さっとやってきて、さっといなくなる

政治・外交 歴史

国際交流基金の小倉和夫理事長は、フランスの外交官で詩人のポール・クローデルの目を通して1923年の関東大震災における米国の控えめな姿勢に思いをはせる。今回の大震災でも米国のそうした姿勢は変わっていない。

1923年の関東大震災は、被害の規模という点では、3月11日の東日本大震災の惨禍を上回る。関東大震災は首都圏で発生したため、多くの外国人が直接の犠牲者となり、一部の大使館の建物や施設も被災した。フランスなど数カ国の領事が亡くなり、多くの大使館員が猛火に包まれる東京から避難した。

クローデルが見た関東大震災

横浜港に停泊中の船に避難しようとした人々の中に、当時の駐日フランス大使で、著名な詩人のポール・クローデルがいた。彼は車で川崎までたどりついたものの、横浜には行けずに、鉄道線路脇の土手でやむなく野宿をした。そのときのクローデルの描写は、身体的な苦しみを詩人の穏やかな語り口で表現しているだけに、強く心を打つ。クローデルは、燃え広がる火を眺めながら一夜を過ごす間にも、夜空にかかる月の汚れのなさ、言いようのない美しさに感動している。

フランスの船「アンドレ・ルボン号」に避難した後、クローデルはフランス大使としての立場から、日本の復興を支援する諸外国の活動を注意深く観察した。彼は、これらの国々から日本と日本の人々に寄せられた思いやりや支援、友情を目の当たりにした。同時に、その善意の中に各国の国益が混じっていることにも関心を持った。クローデルはパリに宛てたある書簡の最後で、友情は友情、国益は国益と明言している。

迅速で、目立たない対応

この詩人のフランス大使は、日本で救援活動を行う米国の手法に特に強い印象を受けたようだ。米国の代表が述べたとされるコメントを、やや羨望を込めて引用している。それは、「私たちは二つ良いことをした。さっとやってきて、さっといなくなったことだ」。

米国の対応に関するクローデルの真意と思いがどこにあったかは別として、「さっとやってきて、さっといなくなる」原則は、東日本大震災における米軍の救援活動でも貫かれているようだ。自衛隊を支援した米軍の特別部隊は速やかに仙台空港に到着し、がれき除去などの仕事を終えるとすぐに、静かに撤収した。派遣された米軍兵士の一人は取材にこう答えている。「私たちの目的は、私たちがここにいたことすら誰にも気付かれないようにすることです」。

この謙虚で、ひそかな自負をたたえたコメントにもかかわらず、米軍の作戦とその貢献は多くの日本人の知るところとなった。日本の人々は、米軍の救援活動の効率性に敬服すると同時に、その控えめな態度に感動した。両国の友好関係は、復興プロセスに対する米国の関与の深さだけではなく、その賢明で思慮深い姿勢によってさらに強まったのである。

(4月18日 記す、原文英語)

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