GSOMIA失効を回避させたトランプ政権:主役は米国の安保官僚―佐藤優氏に聞く

政治・外交

韓国の文在寅政権は11月22日、失効寸前だった日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)について、「条件付きで(協定)破棄を停止する」と発表した。東アジアで中国・北朝鮮・ロシアに対する抑止力の一翼を担ってきた同協定は、なぜぎりぎりの局面で維持されたのか。その背景について、元外務省情報分析官の佐藤優氏にnippon.com編集部が聞いた。

佐藤 優 SATŌ Masaru

1960年東京都生まれ。作家・元外務省主任分析官。日本外務省切っての情報分析のプロフェッショナルとして各国のインテリジェンス専門家から高い評価を得た。イギリスの陸軍語学学校でロシア語を学んだあと、モスクワの日本大使館に勤務し、クレムリンの中枢に情報網を築きあげた。著書に『国家の罠』『自壊する帝国』(いずれも新潮文庫)など多数。

日米韓の弱点を補ってきたGSOMIA

編集部 GSOMIAは、どうして破棄を回避できたのか、日・米・韓の国際的な駆け引きについてお尋ねする前にまずGSOMIAとはこの3カ国に限らず、東アジアの国際政治にとって、いかなる意味を持っていると考えていますか。

佐藤優 海洋強国、中国の登場で、緊迫の度を増す東アジアにあっては、米国を「ハブ」とする日米同盟と米韓同盟から成る「三角安全保障システム」は、中国だけでなく、北朝鮮やロシアが紛争の解決手段として軍事力を発動することを押さえ込む抑止力のよりどころとして重要な役割を果たしてきました。しかし、この「三角安全保障システム」には、三角形の一辺である日韓の間に同盟関係が存在せず、これが大きな弱点となっていました。

その、いわば「柔らかい脇腹」を補う役割を果たしてきたのがGSOMIAにほかなりません。通常は緊密な同盟国同士でなければ、軍事機密を互いにやり取りすることはできません。GSOMIAは、三角安保の一辺を補完する重要な役割を期待され、米国の強い勧めもあって、2016年に締結されました。

編集部 実際に、北朝鮮のミサイル情報がこれまでより迅速に交換されたわけですね。

佐藤 その通りです。実はGSOMIA締結より2年前の2014年に、日・米・韓の軍事情報の交換を取り決めたTISAが締結されたのですが、これだけでは緊急時、とりわけ有事には間に合わない可能性がありました。北朝鮮が打ち上げたミサイル情報は、韓国政府から米国政府を経て日本政府に通報される仕組みなのですが、「サード・パーティ・ルール」という縛りがあり、韓国の同意がなくては米国も機密情報を日本側に提供できなかったのです。GSOMIA締結で事態はかなり改善されました。

ところが、韓国の文在寅大統領が日韓関係の悪化を受けて、GSOMIAの破棄に大きく傾きました。この結果、東アジアの波をなんとか静かに保ってきた「三角安全保障システム」に、重大な綻びが広がってしまいそうな情勢となりました。日・米・韓の同盟システムが劣化するような事態となれば、北朝鮮はその弱点を突いてさらなる新型ミサイルの発射や核実験を繰り返す恐れがありましたから、米国の安全保障専門家らは危機感を募らせました。

米国は仲介者ではなく「当事者」

編集部 米国を中核とする同盟システムに亀裂が生じてしまえば、日韓関係を超えて、超大国米国そのものの外交・安全保障上の影響力に陰りが生じてしまいますね。

佐藤 その通りです。日韓のメディアは、米国のトランプ政権が仲介して、GSOMIAの失効を回避したと報じています。しかし、これまで検証してきたように、実際は米国こそが、今回の事態の真の当事者だと見るべきなのです。それだけに、米政府としては、日・米・韓の「三角安保システム」を万全な形で維持したいと考えたのでしょう。

米政府の外交・安全保障チームは、持てる全ての力を使って、まずソウルに、ついで東京に懸命な働きかけを繰り広げたのでした。その証拠に、エスパー国防長官やスティルウェル国務次官補(東アジア・太平洋担当)は韓国政府の高官と直接会い、ひざ詰めで説得に努めました。ここまで包囲網を敷かれてしまえば、さしもの文在寅大統領としても、白旗を掲げざるを得なかったのだと思います。米韓の安全保障条約を破棄してもいいという覚悟があれば別でしたが――。トランプ政権の側は、在韓米軍の経費を従来の5倍の5000億円余りに増額せよと吹っかけ、一部撤退もあり得るとメディアにリークして、韓国側にGSOMIAの維持を働きかけました。

編集部 協定が失効する事態を避けたいなら、ハイテク半導体の素材の対韓輸出を制限していた措置を撤回させるよう日本側を説得してほしい――韓国側も米政府にそのような要求をして粘り腰を見せました。

佐藤 安倍政権は、韓国側がGSOMIAをいったん失効させるならそれでいいと腹をくくっていた節がありました。ですから、輸出制限の強化を取り下げる意思はないと、米側にもはっきりと伝えていたようです。ただ、交渉事ですから、日本側も何らかの形で譲った風を装って、米国の顔を立てたのでしょう。その結果、輸出制限は撤廃しないが、この問題で日韓の部長級の会談を行うことには同意しました。これについても、韓国政府がWTOへの提訴を取り下げたため、輸出規制を巡って話し合いに応じるという建付けになっています。

安倍政権としては、日本国内の強硬派に配慮して、自分たちは「何ら譲っていない」とアピールしています。実際に安倍政権はほんのわずかしか譲っていないのです。

「日韓対立」の構図はむしろ深まった?

編集部 これで日韓の危機はひとまず去ったとみていいのでしょうか。

佐藤 いいえ、むしろ、米国主導の決着によって、日韓が厳しく対峙する危機の構図は全体として深まったと見るべきです。日本は米国をけしかけて韓国を追い詰めた――、こうした韓国の「恨」はむしろ深く堆積し、今後の日韓関係に影を落としていくでしょう。

それにつけても、韓国の文在寅大統領が、トランプ大統領と金正恩の間を取り持ったタイミングが早すぎたと思います。本来なら関係を取り持ってくれた恩義を大切にして、トランプ大統領は、今回の決着でも文在寅大統領にもう少し配慮してもいいはずです。ところが「ディールの達人」は実に冷淡ですね。

編集部 しかし、今回の一連の動きで、米国のトランプ大統領とポンペオ国務長官が、交渉にほとんど顔を見せなかったのはやや不可解ですね。

佐藤 鋭い指摘ですね。確かにこの二人のキーパーソンは登場しませんでしたね。ポンペオ国務長官は、名古屋のG20外相会合にも姿を見せませんでしたし、トランプ大統領も得意の「ツィッター」をあまり多用しませんでした。米政権の外交・安全保障に関わるプレーヤーは、GSOMIAの維持に真剣に動きました。しかしながら、トランプ大統領とポンペオ国務長官は、GSOMIAの維持にあまり熱心ではなかった節がうかがえます。

トランプ政権内部で、首脳陣と外交・安保スタッフ高官との間で、GSOMIAを巡って対応に乖離が出ているなら、今後の朝鮮半島情勢に影響が出てくると心しておくべきでしょう。

バナー写真:ソウルの韓国国防省に到着し、鄭景斗国防相(前列左)の出迎えを受けるエスパー米国防長官(同右)=2019年11月15日(ロイター/アフロ)

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