2021年に逝った人たち

社会

歌舞伎俳優の中村吉右衛門さん、落語家の柳家小三治さん、「知の巨人」と呼ばれた立花隆さん、そして作家の瀬戸内寂聴さん…。2021年にこの世を去った人々を振り返る。

1月12日

半藤一利さん(90)=ノンフィクション作家

御前会議で日本が降伏を決めた1945年(昭和20年)8月14日から15日の様子を、当事者たちへの聞き取りをもとに描いた『日本のいちばん長い日』を1965年に世に出した(当時は大宅壮一編として出版)。同作品は映画化され、学術的にも高く評価された。東京大学卒業後、文芸春秋に入社、松本清張や司馬遼太郎ら人気作家の担当編集者を務める一方、昭和史・太平洋戦争史の研究に取り組んだ。95年の退職後は本格的に作家へ転身。『ノモンハンの夏』『昭和史』『幕末史』などの代表作を残した。

3月24日

古賀稔彦さん(53)=柔道家

1992年バルセロナ五輪の男子71キロ級の金メダリスト。豪快な一本背負いを得意とし、「平成の三四郎」と呼ばれて一時代を築いた。佐賀県出身。中学1年で上京し、高校まで柔道の私塾「講道学舎」で鍛錬を重ねた。日体大在学中の88年にソウル五輪に出場、また96年のアトランタ五輪では78キロ級で銀メダルを獲得した。世界選手権は89、91、95年と3回優勝。2000年に引退後は指導者となり、道場「古賀塾」を主宰する傍ら、女子日本代表の強化コーチを務めるなど多くの実績を挙げた。

アトランタ五輪で決勝を戦う古賀稔彦=1996年7月23日(時事)
アトランタ五輪で決勝を戦う古賀稔彦=1996年7月23日(時事)

田中邦衛さん(88)=俳優

映画『若大将シリーズ』で金持ちの道楽息子「青大将」を演じたほか、1981年に始まったテレビドラマ『北の国から』の黒板五郎役で国民的俳優となった。岐阜県生まれ。俳優座養成所を経て、57年の『純愛物語』(東映)で映画デビューした。「網走番外地」や「仁義なき戦い」シリーズでも活躍。あくの強い、それでいて憎めない強烈なキャラクターで人々を魅了した。

4月1日

赤崎勇さん(92)=半導体工学者、ノーベル物理学賞受賞者

青色の発光ダイオード(LED)を開発し、白色LED照明の誕生に道を開いたとして2014年にノーベル物理学賞を受賞した。1929年鹿児島県生まれ。京都大学理学部卒業。松下電器産業(現パナソニック)東京研究所でLEDの研究を開始。名古屋大教授時代の89年、教え子の天野浩氏とともに窒化ガリウムの結晶化に成功した。日本の応用物理学を長年主導し、2011年には文化勲章も受章している。

4月3日

田村正和さん(77)=俳優

ニヒルな二枚目として登場し、その後はテレビドラマ・古畑任三郎シリーズなどコミカルさも加えた演技で人気を博した。京都府出身。「バンツマ」と呼ばれた銀幕のスター、坂東妻三郎の三男として生まれ、高校在学中に木下恵介監督の映画『永遠の人』(1961年)で本格デビューした。72年からのテレビ時代劇『眠狂四郎』で主役としての地位を確立。80年代にはテレビドラマ『うちの子に限って』『パパはニュースキャスター』など、ホームドラマでも成功を収めた。いずれも俳優の兄高広さん、弟亮さんとともに「田村3兄弟」と呼ばれた。

4月4日

橋田寿賀子さん(95)=脚本家

海外でも広く放送されたNHKの連続テレビ小説『おしん』(1983~84年)をはじめ『渡る世間は鬼ばかり』『となりの芝生』『おんな太閤記』『春日局』などのヒット作、話題作を次々に生み出した。家族の中に潜む矛盾、情念を、女性の視点で生き生きと描いた。1925年、日本統治下の京城(現ソウル)生まれ。父は鉱山経営者。大阪で終戦を迎え、日本女子大卒業後に早稲田大に編入学。演劇に夢中になる中、49年に初の女性社員として松竹に入社し、脚本部に所属した。59年フリーに。64年のTBS東芝日曜劇場『愛と死をみつめて』が注目され、同局の石井ふく子プロデューサーと長くコンビを組んだ。

4月30日

立花隆さん(80)=ジャーナリスト、評論家

1974年、雑誌『文芸春秋』に「田中角栄研究 その金脈と人脈」を発表。現職首相の持つファミリー企業や政治団体について、会社登記簿や政治資金収支報告書など膨大な資料を集めて分析し、その蓄財手法を明らかにした。この報道は田中氏退陣のきっかけとなり、日本の調査報道の先駆けとして高く評価された。1940年、長崎市生まれ。東大卒業後に文芸春秋で雑誌記者となるが、2年で退社しフリーに。「田中角栄研究」以降は、日本共産党や総合商社、農協、新左翼セクトなど、政治・社会的なテーマを中心に作品を発表した。また、米アポロ計画で月に降り立った宇宙飛行士に取材した『宇宙からの帰還』、人間の生と死の意味を突き詰めて考察した『脳死』など科学分野をテーマとする著作も数多く手掛けた。

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5月30日

小林亜星さん(88)=作曲家

都はるみさんの演歌『北の宿から』などのヒット曲を世に出したほか、俳優としても活躍。向田邦子さん作のドラマ『寺内貫太郎一家』(1974年)に主演し、頑固おやじの役と演技が評判を呼んだ。32年、東京生まれ。父の勧めで慶応大医学部に進学するが、音楽のバンド活動に熱中し、内緒で経済学部に転部した。卒業後、製紙会社に入社したが数カ月で退社。作曲家・服部正に入門し、レナウンのCMソング『ワンサカ娘』(1961年、歌・弘田三枝子)が出世作となった。『北の宿から』は76年の日本レコード大賞を受賞。親子向け番組の中の『ピンポンパン体操』(71年)もミリオンセラーとなった。

7月23日

益川敏英さん(81)=素粒子物理学者、ノーベル賞受賞者

素粒子物理学の分野で、原子を構成する基本的な粒子のクォークがもし6種類以上存在すれば、宇宙の起源を解明する「CP対称性の破れ」を理論的に説明できるとする「小林・益川理論」を、京都大助手時代の1973年に発表。この功績により2008年、小林誠氏、南部陽一郎氏とともにノーベル物理学賞を受賞した。「小林・益川理論」は発表当時、それまで確認されているクォークが3種類だったためにそれほど注目されなかったが、1995年までに6種類全てが見つかったことで一躍脚光を浴びた。5歳だった45年3月に名古屋市で空襲に遭った経験から、核兵器と戦争の廃絶を目指す科学者らの国際組織「パグウォッシュ会議」の活動に関わるなど、晩年まで護憲・平和を訴える発言を続けた。

8月17日

笑福亭仁鶴さん(84)=落語家

上方落語界の重鎮。1960年代、ラジオ番組のパーソナリティーで人気に火が付き、タレント落語家の草分けとして大活躍した。多い時には週15本のレギュラー番組を持ち、「どんなんかなあ~」というフレーズが流行語になった。1937年大阪市生まれ。初代桂春団治のレコードを聴いて落語に興味を持ち、素人参加お笑い番組の常連出場者に。62年に六代目笑福亭松鶴に入門し、翌63年から吉本興業に所属した。若手時代は月亭可朝や桂三枝(現・桂文枝)とともに、高座出演の傍らテレビ、ラジオ、映画、レコードと売れに売れた。十八番にしていたのは「池田の猪買い」「初天神」など。70年代後半にのどを痛めてからは芸風を変え、じっくりと聞かせる正統派の落語を披露した。

笑福亭仁鶴さん=1975年12月撮影(共同)
笑福亭仁鶴さん=1975年12月撮影(共同)

8月19日

千葉真一さん(82)=アクション俳優

テレビドラマ「キイハンター」(1968年~73年)で人気を博した、日本のアクション俳優の草分け。70年代に出演した、空手をメインにした格闘映画は米国でも人気となり Sonny Chiba という名前で知られた。千葉県出身。日体大に入り、体操で五輪を目指したが、けがで断念。たまたま受けた「東映ニューフェイス」に合格し、俳優に転身した。1979年の映画『戦国自衛隊』では、主役のほかに日本映画初となる「アクション監督」を兼務した。後進育成にも尽力し、設立した「ジャパン・アクション・クラブ」から真田広之さんや堤真一さんらを輩出した。死因は新型コロナウイルスによる肺炎。

ハワイ国際映画祭での千葉真一さん=2005年10月撮影(ロイター=共同)
ハワイ国際映画祭での千葉真一さん=2005年10月撮影(ロイター=共同)

9月7日

色川大吉さん(96)=歴史学者

近代日本の民衆思想史を研究。丹念なフィールドワークや資料の調査を通じ、これまで歴史の表舞台に登場しなかった「民衆史」のジャンルを確立した。1968年には東京都五日市町(現・あきる野市)の民家の蔵から、明治期の自由民権運動の広がりを示す「五日市憲法草案」を発見した。1925年、千葉県佐原市(現・香取市)生まれ。東京帝国大に入学後、学徒出陣で海軍航空隊に配属された。戦後復学して日本史を専攻。東大卒業後は中学教師を経て、社会運動に携わる。67年に東京経済大教授となり、市民とともに地域史研究を進めた。76年からは水俣での調査を始め、80年に『水俣―その差別と風土の歴史』を刊行した。

9月24日

さいとう・たかをさん(84)=漫画家

連載開始から50年を超える超長寿漫画「ゴルゴ13」を生み出し、描き続けた。国籍不明の超一流スナイパー、デューク東郷の活躍を描いた同作は1968年、『ビッグコミック』で連載開始。単行本の第201巻が発売された後の2021年7月、「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」としてギネス世界記録に認定された。和歌山県生まれ。家業の理容店を継いだものの、中学生の時から書いていた漫画が諦められず、1955年に大阪で貸本漫画家としてデビューする。60年に自身の「さいとう・プロダクション」を設立し、原作、作画などを分業して制作を進めた。代表作はほかに『バロム・1』『鬼平犯科帳』(池波正太郎原作)など。

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10月7日

柳家小三治さん(81)=落語家、人間国宝

ひょうひょうとした語り口と絶妙の間(ま)で、古典落語を自由自在に操った。物事に迎合することを嫌い、派手な言動とは無縁の「孤高の人」でもあった。ぶっきらぼうでありながらシャイで「人間の可愛さ」が落語にもにじみ出る、等身大の小三治を多くの人が愛した。1939年、東京生まれ。厳格な教師の父親に反発して芸能・落語に熱中し、59年に五代目柳家小さんに入門。69年に17人抜きで真打昇進し、十代目となる柳家小三治を襲名した。滑稽噺を得意とし、古今亭志ん朝、立川談志亡き後の江戸落語を第一人者として長く支えた。噺の本題の前に語る「まくら」が抜群に面白く、かつ長時間に及ぶことから「まくらの小三治」との異名も付いた。2010年から14年まで落語協会会長。同年10月に、落語界で3人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。

10月14日

森山真弓さん(93)=元官房長官

1989年、海部内閣の環境庁長官として初入閣して間もなく、女性スキャンダルで辞任した官房長官の後任に抜擢された。女性の官房長官就任は初めてで、現在までほかに例がない。27年、東京生まれ。津田塾専門学校(現津田塾大)を卒業し、東大へ入学。大学3年生の時に森山欽司代議士と結婚した。50年4月に女性上級職員第1号として労働省に入省。婦人少年局長を最後に退官し、80年の参院選栃木県選挙区で自民党から立候補し当選。参院を3期、衆院を4期務め、文部相、法相を歴任した。

10月24日

坪井直(すなお)さん(96)=原爆被爆者、平和運動家

日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員、広島県原爆被害者団体協議会(広島県被団協)理事長を務め、被爆地・広島の象徴的な存在として核兵器廃絶運動の先頭に立った。広島工専(現広島大)の学生で20歳だった1945年8月6日、通学途中に爆心地の南約1.2キロ付近で被爆。上半身や顔にやけどを負い、その後40日以上も生死の境をさまよった。戦後は中学の数学教師を務め、86年に退職。その後は精力的に核廃絶運動に取り組み、核拡散防止条約(NPT)再検討会議などでたびたび渡米するなど、草の根で被爆体験を語り続けた。

11月9日

瀬戸内寂聴さん(99)=作家、僧侶

ベストセラー作家・瀬戸内晴美として波に乗っていた51歳の時に、突然に得度して尼僧となり、世の中を仰天させた。その後も執筆意欲は衰えず、70歳を機に取り組んだ『源氏物語』が大きな反響を呼び、1990年代の新たな「源氏ブーム」の立役者となった。また、数々の講演・法話、エッセーなどを通じ、「人の生き方」を説き続けた。1922年、徳島市生まれ。東京女子大在学中に大学教師と結婚、中国・北京で長女を出産したが、敗戦で帰国。戦後、夫の教え子と恋愛沙汰になり、家族を捨てて京都で生活。離婚後の50年、小説家になるために上京し、丹羽文雄主宰の『文学者』同人となる。56年、デビュー作「痛い靴」を発表、57年に新潮同人雑誌賞を受賞。その受賞第一作である『花芯』がポルノ小説であるとの批判にさらされる。63年に自らの男性関係を題材にした『夏の終わり』で女流文学賞を受賞。その後は『かの子撩乱』(65年)の岡本かの子、『美は乱調にあり』(66年)の伊藤野枝など、先駆的な女性たちの伝記小説を相次いで発表し、作家としての地位を確立した。2006年、文化勲章受章。死刑廃止論を唱え、脱原発の立場を鮮明にするなど社会活動にも熱心だった。

11月28日

中村吉右衛門さん(77)=歌舞伎俳優、人間国宝

歌舞伎界屈指の立ち役俳優。テレビでは人気ドラマ『鬼平犯科帳』の火付盗賊改方、長谷川平蔵役を1989年から2001年まで(単発放送では16年まで)演じ、多くの人に親しまれた。1944年、初代松本白鸚(はくおう、八代目幸四郎)の次男に生まれた。母方の祖父である初代吉右衛門の養子となり、48年に中村萬之助で初舞台。66年、22歳で二代目中村吉右衛門を襲名した。61年に実父や兄とともに松竹から東宝に移籍したが、現代劇の舞台に出演することが多く、歌舞伎に専念しようと74年に単身松竹に復帰した。『勧進帳』や『義経千本桜』などでの武蔵坊弁慶役が十八番。2011年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。17年、文化功労者。「吉右衛門」「播磨屋」の跡取りとして、精進に精進を重ねた俳優人生だった。

1985年11月、NHK大型時代劇「武蔵坊弁慶」制作発表での中村吉右衛門さん(共同)
1985年11月、NHK大型時代劇「武蔵坊弁慶」制作発表での中村吉右衛門さん(共同)

バナー写真:田中邦衛さん(左、1999年4月撮影、共同)と瀬戸内寂聴さん(2018年1月撮影、時事)

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