三菱自の益子前会長死去、71歳=経営再建に陣頭指揮
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三菱自動車は31日、益子修前会長が27日に心不全のため死去したと発表した。71歳だった。葬儀は近親者で済ませた。益子氏はリコール(回収・無償修理)隠し問題に揺れた2004年、三菱商事から送り込まれ、05年1月社長に就任。その後の15年間、難局が度重なった三菱自の経営立て直しに向け陣頭指揮を執ってきたが、健康上の理由で8月7日に会長から退いていた。
益子氏は1972年に三菱商事に入社。経営再建を託され、04年に常務として三菱自に入った。事業の選択と集中を進めながら、東南アジアでの販売拡大に貢献。09年には当時世界初となる量産タイプの電気自動車(EV)「アイミーブ」を発売するなど、環境対応車の推進にも尽力した。三菱グループの支援も得ながら進めた再建にめどを付け、14年に会長となった。
しかし、16年に燃費不正問題が発覚すると、益子氏は社長に復帰。当時日産自動車社長だったカルロス・ゴーン被告との深い関係から、三菱自が日産からの出資受け入れを決断。日産と仏自動車大手ルノーとの連合に合流した。
18年にゴーン被告が逮捕されて3社連合が混乱する中でも、日産の西川広人前社長、ルノーのジャンドミニク・スナール会長らと対話を重ね、連合を先導。19年には加藤隆雄氏を最高経営責任者(CEO)に指名し、自らは会長として3社連合の対応に専念してきた。
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