天災と人災

社会 環境・自然

国際交流基金の小倉和夫理事長は、自然が加害者で人間は被害者のように思える天災も、人間の営みがもたらした災いという見方も成り立つと指摘する。

地震や津波で被害を受けた人々は被害者だ。震源地からかなり離れた首都圏でも家屋の一部に被害を受けた人も少なくない。しかしその「被害者」が△△の野菜は買わぬ、××の魚は食べぬと言って間違った風評を広げれば、一転して加害者の一人になる。

東京電力も津波と地震の被害者であるが、原発事故の責任者としては加害者になる。日本という国全体をとっても、大震災の当初は海外から同情と支援の声が殺到し、いわば被害者だったが、原発の放射能問題が深刻になると、放射能の源として加害者扱いされている面もある。

誰が加害者で誰が被害者か

このように災害において一体誰が加害者で誰が被害者かは微妙な問題だ。地震などの自然災害においては、一見、自然が加害者で人間は被害者のように思える。しかし、そもそも海岸を埋め立てたり、工場を海辺に作ったり、景観のよいところにホテルを建てること自体は人間の営みである。そうした人間の営み故に人間が被害を受けたとすると、天災も実は人間の活動そのものがもたらした災いではないかという見方も成り立つ。

被害を受けた個々の人々の苦難は深い同情に値するが、自然の神から見れば、人類は自然の力の被害者であると同時に自然に対する加害者に見えるのではあるまいか。

言い換えれば、自然の力の「脅威」に常日頃さらされている人々こそ、真の自然保護者になり得る資格があるのかもしれぬ。

(5月12日 記す)

災害 東日本大震災