失わなかった“日本人の誇り” 日本復帰70年の奄美 IMALUさんと復帰の足跡をたどる【鹿児島発】

社会

鹿児島・奄美群島は戦後8年間、アメリカの支配下に置かれた歴史を持つ。アメリカの統治が終わったのが1953年で、2023年は奄美が日本に復帰して70年ということになる。その頃の人々の暮らしや歴史が今、どう受け継がれているのか?

明石家さんまさんと大竹しのぶさんの娘で、東京と奄美で2拠点生活をしているIMALUさんと、復帰の足跡をたどった。

語り部が伝える「当時の奄美群島」

タレントのIMALUさんは、2022年から東京と奄美での2拠点生活を始めた。


IMALUさん:
人も穏やかでご飯もおいしいし、自然もいっぱいあって、好きなところはいっぱいある。奄美のためになることは、いずれできたらいいなと思っている。まずは島のことを知ることかなと


IMALUさんには、会いたい人がいた。石神京子さん(84)、奄美群島がアメリカだった時を知る1人だ。今は語り部として、当時の復帰運動を伝えている。


IMALUさん:
(アメリカの統治下では)毎日どんな生活だったんですか?

石神京子さん:
やっぱりひもじいわけですよね学校に行っても。どの家も食べ物を探して歩いていた


1945年に終戦を迎えた日本。その翌年、奄美大島から与論島までの奄美群島は、沖縄とともにアメリカの支配下に置かれた。日本との往来は原則禁止され、物資も入らず、人々は自給自足の貧しい生活を強いられた。

石神京子さん:
ソテツの芯でデンプンを取って、おかゆにしていた。ご飯を食べるような余裕はなかった。米もなかったですからね


現存する当時の映像からは、授業が英語で行われていたことがわかる。そんな状況でも、奄美の人たちから失われなかったのは、日本人としての誇りだった。

石神京子さん:
アメリカが、日の丸も出したらいかんと。でも私たちは日本民族ですと。アメリカにはなりたくない


この熱い思いは1人、また1人と広がり、日本復帰に向けた大きな力へと変わっていく。

今も残る“復帰”願った場所

次にIMALUさんが訪れたのは、名瀬小学校。
当時、名瀬小学校で行われた復帰を訴える集会には1万人が集まり、すさまじい熱気だったという。演説のステージとなった石段は、当時のまま残されている。


IMALUさん:
復帰に向けて頑張っていこうと、心を一つにしていった場所。当時のまま残っているのはすごいですよね


そして、復帰運動のリーダー・泉芳朗(いずみ・ほうろう)は、奄美市の高千穂神社で5日間の断食を行い、命がけで復帰を願った。神社には子どもから大人まで大勢がつめかけて断食を後押し、奄美が一丸となっていった。

そして、終戦から8年後の1953年12月25日。奄美は、ついに日本への復帰を勝ち取った。

IMALUさん:
復帰が決まった時、当時はどんな気持ちでしたか?

石神京子さん:
身も心も安心して日本に帰ることができた。本当に8年間、日の丸を恋い焦がれていた


70年の時を超え…若い世代がつなぐ思い

奄美が日本に復帰してから、2023年で70年。先人が残した思いを今、若い世代がつないでいる。名瀬小学校では毎朝、児童が石段の上に立ち、声をそろえて「五体の祈りを込めよう」「祖国帰心」と、当時作られた復帰を願う詩を読んでいる。


最後にIMALUさんが訪れたのは、大島高校ダンス部。部員がまとっていたのは、大きな日の丸を縫い付けた衣装だった。


IMALUさん:
日本の国旗がくっついているの?

大島高校ダンス部・政村李玖さん:
そうです。服に縫いつけている。奄美の島人として受け継いでいかないといけないなという思いから、ダンスとして形にすることにしました


IMALUさんの前で始まったパフォーマンス。星条旗を掲げた部員の周囲で、日の丸をまとった多くの部員たちが力強く踊る。


IMALUさん:
いろんなストーリーが見えてきて、すごく感動した。奄美のごく一部かもしれないが、知ることができて、若い世代の方たちが、当時何があったかということが引き継がれているというのも、すごく大切なことだと思いました


2023年の元日、復帰運動ゆかりの高千穂神社には多くの人が初詣に訪れていた。


参拝客:
もっと深く知っていきたいと思う

参拝客:
自分の生まれる前からつないできたものを、つなげていきたい

当時のことを語る人、そして、それを受け継ごうとする人の思いが巡る中、日本復帰70年を迎える奄美の2023年が始まった。

(鹿児島テレビ)

(FNNプライムオンライン1月7日掲載。元記事はこちら

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