追悼:2023年に亡くなった著名人

社会

世界の舞台で活躍した音楽家の坂本龍一さん、ノーベル文学賞受賞者の大江健三郎さん、漫画家の松本零士さん…。2023年にこの世を去った人々を振り返る。

1月29日

石原信雄さん(96)=元内閣官房副長官

1987年から95年までの長きにわたり、首相官邸で各省の官僚を束ねる内閣官房副長官(事務)を務めた。消費税導入や昭和天皇の崩御、新元号制定などに事務方トップとして立ち合い、「ミスター官僚」「影の総理」とも呼ばれた。26年、群馬県生まれ。東京大学卒業後、57年に地方自治庁(現・総務省)に入庁。自治事務次官で86年に退官後、翌年に竹下登内閣の官房副長官に就任した。官邸に電車通勤し、当時は毎朝10人ほどの大手メディアの「番記者」が自宅の最寄り駅や永田町駅で取り囲んだ。退官後の95年に東京都知事選に立候補するが、青島幸男氏に敗れ、落選した。

2月13日

松本零士さん(85)=漫画家

「銀河鉄道999」「宇宙戦艦ヤマト」など宇宙ロマンあふれる人気作品を手掛け、アニメブームをけん引した。一方、四畳半の部屋で極貧の生活を送る若者を描いた異色の大ヒット作「男おいどん」でも知られる。1938年、福岡県久留米市生まれ。本名・松本晟(あきら)。手塚治虫の作品に触れ、9歳で漫画創作を開始、独学で画法を身につけた、高校卒業後に上京。まず少女漫画誌、後に少年・青年漫画のジャンルで作品を発表した。テレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」(74年)の制作に関わった。その後「銀河鉄道999」「宇宙海賊キャプテンハーロック」がアニメ化されて大ヒット。一連の「松本アニメ」は70年後半にブームとなった。

松本零士さん=2013年2月撮影(AFP=時事)
松本零士さん=2013年2月撮影(AFP=時事)

3月3日

大江健三郎さん(88)=作家

ノーベル賞受賞が決まり自宅前で記者会見する大江健三郎氏=1994年10月13日(時事)
ノーベル賞受賞が決まり自宅前で記者会見する大江健三郎氏=1994年10月13日(時事)

戦後日本における新しい文学の旗手。「万延元年のフットボール」(1967年)「同時代ゲーム」(79年)などの代表作があり、94年に日本人2人目となるノーベル文学賞を受賞した。受賞理由のキーワードは「詩的な言語を使って現実と神話の入り交じる世界を創造」「窮地にある現代人を、見るものを当惑させるように描いた」というもの。また「ヒロシマ・ノート」(65年)などの作品を通じ、反核・平和を生涯訴え続けた。2004年には「九条の会」を結成し、中心的な役割を担った。

1935年、愛媛県生まれ。東大仏文科在学中の57年に発表した短編「死者の奢り」が芥川賞候補に。翌年の「飼育」で同賞を23歳で受賞した。知的障害を持って生まれた長男の光さんとの共生も大きなテーマで、「個人的な体験」(64年)などの作品を残した。

3月10日

伊藤雅俊さん(98)=イトーヨーカ堂創業者、セブン&アイHD名誉会長

家業である東京・北千住の洋品店「羊華堂」を継ぎ、1958年に株式会社ヨーカ堂(現イトーヨーカ堂)を設立。スーパーの店舗網を拡大し、80年代に小売業として利益日本一となる企業に育てた。73年には米国で「セブン―イレブン」を運営する企業とライセンス契約を結び、成功を収めた。92年には、イトーヨーカ堂での総会屋利益供与事件の責任を取る形で社長を辞任し、相談役に退いた。同社はその後、2005年に持ち株会社制に移行。傘下に百貨店のそごうと西武、ファミリーレストランのデニーズ、コンビニATM最大手のセブン銀行などを抱える巨大企業グループとなった。

3月28日

坂本龍一さん(71)=音楽家

映画「ラストエンペラー」の音楽で、1987年にアカデミー作曲賞を受賞、「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」のメンバーとしても活躍し、世界的に評価された。83年公開の映画「戦場のメリークリスマス」(大島渚監督)では音楽を担当したほか、陸軍大尉のヨノイ役で出演し、デヴィッド・ボウイやビートたけしとの共演が観客に強い印象を残した。

52年東京都生まれ。10歳で作曲を学び始め、東京芸術大学で大学院修士課程まで学んだ。ピアノ演奏のスタジオミュージシャンなどを経て、78年に細野晴臣、高橋幸宏(1月11日死去)とともにYMOを結成。79年発売の2作目のアルバム「ソリッド・ステート・サヴァイヴァー」が爆発的なヒットを記録し、ロンドン、パリ、ニューヨークなど世界6都市でコンサートを行った。

都立新宿高校在学中は、学生運動にのめり込んだ。近年でも原発反対、憲法9条の改正反対の意思を表明し、デモ参加やメッセージを送るなどして運動を支援した。2023年には明治神宮外苑地区の再開発の見直しを求める手紙を、小池百合子東京都知事などに送った。

映画「ラストエンペラー」の音楽で、スー・ソン(右)、デビッド・バーン(中央)とともにアカデミー賞作曲賞を獲得した坂本龍一さん=1988年4月12日、米ハリウッド(AFP=時事)
映画「ラストエンペラー」の音楽で、スー・ソン(右)、デビッド・バーン(中央)とともにアカデミー賞作曲賞を獲得した坂本龍一さん=1988年4月12日、米ハリウッド(AFP=時事)

5月11日

中西太さん(90)=プロ野球選手

西鉄時代の中西太さん=1964年7月(時事)
西鉄時代の中西太さん=1964年7月(時事)

高松一高時代から豪打の内野手として知られ、「怪童」と呼ばれた。西鉄ライオンズ(1952年~69年)では三原脩監督時代の黄金期を支え、本塁打王5回、打点王3回、首位打者2回、ベストナイン(三塁手7回)を記録。55年にはパ・リーグの最高殊勲選手に輝いた。俊足で盗塁数も多く、53年には史上3人目のトリプルスリー(打率3割、30本塁打、30盗塁)を達成した。西鉄、日本ハム、阪神で監督を、近鉄やヤクルトなどで打撃コーチを務めた。打撃面の指導の巧みさには定評があり、岡田彰布、掛布雅之(いずれも阪神)、若松勉(ヤクルト)など多くの名選手を育てた。1999年野球殿堂入り。

6月13日

牛尾次朗さん(92)=元経済同友会代表幹事、ウシオ電機創業者

経済同友会の代表幹事や日本生産性本部の会長などを務めた財界人。2001年から06年まで、経済財政諮問会議の民間委員に就任し、小泉純一郎首相のブレーンとして構造改革を推進した。1931年、兵庫県生まれ。祖父は姫路銀行の創業者、父は電力・電機事業を手がけていた。東大卒業後、東京銀行に。米国留学後に家業を受け継ぐことになり、64年にウシオ電機を設立。複写機用のハロゲンランプ製造で成功をおさめた。95年に経済同友会代表幹事に就任すると。規制緩和や民間主導の経済運営を提言。また、稲森和夫氏(故人)らとともに第二電電(現・KDDI)の立ち上げに尽力し、2000年に会長に就任した。

6月22日

野見山暁治さん(102)=洋画家、エッセイスト

鮮やかな色使いと大胆な筆のタッチが印象的な抽象画で知られる。100歳を超えても制作を続け、長く日本の美術界をけん引した。2014年、文化勲章を受章。名エッセイストとしての顔も持ち、1978年には「四百字のデッサン」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞している。20年、福岡県生まれ。東京美術学校時代は故郷の炭鉱を制作の主なモチーフとし、12年間のパリ生活の中で抽象画に向かい、高い評価を得た。帰国後は東京芸大助教授、教授として学生の指導をしながら作品を発表した。戦没画学生の遺作に光を当てた慰霊美術館「無言館」(長野県上田市)の開設に尽力し、2005年に菊池寛賞を受賞した。

7月24日

森村誠一さん(90)=作家

森村誠一さん=2004年6月撮影(時事)
森村誠一さん=2004年6月撮影(時事)

東京やニューヨークを舞台に戦後日本の暗部を浮き彫りにした社会派ミステリー「人間の証明」(1976年)が映画化され、770万部という大ベストセラーを記録。また、81年から日本共産党の機関紙「赤旗」に連載した「悪魔の飽食」では、日本陸軍の細菌戦を担った731部隊の実態を描き、大きな反響を呼んだ。33年、埼玉県生まれ。大学卒業後、ホテル勤務の傍らに書いたエッセイが評判となり、32歳で作家デビュー。69年にホテルでの殺人事件を描いた「高層の死角」で江戸川乱歩賞を受賞、73年には「腐食の構造」で日本推理作家協会賞を受賞した。大学在学中に登山に熱中。その体験が多くの作品に生かされた。

9月13日

二代目市川猿翁さん(83)=歌舞伎役者

三代目市川猿之助だった1986年、早替わりや宙乗りを用いたスペクタクルな演出によるスーパー歌舞伎、「ヤマトタケル」(脚本・梅原猛)を上演。現代的、創造的な歌舞伎を目指し、精力的に活動した。1939年、東京生まれ。本名・喜熨斗(きのし) 政彦。父は三代目市川段四郎、祖父は二代目猿之助。7歳で三代目市川團子として初舞台を踏み、63年に三代目猿之助を襲名した。同年に父、祖父を相次いで亡くし、後ろ盾を失って「梨園の孤児」と言われた。68年の「義経千本桜」で宙乗りを披露、ケレンと言われる派手な演出が話題を呼び、これが猿之助の代名詞となった。俳優の香川照之(九代目市川中車)は実子。2012年には甥の二代目市川亀治郎に猿之助を譲り、二代目猿翁を名乗った。

東京サミットで来日したヒラリー・クリントン米大統領夫人が歌舞伎を鑑賞。その後、舞台に上がった夫人(左)と歓談する市川猿翁(当時は三代目猿之助)さん=1993年7月9日、東京・歌舞伎座(時事)
東京サミットで来日したヒラリー・クリントン米大統領夫人が歌舞伎を鑑賞。その後、舞台に上がった夫人(左)と歓談する市川猿翁(当時は三代目猿之助)さん=1993年7月9日、東京・歌舞伎座(時事)

10月8日

谷村新司さん(74)=シンガーソングライター

フォークグループ「アリス」のリーダーとして、「遠くで汽笛を聞きながら」「冬の稲妻」「チャンピオン」などのヒット曲を連発して1970年代に活躍。ソロでは「昴」(80年)が国際的な大ヒットとなり、中国をはじめとするアジア各国でも愛唱された。1948年、大阪府生まれ。高校在学中にバンド「ロック・キャンディーズ」を結成し、大阪、神戸で人気となった。71年には「アリス」を結成。地道なライブ活動を続け、1975年の「今はもうだれも」のヒットをきっかけに人気バンドとなった。70年代にはラジオのパーソナリティーも多く手掛けた。78年には山口百恵の「いい日旅立ち」を作詞作曲。2004年には中国の上海音楽学院で教授を務めた。

谷村新司さん=1999年12月撮影(時事)
谷村新司さん=1999年12月撮影(時事)

11月2日

大相撲元大関・朝潮 長岡末弘さん(67)

恵まれた体格と陽気なキャラクターで、角界の人気者だった。優勝は1回のみだったが、横綱北の湖に通算13勝7敗(1不戦勝含む)と大きく勝ち越すなど「横綱キラー」で知られた。引退後は名門高砂部屋の師匠として横綱・朝青龍、大関・朝乃山らを育て、日本相撲協会の広報部長も務めた。1955年、高知県生まれ。近畿大学で、2年連続で学生横綱とアマチュア横綱を獲得。78年春場所に幕下付け出しで初土俵。強烈な突き、押しを武器にスピード出世し、同年の九州場所には幕内入りした。83年に大関昇進を果たし、85年春場所で初優勝。89年に引退するまで大関を36場所務めた。

11月15日

池田大作さん(95)=創価学会名誉会長

池田大作氏=2008年5月撮影(時事)
池田大作氏=2008年5月撮影(時事)

日蓮の仏法を信奉する新宗教・創価学会を長年にわたり率い、日本最大規模の宗教団体に育て上げた。1964年に公明党を創設。同党の勢力拡大や政権参加を背景に、政界で影響力を保ち続けた。28年、東京都生まれ。47年に創価学会に入会し、60年に第3代会長に就任した。高度成長期に農村から都市への人口移動が進む中、教団は「地域の絆」がなくなった人々に手をさしのべ、教勢を拡大した。75年には創価学会インタナショナル(SGI)を設立して会長に就任。海外布教に力を入れるとともに、世界各国の指導者や文化人との対話を精力的に進めた。79年に創価学会の会長職を退いたが、名誉会長となっても実質的な教団トップとして実権を握り続けた。

11月29日

山田太一さん(89)=脚本家

「岸辺のアルバム」(1977年、TBS系)や「男たちの旅路」(76年、NHK)、「ふぞろいの林檎たち」(83年、TBS系)など、テレビドラマの名作を数多く世に送り出した。また、小説や戯曲にも活動の場を広げ、映画化もされた小説「偉人たちの夏」(87年)では山本周五郎賞を受賞した。1934年東京生まれ。本名・石坂太一。早稲田大学卒業後、松竹に入社。木下啓介監督の助監督として働いた後、65年に脚本家として独立した。警備会社を舞台に鶴田浩二さん演じる元特攻隊の警備員と戦後生まれの若者たちの葛藤、反発と共感を描いた「男たちの旅路」は、NHKがタイトルの中に脚本家の名前を冠した「山田太一シリーズ」として放送。それまで光の当たらなかったシナリオライターの社会的地位を高めた。

バナー写真:バルセロナ五輪開会式で、自ら作曲した音楽を指揮する坂本龍一さん=1992年7月25日(共同)

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