「我々がどんな思いで25年間過ごしてきたか」上智大生殺害 被害者の姉が独白

社会

四半世紀も前の1996年9月9日、東京・葛飾区の閑静な住宅街で事件は起きた。雨が降る肌寒い一日だったという。上智大学の4年生だった小林順子さん(当時21)が何者かに殺害された上、自宅を放火された。念願だったアメリカ留学を2日後に控える中での突然の悲劇だった。

警視庁がこれまでに投入した捜査員は延べ11万人超(2021年9月9日現在)。しかし未だ犯人特定に至っていない。

「火の不始末でもしてしまったかな」が一転・・・

亡くなった小林順子さんの写真を手に取材に応じる姉・亜希子さん
亡くなった小林順子さんの写真を手に取材に応じる姉・亜希子さん

ある日突然、家族を奪われる苦しさ。さらに事件が25年も未解決であることの苦しさ。順子さんの3つ上の姉である亜希子さんが、25年越しに、初めてテレビの取材に応じてくれた。亜希子さんは当時働いていた病院で残業中に「自宅が火事になっている」という一報を聞いた。

急いで自宅に戻ると、多くの緊急車両や人混みが自宅を取り囲んでいた。そして母がいた近所の家で、「妹は病院に運ばれている。心肺蘇生をされている状態だ。」と聞かされた。既に母は泣き崩れていた。

小林順子さんは殺害され、自宅は放火された(1996年9月9日 東京・葛飾区)
小林順子さんは殺害され、自宅は放火された(1996年9月9日 東京・葛飾区)

状況も分からないまま始まった警察署での事情聴取は、およそ3時間にも及んだ。そこで亜希子さんは初めて妹が殺害された事実を知る。

亜希子さん:
いろんな刑事さんが同じことを何回も聞きに来るので何でだろうと思っていたら、パッと机の上の書類が見えた。そこに“刃物”“ガムテープ”って書いてあって。そこで初めて殺人事件だったんだと知りました。

「本当に亡くなっちゃったんだな…」

事情聴取が終わった後、警察署の霊安室で妹の亡骸と対面した。亜希子さんは今でも棺に入った順子さんの表情が忘れられないという。

亜希子さん:
棺の中の妹の顔を見て、無念というか残念というか。完全に目が閉じきっていない感じに見えて、それがすごく悲しげに見えた。安らかなとかそういう感じは一切受けなかったですね。

妹の順子さんと一緒に撮った写真(亜希子さん提供)
妹の順子さんと一緒に撮った写真(亜希子さん提供)

毎日、他愛もない日常を積み重ねてきた妹との突然の別れ。事件2日前には、「留学したらなかなか会えなくなるから」と順子さんに誘われて大学近くのイタリア料理店でランチをして、銀座で洋服も買った。

亜希子さん:
毎日一言二言でも交わす会話が「今日してない。」「あ、今日もしてない。」という積み重ねで、本当に妹が亡くなっちゃったんだなって。

なんで妹が殺されなくちゃならないんだろう。妹の死を受け入れるには時間がかかった。

「お姉さんが狙われたかも・・・」

小林順子さんは、アメリカ留学に向かう2日前に事件に巻き込まれた
小林順子さんは、アメリカ留学に向かう2日前に事件に巻き込まれた

それから半年ほどは、平日は仕事と夜間の学校を両立し、土日は連日、事情聴取を受けるため警察署に行く日々だった。気の休まるタイミングはなかった。

また、姉妹がよく似ていたことから、もしかしたら「お姉さんが狙われたかもしれない」と捜査員に言われて不安が襲った。夜道では、何度も後ろを振り返りながら帰宅し、寝る前には睡眠薬を飲んだ。周囲からは気を遣われ、母は食事も取れないくらい精神的に参っていたという。亜希子さんはそんな多忙な日々を懸命に走り抜けた。

大変な状況の中、亜希子さんを支えたものは何だったのか。それは、自分まで倒れてはいけないという使命感と、妹のために「犯人を捕まえたい」という揺るぎない強い思いだった。

亜希子さん:
弱いところは見せちゃいけないなって思っていました。正直何も考える余裕がなくて、一日一日が精一杯でした。でも、犯人を逮捕してもらうために知ってる限りのことを思い出さなきゃって。毎日それしか考えていなかったと思います。

普段の生活でも欠かさない日課 全ては犯人逮捕のため

その後、亜希子さんは事件当時から婚約していた夫と結婚し、2人の子宝にも恵まれた。子どもたちに事件のことを伝えたのは2人が小学生の時。ちょうどテレビでこの事件のニュースが流れていた。

実家の遺影と同じ写真が放送されるのを不思議に思った子どもたちに事実を伝えると、「許せない」という言葉とともに、「会ってみたかったな」と言われた。しかし、どうやっても妹を子どもたちに会わせる事は出来ない。何とも言い表せないような辛い気持ちになったという。

長女は現在21歳で都内の大学に通い、コロナ禍で実現しなかったが留学も考えていた。どうしても順子さんと重なる部分があり、21年という短い生涯を閉じた妹を思うと切なくなるという。特に関連付けて話すことはないが、我が子には夢があったら諦めず、志を大きく持って社会人になってほしいと願っているという。

亜希子さんは、今でも、事件当時のことを書き残したメモを見返すという。
亜希子さんは、今でも、事件当時のことを書き残したメモを見返すという。

亜希子さんは事件から25年が経った今でも日課のように行っていることがある。それは事件前日の出来事などを走り書きしたメモを見返すことだ。何か逮捕に繋がるような、ふとしたきっかけを思い出せないか、日々考えている。いま、犯人に対して何を思うのか・・言葉を紡ぎ出すように答えてくれた。

亜希子さん:
色々ありすぎて…。 犯人が本当に目の前に来ないと言葉が出てこないかもしれない。でも、我々家族が25年間どんな思いで過ごしてきたかということを考えたら、逃げ回ってないでちゃんと自首してほしい。同じ人間なら罪を償いなさいと言いたい。

「同じ経験はさせたくない」父が取った行動は

事件から25年を前に、父・賢二さんは、駅頭に立ち、情報提供を呼びかけた(9月7日 葛飾区・柴又駅)
事件から25年を前に、父・賢二さんは、駅頭に立ち、情報提供を呼びかけた(9月7日 葛飾区・柴又駅)

事件から沸き起こった強い思いを行動に移したのは父・賢二さんも同じだ。賢二さんは自身が会長を務める殺人事件被害者遺族の会「宙の会」を通じて、これまで精力的に活動を続けてきた。一連の活動が身を結び、2010年には改正刑事訴訟法が施行され、殺人など凶悪事件の時効を撤廃させるまでこぎつけている。それでもまだ賢二さんは歩みを止めていない。

現在求めているのは、被害者遺族への賠償金を一度国が肩代わりし、その後加害者へ請求する“代執行”制度の成立。現在も見舞金制度はあるものの、生活再建や全ての損害金額を補填できるような金額ではない。

父・賢二さんは、犯罪被害者として活動を続け、凶悪事件の時効撤廃を勝ち取った
父・賢二さんは、犯罪被害者として活動を続け、凶悪事件の時効撤廃を勝ち取った

一般にはあまり知られていないが、犯罪被害者遺族には金銭面でも厳しい“現実”が待ち受けている。賢二さんは火事で家が全焼した後、終の棲家としてマンションを購入し、50歳にして住宅ローンを組んだ。全焼した自宅の取り壊し費用も全額支払った。火災保険では到底賄えるような金額ではなかった。

最愛の娘を亡くしたことに加え、経済的な負担ものしかかった。自身が経験した辛い思いを他の被害者遺族にはさせたくない。この思いが今の活動を支える原動力になっている。

父・賢二さん:
やはり被害者の損害は莫大な金額に上るわけです。今後新たに発生するであろう被害者遺族が、そういった目に遭って欲しくない。急ぐべきは被害者家族の生活再建。国はとことん補償すべきという思いから活動しています。

亡き人と繋ぐ“形見”

順子さんから贈られたピアスは、亜希子さんにとって唯一の形見となった。
順子さんから贈られたピアスは、亜希子さんにとって唯一の形見となった。

愛する順子さんと家族を今も繋ぐもの。思い出の品として、2人がそれぞれ大切にしているものがある。亜希子さんが大切にしているのは、順子さんがホームステイ先の海外でお土産として買ってきたピアスだ。ほとんど全ての物が火災で焼けてしまった中、事件当日に身に着けていたため焼けずに残ったピアスは、妹の唯一の形見となった。今でも時々身に着けて亡き妹に思いを馳せているという。

順子さんの直筆署名がプリントされたテレホンカードを父・賢二さんは今も持ち歩いている。
順子さんの直筆署名がプリントされたテレホンカードを父・賢二さんは今も持ち歩いている。

父の賢二さんが持っているのは、事件直後に奥様と相談して作ったテレフォンカード。順子さんが好きだったコスモスの花があしらわれ、順子さんの直筆の署名がプリントされている。当時1000枚ほど作ったが、関係者などに配ったため現在はほとんど残っていない。賢二さんは今もこれを持ち歩いて、常に一緒にいるという思いを新たにしている。

「逃げ得は許さない」時効の壁を壊した遺族

父・賢二さんと姉・亜希子さんは事件から25年経った今も、犯人逮捕の希望を捨ててはいない。
父・賢二さんと姉・亜希子さんは事件から25年経った今も、犯人逮捕の希望を捨ててはいない。

事件発生から25年というタイミングで、順子さんの姉と父を、それぞれ取材したが、犯人に対しての思いを尋ねた時に共通する答えがあった。それは「逃げ得は許さない」ということ。当然ではあるが25年経っても遺族は犯人逮捕への希望を捨てていない。その希望に向けて、それぞれ自分に出来ることを確実に行っている。

前述の通り、「宙の会」の活動は、”時効撤廃”の大きな原動力となった。それによって、犯人は今も警察の捜査から逃げることは出来ず、常に追われ続ける立場のままだ。遺族の思いを真摯に受け止め、犯人には自身が犯した罪と向き合ってほしい。今でも遺族は闘い続けている。

(フジテレビ社会部・警視庁捜査一課担当 石竹爽馬)

(FNNプライムオンライン9月9日掲載。元記事はこちら

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