災害と宝玉

社会

アジア、欧州の大使を歴任、日本と世界の文化に造詣が深い小倉和夫・国際交流基金理事長がみる残骸の中の「宝玉」とは何か。

「人間は苦しみがさほど大きくない時には、これについて口にするが、非常に大きい時には、すっかり黙りこくってしまうものである」

ローマの哲学者セネカの言葉である。

東日本大地震と津波による未曾有の災害の余波と余震は、未だにいろいろな形で日本中に残っている。しかし、災害の物理的、社会的、心理的「跡地」からいくつかの「宝玉」が発見されている。あたかも被害を受けた人が、自らの貴重な思い出の品を被災地の残骸の中から見いだしたように。

こうした「宝玉」とは何か。それは人々の災害とその結果に向かい合う心意気である。

全世界の関心が日本に集まった時に、この日本人の心意気が問われ、また注目され、「日本」は再発見されている。同時に日本人は、今回の災害に対するいろいろな国や人々の反応の中に、世界各国の気質や国民性を再発見している。

例えば東アジアの近隣諸国の暖かい支援の声は、これらの国々と日本がとかく歴史的に複雑な関係にあっただけに、一層日本人の心にこれらの国々との距離の「近さ」を刻み込んだともいえる。

そして日本人自身も自分自身を再発見しつつある。関東大震災、原爆の惨禍、そして今回の災害と、過去100年の間ですら巨大な災害や惨禍を被った日本人は、災害にいかに立ち向かうかを学び「知恵」を育んできたのではないか。災害を利用して利己的、経済的、政治的あるいは社会的に利益をあげようと試みる人々が少ないことは日本の「知恵」なのではあるまいか。

「逆境こそ身のためになる愉ばしきもの。それは蝦蟇(がま)に似て、醜く、毒を含んではいるが、頭の中に貴重な宝石を宿している」

(「お気に召すまま」ウィリアム・シェイクスピア)

(3月28日 記す、原文英語)

災害 東日本大震災