災害は自己と他者を映す鏡である
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日本での大災害に当たって海外の人々が示した同情、支援そして連帯の環の広がりは、これまた未曾有なほど大きかった。日本在住の外国人の中にも、帰国するどころか一緒に頑張ろうと地元の人々を励ました例もある。
こうした「連帯」の環の広がりは世界が一つであり、日本人も地球村の住民であることを一層意識せしめることとなった。一方、今回の災害の際の日本人の対応について、海外の多くのメディアが驚きをもって報道した。そこには、日本に対する賛嘆の気持ちが込められている場合もあるが、同時に日本の異質性を強調する傾向も含まれている。すなわち、日本人の対処の仕方の中に何か「日本的なもの」を海外の多くの人々が見いだしたとすれば、海外の人々の日本を見る目が、やはり日本の独自性に向かいがちなことを暗示している。
各国の反応に見られる国民性
他方、各国の反応は、逆にその国、その国の国民性や特徴を自然のうちに映し出したものでもあった。ドイツやフランスでは、地震・津波災害そのものよりも原発への被害とその影響に関心が集中した。その裏には、自国の原発について本当に大丈夫か、という一抹の不安を抱く市民が少なくないからだろう。言い換えれば、それだけヨーロッパの大部分は、地震や台風や津波の無い「安全」な土地であり、逆に少しでもその安全が壊れる事態に対する恐怖心が常に存在するからとも考えられる。
これに対して、アメリカの報道では、東京電力や日本政府の情報管理と開示の仕方への批判がかなり見られた。これは、情報流通の自由を金科玉条の社会道徳とするアメリカらしい反応だ。
韓国や中国のメディアでは特に災害の直後、日本国民への温かい感情が報道の中に混じっていた。これは、事実そのものの報道よりも自分の気持ちの表現が先に立つほどの「親密さ」が東アジアにはあったせいともいえる。
まさに大災害は本当の自己と、そして同時に、他人の姿を映し出す鏡なのだ。
(4月25日 記す)