「沖縄県民の資産を守れ」本土復帰直前に極秘の「通貨確認」作戦 緊迫の"Xデー”から50年

社会 歴史

かつてアメリカ施政権下の沖縄で使われていた通貨「ドル」。ドルから円に切り替わる本土復帰を目前に控えた1971年、世界中を揺るがす大事件が…
「Xデー」は10月9日。沖縄の人々の資産を守るため、かつてない極秘作戦に挑んだ人々がいた。


戦後27年間 アメリカの統治下にあった沖縄

当時の通貨は、人々が買い物で使うのも、給料として支払われたのも「ドル」だった。
しかし本土復帰が1972年に決まり、通貨もドルから円に切り替わることになった。
金融機関を監督した琉球政府金融検査庁で、復帰対策を進めていたのが與座章健さん。


與座章健さん:
だいぶたくさんあった銀行を整理して、これで僕らのやるべき仕事は済んだと思ってたんですよ。そこへ突然通貨問題が発生して、振り回された。


復帰を目前に控えた1971年8月。世界中を騒然とさせたのが、「ドル・ショック」または「ニクソンショック」と呼ばれるアメリカのドル防衛策。
1ドル対360円の固定相場が崩れ、ドルの価値が急落。年末には308円となり、生活物資の8割を日本に頼る沖縄を直撃した。


すぐさまドルショックの対応に乗り出したのが、琉球政府の副主席を務めた宮里松正だった。

宮里松正氏(2000年取材):
早い話が、お年寄りのへそくりや子どもたちの小遣いまでが目減りするんですよと。実害が出てくる事なんだ


一体、ドルの価値はどこまで落ちるのか。復帰を待たずに通貨を早く円に切り替えるよう求める声は高まる一方だったが、アメリカ施政権下にあってそれは不可能なことだった。


沖縄県民の資産守る対応策「通価確認」

こうした中、宮里副主席に呼び出された金融検査庁主任検査官の與座章健さん。対応策として示されたのが「通貨確認」。
ある一定の時点で沖縄の人々が保有するドルを確認し、復帰の際に1ドル360円から下がった分を日本政府が補償するというもの。ただ通貨確認に向けた準備は、決して情報が漏れてはならないものだった。


與座章健さん:
これが事前にばれてしまうと、県民以外の非琉球人の金が入ってきてめちゃくちゃになってしまう。これが問題だったわけよね。秘密裏に、ある一定の時点でいくら持っているか確認すべきだ、こういう結論で。じゃあ、いつにするのかという話ですよ


1965年に沖縄を訪れた佐藤栄作総理。

佐藤栄作総理(1965年):
沖縄の祖国復帰が実現しない限り、我が国にとって戦後が終わっていないことをよく承知しております


戦後初となる総理大臣の沖縄訪問を推し進めたのが、政治家・山中貞則だった。
沖縄問題に関する全権を佐藤総理に任され、ドルショックが及ぼす沖縄への影響を理解していた。山中は琉球政府の宮里副主席と水面下で協議を重ね、「通貨確認」によって日本政府が補償することを約束した。
しかし、前例のない対応に難色を示す大蔵大臣。沖縄の人々の資産を守るため、山中は一歩も引かない。

山中貞則氏(2000年):
君、通貨は大蔵大臣の専管事項だよ。何言ってんの、俺は沖縄の問題についてはね、大蔵大臣の権限なんか全部総理から委任されているんでね、これは自分で実行すると。
そしたらね、人間捨て台詞ってのはあんまり簡単に言っちゃいけない。「勝手にしろ」って言ったんですよね。それで「勝手にする」と言ってから、電光石火に始めた。佐藤総理は、山中に任せてあるから、文句は言わなかったですね。


特命を受けたメンバーは準備に追われ…

沖縄の人々のドル資産を確かめるXデーは1971年10月9日に決定。この時点で、法的な裏付けなど準備にかけられる日数は10日を切っていた。
極秘作戦の特命を受けた與座章健さんはメンバーの加勢を求めた…


與座章健さん:
1日も早く作業しないと間に合いませんよ。早く7、8名一緒に出来る人をと。宮里副主席は、待て待て、與座君まだ早い。ずっと待たされてさ。結局ね、3日ぐらいしか無かったよ


與座さんに引き抜かれる形でアパートの一室に密かに集められた金融検査庁のメンバーたち。情報漏洩を徹底して防ぐため、家に帰ることも許されず、寝食を忘れて準備に追われた。


そして1971年の10月8日、琉球政府は突如、離島を含めた全ての金融機関の窓口を閉鎖。沖縄の人々に手持ちのドルを提示するよう通達した。
ついに迎えたXデーの10月9日。資産が守られることを知った人々は金融機関に殺到し、それこそへそくりから小遣いまで所有するドルを全て確認させたのだ。


電撃的な対応に寝耳に水だったのは時の最高権力者ランパート高等弁務官も同様で、怒り心頭、屋良主席を呼び出した。

ランパート高等弁務官
ランパート高等弁務官

宮里松正氏(2000年):
今度の通貨に関することは、私(ランパート高等弁務官)の権限を侵して勝手なことをした。一体これは、どうしてくれるのかと。屋良さんはすかさず、「これは宮里副主席と山中総理府長官が2人の間で決定したことだ。私は昨日の晩まで知らなかった」と。その報告を受けるまで、知らないのにしょうがないじゃないかと、その場を繕ったというんだ


1972年5月15日、沖縄が本土に復帰した時、ドルと円の交換比率は1ドル305円。55円の差額はすべて日本政府が補償し、通貨確認の成功で守られた沖縄の人々の資産の総額は294億円に上った。


宮里松正氏(2000年):
日本政府に山中総理府長官と佐藤総理がいなければね、恐らくこの通貨確認作戦は計画も出来なかったし、実施も出来なかったと思います。

與座章健さん:
奇跡的に成功しましたね。よくも作業ができたなという感じでしたよ。どこの世界にもない話なんですよね。沖縄という島国ですから。ある程度可能だったかもしれない。

1971年、その後の通貨体制を変えたドルショックから沖縄の人々の資産を守るため、通貨史上に類を見ない極秘作戦に挑んだ人々がいた。

(沖縄テレビ)

(FNNプライムオンライン10月24日掲載。元記事はこちら

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