不破哲三さん死去、95歳=共産前議長、「現実路線」確立
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共産党の理論的支柱の一人として、党の「現実・柔軟路線」を確立した不破哲三(ふわ・てつぞう、本名上田建二郎=うえだ・けんじろう)前議長が30日午後1時20分、急性心不全のため東京都内の病院で死去した。95歳だった。
葬儀は家族葬で行われる。喪主は長女の上田千加子(ちかこ)さん。党葬を後日行う予定。
2003年に政界を引退、06年には党中央委員会議長も退いたが、党の中央委員と常任幹部会委員の要職にはとどまるなど、党内に強い影響力を保持した。24年1月に中央委員を外れ名誉役員となった。現在の田村智子委員長は不破氏の路線を引き継いでおり、党運営の方向性に大きな変更はないとみられる。
1930年1月生まれ。東京都出身。旧制一高在学中に共産党に入党。東大理学部を卒業し、鉄鋼労連(現基幹労連)書記を経て、党本部に勤務した。69年の衆院選で旧東京6区から初当選し、当選11回。70年には40歳で新設の党書記局長に抜てきされ、当時委員長だった宮本顕治氏(故人)を理論面で支えた。「共産党のプリンス」と呼ばれた。
82年に党幹部会委員長、00年に議長に就任。政界引退後も、04年1月の党綱領全面改定では主導的役割を果たし、天皇制や自衛隊を当面容認する現実路線を打ち出した。04年9月に党の社会科学研究所長に就任。06年の党大会で高齢などを理由に議長を退任した。
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