新たな国際協調の夜明け

政治・外交

日本に対し、世界中の国・地域から支援の手が差し伸べられている。細谷雄一氏は、米国の支援に日米同盟の進化を見い出しつつ、世界の支援に対しては国際協調の精神を育み、感謝を示す必要性を強調する。

東日本大震災後の混乱は、次第に落ち着きを見せつつある。4月14日には、五百旗頭真防衛大学校長を座長とした復興構想会議がスタート、本格的に復旧と復興のための設計図をつくる作業が進みだした。日本国民は悲しみと苦しみを抱えながらも、希望を見い出すべく懸命な努力を始めなければならない。

海の向こうからきた多くの光

この1カ月、多くの日本人が大きな感動を味わった。世界の国々が日本人の困難を直視、悲しみを共感し、支援の手を差し伸べ、日本で救援活動を行ったのだ。1990年代初頭のバブル経済の崩壊後、経済的停滞と政治的混迷の陰に怯えて、多くの日本人は自信を失いかけていた。視野が内向きとなり、留学に行く若者の数は減少の一途をたどり、国際化への取り組みも勢いを失っていた。ところがこの東日本大震災の絶望的な暗闇の中で、海の向こうから多くの光がやってきたのだ。

著名なアーティストや俳優が日本へ向けた愛に溢れるメッセージを送り、世界の政治指導者が真摯な協力姿勢を、行動をもって示してくれた。なんと嬉しいことだろうか。日本人がこれほどまで世界から注目され、愛情を注がれ、そして支援を受けたことは歴史上なかった。外務省が報じるには、世界146カ国・地域および39国際機関から支援の申し出があり、これまでに21の国・地域が緊急援助および医療支援チームを日本に送ってきた。中でも傑出しているのが米国の支援である。2万人以上の米兵が日本の地で懸命な救助・支援活動を行い、加えて艦船約20隻、航空機約160機を投入する「トモダチ作戦」が偉大な成功を収めているのだ。加わった士官の一人は、「これほどまでに誇りを感じた作戦はなかった」と述べた。

震災・戦争と日米関係

歴史を振り返ると、性質は大きく異なるが、危機の後に米国が日本に大規模支援をしたことが二度あった。一度目は1923年の関東大震災である。9月5日のニューヨーク・タイムズ紙が1面トップで震災の様子を詳細に報じ、また、クーリッジ大統領の下で米国政府は他国を上回る迅速さと規模で日本への支援を提供した。多くのアメリカ人が日本に来て支援活動を行ったが、当時の日本陸軍は、アメリカ人が数多く日本に滞在して情報収集すること、そして国民の間に米国への親愛の情が生まれることを警戒し、支援受け入れを限定的な水準にとどめることにした。とはいえ、この時代の日本は大正デモクラシーの中で、政党政治と日米協調の精神を育みつつあり、関東大震災後の日米関係はしばらく安定的に推移した。

二度目は、1945年9月以降の占領時代である。敗戦後の廃墟と化した東京で、マッカーサー連合国最高司令官の下で多くのアメリカ人が日本の食糧危機の解決、そして復興のための改革に携わった。米国は、日本の戦後復興と、冷戦下の迫り来る共産主義の脅威という二つの挑戦に立ち向かった。結果として、日本を自らの同盟国として抱擁し、自立した経済大国へ発展していく道筋をつくった。

具体的な姿を現した日米の深い友情

そして2011年。東日本大震災後の米国の支援活動は、確かに関東大震災後の支援と類似した側面があるが、質的には大きく異なるものであった。米国は日本の同盟国として、さらにはそれを超えた「トモダチ」として、まるでその友情を示すがごとく支援の手を差し伸べたのである。そこには日本社会に対する深い理解、長年の同盟関係で培われた絆、そして英語教育指導者として外国の若者を招くJETプログラムなどの文化交流を通じて広がった親愛の情が色濃くみられる。2009年9月に成立した鳩山由紀夫民主党政権以後、沖縄の普天間基地移設問題をめぐり日米危機が叫ばれ、双方に相手への不信感がくすぶっていた。ところが今回の大震災を契機に、戦後の半世紀を超える日米関係の深い友情が、具体的な姿を伴って現れたのだ。

これは巨大な精神的な変化である。すなわち、これまで日本に3万人規模の米兵が在日米軍基地に駐留していたとしても、本当に米国が日本人の生命を助けてくれるのか、多くの人々にとって予測できないことであった。ところが今回の大震災は、同盟の真の姿を照らし出した。廃墟と化した被災地で、米国の兵隊たちは躊躇なく全力で被災地の日本国民の生命を救出し、危険な放射能汚染にも立ち向かい、また優しい表情で被災者に語りかけ、われわれを鼓舞し、癒し、そして励ましてくれたのだ。実際にそのような様子を多くの国民が映像で目にし、あるいは直接現場で体験したことで、日米同盟は心と心がつながった同盟関係へと進化しつつあるのだ。

より一層国際社会に開かれた国に

第二次世界大戦末期に、多くの諸国が日本に目を向けていたが、それは日本を攻撃し、打倒し、日本人に敗北を受け入れさせるためであった。ところが今回は違う。世界146カ国・地域の人々が日本に目を向けているのは、心からの友情を示すためであり、多くの諸国の政府関係者やボランティア関係者が日本を訪れたのは日本国民を支援するためであった。太平洋戦争の後に、日本に対して最も強硬な姿勢を貫いていたオーストラリアは、今やギラード首相が訪日して被災地を訪れ、優しい声を投げ掛けてくれているのだ。

90年ほど前の関東大震災後、日本は世界のほとんど全ての独立国である57カ国から救援物資や義援金を受けた。ところがその20年後に日本は世界中を敵に回して、戦争で大暴れした。日本は自らの国を国際社会に開かずに、内側に閉じこもり、自らの視野狭窄な正義感を発酵させ、戦争へと突入したのだ。それは、震災後に世界中の諸国の人々が示した誠意を、踏みにじる裏切りでもあった。現在は違う。日本は世界に開かれた民主主義国家であり、国際社会から堂々たる信頼を確保している。だとすれば、復興に巨額の費用が掛かることを理由に、日本政府がODA支出を削減することや、世界各地の困窮から目を背けることは、とても正当化できない。日本はより一層国際社会に開かれた国となり、より一層国際協調の精神を育むことで、この度の世界各地からの心のこもった支援に感謝を示す必要があるのだ。

(2011年4月25日 記す)

東日本大震災