突然娘と会えなくなって45年…横田早紀江さん「表現しようがないほどのむなしさ」【新潟発】

社会

横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されて11月15日で45年。母・早紀江さんは、この45年間、娘が忽然と消えた苦しみ、娘の居場所が分かっても取り戻せない苦しみ、2つの苦しみを背負ってきた。

下校中に忽然と姿を消した横田めぐみさん

めぐみさんの母 横田早紀江さん:
大事なものが煙のように近くで消えてしまったままで、フラフラになって海辺を歩き回って、「もう死んだほうがいい」と、いつも思うほど落ち込んで。そういう時期を過ごした


当時中学1年生だった横田めぐみさんが下校途中に姿を消した1977年11月15日。この25年後、両親は消息を絶った通学路を歩き、最愛の娘が帰らなかった日のことを思い起こしていた。

横田めぐみさん
横田めぐみさん

めぐみさんの父 横田滋さん(2002年):
今まで、めぐみがそんなに遅くなったことは1回もなかった。何か事件に巻き込まれたにしても、今晩中かあした中には帰ってくると思っていた


めぐみさんの母 横田早紀江さん:
何回歩いたか分からないし、自転車で何回泣きながら走ったか分からない


1カ月で3000人が捜索に当たったが、娘の居場所も、生きているかさえも手がかりを得ることはできなかった。


めぐみさんの母 横田早紀江さん:
お父さんもお風呂で泣いていたみたいだし、私も夜分、布団に頭を突っ込んで泣いたり、みんながいないときに畳をかきむしって大声で泣いていた


早紀江さんの心支えた絵画 

この頃の早紀江さんを支えたのは、めぐみさんがいなくなった後に始めた絵画だった。

めぐみさんの母 横田早紀江さん:
港の絵はこれ。小さいですけどね

早紀江さんが描いた港の絵
早紀江さんが描いた港の絵

めぐみさんがいなくなった翌年、新潟市郊外の海を描いた一枚。早紀江さんには「出せない色」があった。

めぐみさんの母 横田早紀江さん:
普通の海は、あのときの青い海はおどろおどろしくて悲しい。そのときにいなくなったから、それはもう嫌。描きたくない。だけど、夕方の海はきれだなと思って


絵を描くことで、「壊れそうになる心を何とか保ち続けた」と話す早紀江さん。

めぐみさんの母 横田早紀江さん:
描きながら、泣きっぱなしのときもある。めぐみちゃんの絵、ぎゃーって描き殴って、またやり直して、それは複雑な言いようのない心境。でも、本当に絵を描いていてよかったと思う


「国にはもっと期待していた」

娘の「ただいま」が聞けないまま20年が過ぎた1997年。状況が大きく変わる。北朝鮮に拉致された事実が明らかになってきたのだ。

めぐみさんの母 横田早紀江さん:
「北朝鮮に拉致されたんだ。そこにいるんだ」と分かったときは、本当にびっくりした。生きていたんだということが、まず、本当に天にも昇る喜び。娘が生きていると分かった安堵感


しかし、ここから北朝鮮にいる娘を取り返すことができないという新たな苦しみが始まる。


めぐみさんの母 横田早紀江さん:
どんどん月日だけが経って、何も分からない。相変わらず声も聞こえない。どんなふうになっているかも分からない。どこにいるかも分からない。すぐ隣の国にいるのに、なんで日本は動かないんだろう


政府に、国民に、身を粉にして娘の救出を訴え続けた25年間。早紀江さんは拉致問題が「置き去りにされている」と訴える。

めぐみさんの母 横田早紀江さん:
「日本の国ってこんなだったのかな」と。もっと期待をしていたし、もっと強い人たちがたくさんいるはずだと思っていた。「45年経ってどう思いますか?」と言われても、表現のしようがないほどのむなしさ。むなしい


解決への道筋さえ示されない国の「最重要課題」、拉致問題。母は娘を奪われ、45年が経った今日も娘の健康だけを祈っている。


めぐみさんの母 横田早紀江さん:
めぐみに対しては、「とにかく病気にならないでください」と。「元気でいれば、必ず道が開けるから」と


(NST新潟総合テレビ)

(FNNプライムオンライン11月15日掲載。元記事はこちら

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