が面白かった』

幼少期の木村敬一選手(家族提供)
幼少期の木村敬一選手(家族提供)

水泳と出会い、努力することの楽しさを知った木村選手は、体をタップして「ターン」のタイミングを教えてくれる「タッパー」寺西真人さんなど、多くの人に支えられパラリンピックに3度に出場。前回のリオ大会では銀2つ、銅2つと、4つのメダルを獲得し、“日本のエース”と呼ばれるようになった。

水泳と出会った頃の木村敬一選手(家族提供)
水泳と出会った頃の木村敬一選手(家族提供)

リオで金メダル獲れず 単身アメリカへ武者修行

それでも、頂点には一歩届かず。その悔しさを東京大会で晴らしたいかと聞くと、『その時の悔しさは晴らせないと思う。そんなので(東京で金をとっても)晴らせるほどの浅い傷ではない。』とまで言い切った。つまり、リオでの悔しさは、忘れがたき悲痛な記憶なのだ。

しかし、その記憶を消し去ろうとはしなかった。『“せっかく負けた”わけだから、人生の糧にしていきたい。悲しさを忘れなくてもいいのかなと。』負けたことを“せっかく”の経験だと捉える精神力。そのバイタリティーこそが木村選手最大の武器かもしれない。飛躍を誓い、リオの金メダリストを育てたコーチの指導を受けるため、単身で武者修行に渡ったアメリカでも、その能力はいかんなく発揮された。

木村選手(左)を長年支え続けてきたタッパーの寺西さん(家族提供)
木村選手(左)を長年支え続けてきたタッパーの寺西さん(家族提供)

異国の地でも”愛されキャラ” 努力実り世界選手権で優勝

視覚障害を持つ人が異国の地で、競技に打ち込むのは容易なことではない。それでも、ユニークな言動と人懐っこい性格で人を惹きつける木村選手には、周りの人に“助けたい”と思わせてしまう不思議な魅力がある。同じ視覚障害クラスのライバルで親友でもある富田宇宙選手に言わせると『ついつい世話を焼きたくなるような、放っておけない愛されキャラ』。

アメリカでも車いすの仲間を手助けする代わりに、自らの目となってもらい、車で送迎してもらうなど、助け合いながら、見事に修行の日々を生き抜いた。努力が実り、2019年の世界選手権では本命種目「100mバタフライ」で優勝。東京大会での悲願の金メダルへ向け、確実に階段を登っているように見えた。

コロナ禍での『葛藤』 決意を決めた東京ドームの”歓声”

しかし、新型コロナウイルスの影響で、夢舞台は延期となり、帰国を余儀なくされると、アメリカのコーチから届く練習メニューをスマホの「読み上げ機能」で聞き、日々、トレーニングに勤しむことしかできなかった。さらに、東京大会を前に感染が拡大する状況を客観的に捉え『“どうしようもない”となってきたら“やるべきではない”』と、選手の立場では考えたくもないはずの“大会中止”の可能性にも、言及した。

2021年3月、プロ野球・巨人の開幕戦で始球式に臨む木村選手(時事)
2021年3月、プロ野球・巨人の開幕戦で始球式に臨む木村選手(時事)

それでも今年春、驚きのオファーが届いた。プロ野球・巨人の開幕戦での始球式という大役だった。『オファーが来た時は、ようやくか、と』そんな風に言って、記者を笑わせる。本番、東京ドームの大観衆が見つめるなか、「2020」の背番号をつけマウンドに立つと大きく振りかぶり、ノーバウンド投球を披露した。

スタンドから贈られた大きな拍手に、『スポーツっていいなって。人が感動することに飢えていてるんですよね。自分自身もきっとそうだったんですよ。』と、改めてスポーツのチカラに打ち震えた。今度は、自らがそのチカラを世界に伝える番。コロナ禍で開催される自国開催の舞台を前に『大会が盛り上がるために自国の選手が活躍するのは不可欠。金メダルをとることは“目標”でもあって“責務”』と、強い決意を口にした。

幾多の困難を乗り越え悲願の金メダル 恩師とライバルも祝福

リオ大会で味わった、忘れることのできない悔しさ。
慣れない異国での武者修行。
そして、未曽有のウイルスによる大会の延期。
いくつもの困難に立ち向かい、“日本のエース”として、絶対に金メダルをとると誓っていた。

タッパーの寺西さんに支えられ歓声に応える木村選手(左)(時事)
タッパーの寺西さんに支えられ歓声に応える木村選手(左)(時事)

迎えた“5年越しの夢舞台”本命種目の「100mバタフライ」決勝レース。スタートから勢いよく飛び出し先頭に立つと、追いすがるライバルたちにトップの座を譲ることなく1番でゴールした。長年支え続けてくれたタッパー・寺西さんから優勝を伝えられると、歓喜の雄叫びをあげ、隣のレーンを泳いだ富田選手と抱き合った。

日本勢でワンツーフィニッシュ。胸には、悲願の金メダル。会場中から聞こえてくる大きな拍手を耳にしながら表彰台に上ると、大粒の涙が溢れ出た。『国歌を聞くまでは笑っていられたんですが、僕にとって優勝するということは、すなわち国歌を聞けるということだったので、込み上げるものがありましたね。』

レース後、富田選手と抱き合う木村選手(左)(時事)
レース後、富田選手と抱き合う木村選手(左)(時事)

その姿を見た銀メダルの富田選手は『木村君が金メダルとってくれた事が本当に嬉しいし、やっぱり木村君には金メダルが似合うなって思いました。』と自分を上回ったライバルの勝利を喜んだ。まさに木村選手の人徳が為せる業 だった。

優勝インタビューで「幸せな大会だった。全部”味わえたな”と・・・」

最高の結果を手にした木村選手は、自分のことのように喜ぶ報道陣たちのインタビューに笑顔をほころばせた。

木村敬一選手:
寺西コーチから「金メダルおめでとう」と言って頂いてそこで知りました。全部が解放されたというか、すごく体が軽くなりました。幸せな大会でした。楽しいなという瞬間もあったし、緊張感を味わえたのも嬉しいし、勝てたことが何よりも嬉しいし、全部“味わえたな”と思います。

木村敬一選手:
国内の試合でも高いレベルで試合ができて、僕を世界一に押し上げてくれたのも(富田)宇宙さんの存在があったからだと思います。』

支えてくれる人たちへの感謝を忘れない木村選手。誰からも愛される日本のエースは、パラリンピック8つ目にして、ついに一番輝く色のメダルを手にした。

【フジテレビパラリンピック取材班 村山尊弘】

(FNNプライムオンライン9月4日掲載。元記事はこちら

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