「平成」の書、小渕氏が指示=政令案を皇居に持参-改元の舞台裏

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「新しい元号は『平成』であります」。1989年1月7日、小渕恵三官房長官は記者会見で、自ら指示して揮毫(きごう)させた書を掲げ、新時代の幕開けを告げた。昭和天皇の容体が悪化してから新元号発表に至るまでの舞台裏を関係者への取材で振り返った。(肩書は当時)

昭和天皇の吐血から一夜明けた88年9月20日朝。竹下登首相に呼ばれた的場順三内閣内政審議室長は「陛下にもしものことがあったら…」と切り出し、「『平成』『修文』『正化』の三つの案が考えられる」と、ひそかに検討を進めていた改元案を報告した。

宮内庁と緊密な連絡を取りながら年の暮れを迎えた首相官邸では「年末に陛下が逝去されたら元号をどうするか」という疑問が持ち上がった。昭和元年が7日間しかなかったからだ。石原信雄官房副長官は、後藤田正晴前官房長官から「ぎりぎりだったら昭和のままいった方がいい」と助言されていたが、杞憂(きゆう)に終わった。

年が明けて1月7日を迎える。未明に帰宅した古川貞二郎首席内閣参事官は午前5時ごろに宮内庁から天皇危篤の連絡を受けた。すぐに首相専用車の車載電話を鳴らし、秘書官を通じて行き先を官邸から皇居に変更するよう伝えた。竹下氏はご臨終に間に合ったという。

有識者の懇談会が「平成」でまとまったのを受け、小渕、石原両氏は国会議事堂に向かい、衆参両院の正副議長に、この後の閣議で新元号を平成と決めたいと伝えた。秘密保持のため、議長らには外出しないよう要請。トイレに行く際も職員が随行した。

閣議決定の直前、石原氏は藤森昭一宮内庁長官に電話し、「陛下の耳に入れてくれ」と伝えた。一方、閣議決定を受け、古川氏が首相公邸の横に車で待機させていた総理府職員2人を皇居に急行させ、閣議に諮られた政令案の原本を侍従に届けた。

閣議に先立ち、小渕氏は書家でもある総理府職員の河東純一氏に「『平成』と額に入れて書いておいてくれ」と指示。墨の乾き切らない書を携えて会見に臨んだ。石原氏は「さすがテレビ時代の人だ」と、小渕氏の機転に感服。小渕氏が一躍「平成おじさん」と有名になったこともあり、竹下氏は後日、笑いながら「僕がやれば良かった」と語ったという。

◇竹下家から公文書館へ

河東氏は書き損じがあるといけないと考え、2枚したためた。小渕氏が掲げた原本は竹下氏に、もう1枚は小渕氏に渡った。

2009年9月、国立公文書館は天皇陛下在位20年を記念した特別展示会のため、竹下家から書を借用。その後、寄贈を打診した。義姉から相談を受けた竹下亘衆院議員は「竹下家にあるべきものではない」と快諾する考えを示し、10年3月4日付で寄贈された。

新元号「平成」を発表する小渕恵三官房長官(当時)=1989年1月7日、東京・首相官邸

小渕恵三官房長官(当時)が記者会見で掲げた新元号「平成」の書(国立公文書館提供)

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