「あと半年」瀬戸際に=吉野さん、部下に苦境悟らせず―研究にまい進・ノーベル賞

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リチウムイオン電池の開発でノーベル化学賞に選ばれた旭化成の吉野彰名誉フェロー(71)。当初はなかなか成果が出ず、部下を減らされるなど、研究は瀬戸際に追い込まれたこともあった。

吉野さんらがリチウムイオン電池の研究を始めたのは1981年。研究リーダーの吉野さんを含め6人のメンバーがいたが、間もなく4人に減らされた。会社側は成果が出なければ他の研究に人員を充てる方針だったといい、吉野さんは「われわれの寿命はあと半年だった」と後日明かした。

当時の同僚で科学技術振興機構技術参事の実近健一さん(64)によると、チームが存続の危機に立たされても、吉野さんは「あと半年」と決して口にしなかった。若手を研究に集中させるためだったとみられ、実近さんらは「これは頑張らなければ」と覚悟を決めた。

二つある電極のうち、正極に適した素材が見つからず、研究が行き詰まった時期もあったが、吉野さんが突破口を開いた。82年末の大掃除の後、たまたま目にした論文でコバルト酸リチウムの存在に気付き、研究が一気に前進。執筆者は共同受賞者となるジョン・グッドイナフさんだった。

「世の中にとって一番良い材料は何かをいつも考えていなければ、ピンとこない」。実近さんは「常に一歩、二歩先を考えていた」と吉野さんの眼識を振り返る。

リチウムイオン電池はパソコンやスマートフォンを普及させ、長らく吉野さんはノーベル賞の「本命」とされてきた。10月9日、「今年もないかな」と思いながら実近さんが自宅で発表を待っていると、「アキラ・ヨシノ」の名が。かつての苦労が脳裏に浮かび、「うれしくて、興奮した」。

発表の約2週間後、吉野さんが当時の研究仲間が集まる飲み会に姿を見せた。「昔はいろいろ苦労しましたね」。実近さんが声を掛けると、「そうだね」と懐かしそうに笑ったという。

吉野さんの授賞式での晴れ姿は、中継動画で見届ける。「落ち着いたら仲間を集めて、お祝いしたい」。実近さんらは苦楽を共にした吉野さんと祝杯を挙げる日を心待ちにしている。

かつて吉野彰さんと一緒に旭化成でリチウムイオン電池を研究した実近健一さん=2日午後、東京都千代田区かつて吉野彰さんと一緒に旭化成でリチウムイオン電池を研究した実近健一さん=2日午後、東京都千代田区

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