「明治」はくじ引きで決定=近代以降、最終案は三つ

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4月1日の新元号の発表まで1カ月を切った。当日は「平成」の時と同様、政府が有識者懇談会に複数の案を示した上で、最終的に閣議で決定する。ただ、「昭和」までは最終決定権を持っていたのは天皇で、中でも「明治」は天皇がくじを引いて決めたことで知られる。

「日本年号史大辞典」(雄山閣)などによると、1868年、明治政府で議定を務めていた前越前福井藩主の松平慶永は最終3案を選び、同政府の輔相岩倉具視に提出。当時15歳だった明治天皇がくじ引きで元号を「明治」に決めた。

「大正」は1912年、西園寺公望首相が第1案として他の2案とともに、天皇の最高諮問機関「枢密院」の山県有朋議長に提出。大正天皇が同院本会議などの議決通り「大正」を選んだ。

若槻礼次郎首相は、新元号に「昭和」を選定し、他の2案も参考として添付した。26年末、枢密院がこれを追認し、最後に昭和天皇が決定する流れをたどった。

「平成」の時も、先日その存在が明らかになった九州大名誉教授のメモに書かれていた「修文」とともに、「正化」が最後まで残った。

京都産業大の久禮旦雄准教授(法制史)は「近代以降に最終案として残ったのはいずれも3案。明治の時に採用されなかった2案だけが何だったのか、明らかになっていない」と話す。

元号は、大正以降は「登極令」に基づき天皇が「勅定」という形で決め、79年に成立した元号法により、平成からは内閣が政令で定めることになった。

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