金鍾泌元韓国首相が死去=日韓正常化尽力した知日派

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【ソウル時事】韓国の朴正煕元大統領の右腕として日韓国交正常化に尽力した金鍾泌元首相が23日午前、死去した。92歳だった。ソウル市内の病院関係者が明らかにした。朴政権下だけでなく、民主化後も政界の中枢を歩んだ。初代韓日議員連盟会長を務め、韓国随一の知日派として知られた。

金氏は23日午前8時(日本時間同)すぎ、病院に緊急搬送されたが、死亡が確認された。

ソウル大を中退し、陸軍士官学校を1949年に卒業。軍人として歩んだが、李承晩政権崩壊後の混乱の中、61年、士官学校同期の朴氏をリーダーにクーデターを決行。成功後は韓国中央情報部(KCIA)を創設し、初代部長に就任した。経済再建のために急がれていた日韓国交正常化交渉を取り仕切り、62年には大平正芳外相(当時)との間で、日本の経済協力額などを定めた「金・大平メモ」を作成し、65年の日韓基本条約締結への道筋を付けた。

71年には首相に就任。73年8月に民主活動家だった金大中氏がKCIA要員によって東京都内のホテルから拉致された事件をめぐっては、同年11月に来日して当時の田中角栄首相に謝罪した。

朴氏が79年に暗殺された後は民主共和党の総裁として政界の一角を占めた。全斗煥政権でいったん公職を追放されたものの、87年の大統領選に新民主共和党総裁として出馬し、敗れた。他の候補と合わせ「一盧三金」時代と呼ばれた。

金大中氏の大統領当選を支援し、98年に再び首相の座に。2000年に辞任し、04年総選挙で落選して政界を引退した。

金鍾泌韓国元首相

金大中拉致事件収拾のため来日した韓国の金鐘泌首相(左)と会談する田中角栄首相(中央)。右は大平正芳外相=1973年11月、東京・首相官邸(肩書きは当時)

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