お帰り、大切な一人娘=8年7カ月経て遺骨発見―宮城の夫婦・東日本大震災9年

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「ようやく娘と一緒に過ごせる」。東日本大震災で津波に巻き込まれ行方不明となった宮城県山元町の大久保真希さん=当時(27)=の遺骨が、2019年10月、同町の沿岸で発見された。父三夫さん(67)と母恵子さん(62)は11日、初めて大切な一人娘と共に命日を迎えた。

震災発生時、真希さんは町内の常磐山元自動車学校でアルバイト従業員として勤務中だった。学校は津波にのまれ、連絡が取れないまな娘を捜し続ける長い日々が始まった。

「親思いの娘。良い人がいるならお嫁に行っていいんだよと話すと、『お父さんとお母さんが心配だから一緒に住んでくれる人と結婚したい』と言ってくれた」と三夫さん。「だから絶対に見つけ出すんだと、諦めたくなかった」

2人で海岸を歩き尽くし、消波ブロックの隙間もくまなく見て回った。役場や警察などに捜索を依頼し続け、海岸の復旧工事を中断して捜してもらったこともある。恵子さんは「それでも見つからなくて、周りに申し訳なくて」と振り返った。

年月がたつにつれ公的な捜索は減り、途方に暮れていたさなか、県警から遺骨発見の連絡が入った。刺し網に下あごの骨の一部が引っ掛かったという。残っていた歯の治療痕とDNA型が一致。8年7カ月ぶりに、真希さんは骨箱に入って帰ってきた。「生きて戻ってきたわけではないのに、こんな表現は普通じゃないと思うが、本当にうれしかった」と三夫さん。

半月ほどは骨箱を開けられなかった。三夫さんは「やっぱり、娘がどんなに変わり果ててしまったんだろうと怖かった」といい、毎日2人で箱を持っては「軽いね」と重さを確かめていた。

発見者の漁師にお礼を言いに行った際、「網の中で白く光っていた。きれいなお骨だから見てあげて」と言われ、帰宅してすぐに箱を開けた。手のひらに収まるほどの娘に、やっと触れることができた。

遺骨はピンク色の小箱に移し、墓には入れず、ずっと夫婦のそばに置くことに決めた。出勤前や帰宅時にいつも声を掛けている。

自動車学校の跡地には、同じく犠牲となった教習生ら37人の慰霊碑が建てられ、夫婦は真希さんが見つかった後も定期的に訪れている。恵子さんは「真希が最後にいた場所。花もきちんと手入れして、きれいにしてあげたい」と話す。

震災以来、月命日には真希さんの写真を持って小旅行に出かけている。三夫さんは「ようやく娘と一緒。11日は3人でゆっくり過ごしたい」と穏やかに語った。

大久保真希さんが勤務していた常磐山元自動車学校の跡地で、慰霊碑に手を合わせる父三夫さんと母恵子さん=2月16日、宮城県山元町大久保真希さんが勤務していた常磐山元自動車学校の跡地で、慰霊碑に手を合わせる父三夫さんと母恵子さん=2月16日、宮城県山元町

東日本大震災で行方不明となり、2019年10月に遺骨が発見された宮城県山元町の大久保真希さん東日本大震災で行方不明となり、2019年10月に遺骨が発見された宮城県山元町の大久保真希さん

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