2019年に逝った人たち

社会

中村哲さん、緒方貞子さん、中曽根康弘元首相、八千草薫さん…。この1年に亡くなった著名人の足跡を振り返る。

1月12日

梅原猛さん(93)=哲学者・日本古代史研究者

日本古代史、日本文学から宗教に至るまで、大胆な持説を展開した。京都大学の哲学科を卒業後、立命館大教授などを経て、1987年に国際日本文化研究センター初代所長に就任した。法隆寺が聖徳太子の怨霊を鎮めるために創建されたとする『隠された十字架』、日本古来の「森の文化」の復権を唱えた『森の思想が人類を救う』といった独創的な論考、著作を数多く発表。現代的な歌舞伎や能の創作にも打ち込んだ。晩年も憲法改正に反対する「九条の会」の呼びかけ人となり、東日本大震災を「文明災」と批判するなど、社会に向けて積極的に発言し続けた。

米寿記念で講演する梅原猛氏=2019年5月22日、京都市西京区の国際日本文化研究センター(時事)
米寿記念で講演する梅原猛氏=2013年5月22日、京都市西京区の国際日本文化研究センター(時事)

2月8日

堺屋太一さん(83)=作家・経済評論家

今も広く使われる『団塊の世代』は、キャリア官僚だった1976年に発表してベストセラーになった同名の著作に由来する。戦後のベビーブーム世代に着目したこの近未来小説では、少子高齢社会のひずみが深まる現代日本の将来像を予言した。東京大学卒業後、60年に旧通商産業省に入省。自ら企画・立案した大阪万博を成功に導き、沖縄海洋博や国の新エネルギー開発計画にも携わった。78年に退官後は小説の執筆や講演活動に軸足を移し、博覧会をはじめとするイベントのプロデュースを手掛けたほか、経済企画庁長官、内閣官房参与としても活躍した。

2月24日

ドナルド・キーンさん(96)=日本文学研究者

米コロンビア大学の学生だった18歳のときに「源氏物語」の英訳書を読んで感動し、日本との関わりが始まった。1941年の日米開戦を機に日本語学校に通い、海軍の情報将校としてハワイや沖縄に従軍し、日本語の通訳や翻訳を担当。戦後の53年からは京都大学に留学し、日本文学の研究に没頭。川端康成、三島由紀夫、谷崎潤一郎といった高名な作家との交流を深める一方、日本文学の英訳書を刊行するなどして日本文化の海外紹介に大きく貢献した。2011年の東日本大震災をきっかけに「余生を日本で過ごしたい」と日本国籍を取得し、永住を決めた。

Nippon.com掲載の参考記事

4月11日

モンキー・パンチ(本名・加藤一彦)さん(81)=漫画家

名作テレビアニメ『ルパン三世』は、1967年に創刊された漫画雑誌に連載した同名の漫画が原点。主人公の怪盗を中心に展開する奇想天外なストーリーと独特の米国コミックのような画風は、ほどなくして若者の間で爆発的な人気を呼んだ。北海道に生まれ、高校卒業後に漫画家を目指して上京し、65年に「プレイボーイ入門」で本格デビュー。その2年後に発表した代表作は、何度もテレビアニメ化、映画化され続けている。デジタル時代に入ると、パソコンを使った漫画制作にいち早く取り組み、他の大物漫画家らと創立したデジタルマンガ協会の初代会長を務めた。

5月12日

京マチ子(本名・矢野元子)さん(95)=女優

戦後復興期に主演した名匠監督の映画が、ベネチア国際映画祭金獅子賞など次々と海外の賞に輝いたことから、「グランプリ女優」と呼ばれた。その3本の代表作、黒澤明監督『羅生門』、溝口健二監督『雨月物語』、衣笠貞之助監督『地獄門』で見せた神秘的で妖艶な演技は世界から称賛され、敗戦で打ちひしがれた国民を喜ばせた。1936年に故郷大阪の松竹少女歌劇団に入団。流行のブギウギを踊って評判となり、娘役スターとなった。戦後は国際派のトップ女優として、映画のほかテレビドラマや舞台の数々の傑作に出演し、存在感を発揮し続けた。

5月22日

降旗康男さん(84)=映画監督

2014年に亡くなった戦後を代表する名優、高倉健さんと組んで数々の秀作を世に送り出した。1957年に東京大学文学部仏文科を卒業後、東映に入社。66年に『非行少女ヨーコ』で監督デビューを果たした後、高倉さん主演の『新網走番外地』シリーズなど、東映の看板だったヤクザ映画を次々と手がけた。68年から放送された『キイハンター』、75年の『赤い疑惑』をはじめ、テレビドラマの演出も数多く担当。74年に東映を退社したが、高倉さんとのコンビは終生続き、『夜叉』『ホタル』『あなたへ』など、哀切感にあふれたヒット映画を発表し続けた。

6月6日

田辺聖子さん(91)=作家

鋭い観察眼で人生や男女の機微を見つめ、軽妙な大阪弁でユーモアたっぷりに描く小説の名手だった。大阪市内の写真館の家に生まれ、幼少時から日本の古典や小説を読み漁った。現在の大阪樟蔭女子大を卒業後、会社勤めをしながら大阪文学学校に通い、小説の執筆を本格化させた。1957年、女の生涯を独特の筆致で描いた『花狩』が雑誌の懸賞小説に入選し、文壇デビュー。64年には『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)』で芥川賞を受賞した。小説以外では、ラジオドラマのシナリオ執筆や『源氏物語』の現代語訳にも取り組み、高い評価を得た。

7月9日

ジャニー喜多川さん(87)=芸能プロデューサー

「SMAP」、「嵐」など数多くの人気男性アイドルグループが輩出した芸能プロダクション「ジャニーズ事務所」社長として、日本のエンターテインメント界で絶大な影響力を持っていた。1931年米ロサンゼルス生まれ。戦後、美空ひばりらの渡米公演で通訳を務めて日本の芸能界との関係ができ、日本に移住。62年に男性アイドルグループ・ジャニーズを結成し、事務所を創業。育てたアーチストの多くは「歌って踊れる」グループで、テレビ界のスターになった。一方で自らが表舞台に立つことや取材を受けることはほとんどなく、自らの写真も公表しなかった。

9月26日

佐藤しのぶさん(61)=声楽家

日本を代表するソプラノ歌手で、紅白歌合戦にも出場するなど国内外で幅広く活躍した。夫は指揮者の現田茂夫さん。1958年に東京で生まれ、国立音楽大学卒業後、文化庁オペラ研修所を最年少、首席で卒業。84年に「メリー・ウィドウ」「椿姫」でデビューした。同庁の研修生としてイタリア・ミラノに留学後、ウィーン国立歌劇場をはじめとする欧州の有名劇場の舞台に立ち、豊かな声量と卓越した美声で観客を魅了した。ウラディーミル・アシュケナージら欧米の著名な指揮者やオーケストラとも数多く共演を果たした。

10月24日

八千草薫さん(88)=女優

八千草薫さん=1965年1月撮影(時事)
八千草薫さん=1965年1月撮影(時事)

戦後間もなくから映画やテレビ、舞台に多数出演し、清楚で可憐な雰囲気のある女優として親しまれた。1931年大阪府生まれ。47年に宝塚歌劇団に入り、清純派の娘役スターとして活躍した。51年に映画デビュー後、三船敏郎主演の「宮本武蔵」、日伊合作映画「蝶々夫人」といった話題作で重要な役を演じ、演技力が高く評価された。テレビドラマには、テレビ黎明期の60年代から出演。特に77年の山田太一脚本の名作連続ドラマ「岸辺のアルバム」では、それまでの良妻賢母のイメージとは逆に、不倫に走る専業主婦を好演して話題を呼んだ。

10月6日

金田正一さん(86)=元プロ野球投手

ちょうど半世紀前の1969年、日本のプロ野球で唯一の400勝投手に。14年連続20勝以上、奪三振4490個、完投365回など、ほかにもいまだに破られていない大記録がいくつもある。故郷愛知県の高校を中退し、1950年に当時の国鉄に入団。長身の左腕から繰り出す快速球と「2階から落ちてくる」と評されたカーブを武器に、2年目でいきなり22勝を挙げた。65年に巨人に移り、4年後に現役引退。74年には、ロッテの監督として日本一に輝いた。明るい人柄から「カネやん」の愛称で親しまれ、一線を退いた後はユーモアと辛口の野球解説で人気を呼び、タレントとしても活躍した。

巨人に移籍し、川上哲治監督(右端)と握手する金田正一投手=1964年12月23日、東京・読売新聞社(時事)
巨人に移籍し、川上哲治監督(右端)と握手する金田正一投手=1964年12月23日、東京・読売新聞社(時事)

10月22日

緒方貞子さん(92)=元国連難民高等弁務官

世界の紛争地に足を運び、難民の保護に奔走する現場主義の人だった。1927年に曽祖父が犬養毅元首相、父は外交官という家庭に生まれ、幼少期を海外で過ごした。聖心女子大学卒業後に米国に留学し、63年にカリフォルニア大バークレー校で政治学博士号を取得。76年に日本人女性として初の国連公使となった。91年に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のトップに就任し、3期10年務めた。在任中はイラク・クルド難民、ボスニア紛争、ルワンダ難民の支援などに取り組み、世界的な評価を得た。退任後は、アフガニスタン復興支援政府代表を経て、国際協力機構(JICA)の理事長に就任し、アフリカ諸国などへの援助を推進した。

11月29日

中曽根康弘さん(101)=元首相

1980年代に首相として国鉄の分割・民営化や日米関係の強化を推進した。1918年群馬県生まれ。41年に東京帝国大学法学部卒業後、旧内務省入り。海軍士官を経て47年の衆院選旧群馬3区で初当選。その後連続で20回当選した。運輸相、防衛庁長官、通産相などを経て、82年に自民党総裁となり、第71代首相に就任。「戦後政治の総決算」を掲げ、電電公社、専売公社、国鉄の「3公社」の民営化を軸とする行政改革を主導した。外交では、レーガン米大統領と「ロン・ヤス」と呼び合う親密な関係を築いた。85年には戦後の首相として初めて靖国神社を公式参拝した。

12月4日

中村哲さん(73)=NGO「ペシャワール会」現地代表、医師

泥沼の紛争が続くアフガニスタンで、医療や農地回復の支援活動を30年以上にわたり続けてきた。普段のように車に乗って用水工事の現場に向かう途中、現地の武装勢力の凶弾に倒れた。1946年に福岡市で生まれ、九州大学医学部を卒業後、国内の病院勤務などを経て、84年に日本キリスト教海外医療協力会から派遣されてパキスタンの病院に着任。隣国アフガンでも難民キャンプを中心に医療支援活動を行うようになり、91年には診療所を開設した。アフガンが干ばつに見舞われた2000年からは、率先して井戸掘りや農業用水路の建設にも携わるなど、現地の人々に寄り添う草の根の人道支援を貫いた。

バナー写真:中村哲医師(左)=2009年撮影=と緒方貞子氏=2002年撮影(ともに時事)

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