当時を語る溶けた「原爆瓦」 アメリカ・アイダホ大学で開かれた「小さな原爆展」 【広島発】

国際・海外 社会

被爆者による被爆証言が9月に行われ、多くの人が集まったアメリカのアイダホ大学。被爆証言にあわせて学内で小さな原爆展が開かれた。そこには広島とアメリカ、「平和」と「復興」でつながる過去からの交流があった。

11年前に広島大学から寄贈

130年以上の歴史を誇る州立のアイダホ大学。


9月、キャンパス内で小さな原爆展が開かれ、広島の原爆資料館協力のもと被爆の実相が伝えられた。学生にとっては、初めて知ることばかり。

「ヒロシマを忘れない」小さな原爆展
「ヒロシマを忘れない」小さな原爆展

その会場で、併せて展示されていた「被爆瓦」。原爆の熱線を浴びた物言わぬ証人だが、これは11年前に広島大学から届いたもの。

送り主の広島大学の研究員 嘉陽礼文(かよう れいぶん)さん。20年間、原爆ドーム近くで被爆瓦を拾い続けている。


広島大学原爆瓦発送之会・嘉陽礼文会長:
これそうですね。原爆瓦溶けてますね。ここが熱線によって変色して細かく泡立って気泡の跡がいっぱい残っている。どれだけ熱かったでしょうかね。この熱線を受けた方たちは


沖縄出身の嘉陽さん、30年前、修学旅行で広島を訪れ、被爆者 山岡ミチコさんの被ばく証言の中で被爆瓦の存在を知った。



実際に探し、手に取った時の衝撃が忘れられず、広島大学に進学し被爆瓦を拾い続けてきた。


嘉陽礼文さん:
今、現代を生きている我々が感じ取らなければならないものは、ここで命を絶たれた人の気持ちはどうだったかを想像する必要がある


嘉陽さんは、12年前、その被爆瓦を世界の大学に送ろうと手紙を書いた。


嘉陽さんが各大学に送った手紙:
核兵器のもたらすものは地獄以外の何物でもありません。焼き殺された人々の苦しさ、痛み、あなたの国のやり方で祈ってあげてください


しかし、拒否をする大学は少なくなく、そこで嘉陽さんが手に取ったのは大学に残っていた1951年の古い資料。そこには、戦後、初代学長が世界の大学に送った手紙が残されていた。


広島復興のための寄付に応じる

初代学長の手紙:
世界最初の原子爆弾によって荒廃し焼野原になった大学を、みずみずしい緑色で埋めたいので協力をお願いしたい

広島大学初代学長(戦後)の世界各国の大学に出した手紙
広島大学初代学長(戦後)の世界各国の大学に出した手紙

これは復興を願い、お金や植物の種などの寄付に応じてくれた大学のリスト。

1951年当時、寄付に応じた大学のリスト
1951年当時、寄付に応じた大学のリスト

各大学の支援は、学内や広島県内各地への植樹につながり、焼野原は緑色に変わっていった。


その木々は、70年以上が経った今もキャンパスで緑を茂らせている。


嘉陽さんは、復興を支えてくれた大学なら被爆瓦の訴えに耳を傾けてくれるのではないかと考えた。そのひとつがアイダホ大学だ。
当時、3ドルの寄付と種子、そして本を寄付していた。


アイダホ大学の図書館には、2つの大学の2度に渡る交流が、大切に保管され、今回、原爆展の展示につながった。


「被爆瓦を通して伝える」

アイダホ大学図書館司書・ケルシー・ケルスティングラークさん:
私たちは広島大学へ橋渡しをした数少ない大学の一つです。


ケルシー・ケルスティングラークさん:
アイダホ大学にとって本当に誇りです。原爆投下は別の時代や場所でおこったのではなく、我々とも深いつながりがあり、記憶すべき世界的な出来事であると学生に伝える手段としてこれらを使っている。紛争の後にどう平和を築くことができるかその例を学生に示すことも重要と考えている


アイダホ大・学生A:
この石を見ると、多くの人が命を落とした経験がそこにあることがわかる。もちろん私はその場にいなかったけれど、そこにいたかのように惨状を共有できる


アイダホ大・学生B:
私はまだ圧倒されている。広島で起こったことを繰り返してはいけない


原爆展での被爆瓦展示を知った嘉陽さんは…

嘉陽礼文さん:
すごくうれしかったです。一番重要なことはやめないこと。体が動く限りは必ずつづけていきたいと思っています


復興と平和その礎にあるのは、国と国ではなく人と人の交流だ。
今を生きる私たちに課されているのは、被爆証言を受け継ぎ伝えるともに、被爆瓦のような被爆の痕跡を残す物によって、当時の惨状を伝え、後世へ受け継ぐことと言える。

(テレビ新広島)

(FNNプライムオンライン11月6日掲載。元記事はこちら

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