政治家に「謙虚さ」を求めたい
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現在の政界に、最も欠けているものは「謙虚さ」であると思う。
予算委員会の質疑などを見ていると、議員も閣僚も開き直ったり、居丈高になったり、大見得を切ってみたりといった場面がよく見られる。内容が乏しい割には、態度だけが大きい。しかし、それでは国民には何も伝わらない。謙虚に気持ちを伝える努力が必要だ。特に菅総理には、もう少し真摯な対応を心がけてもらいたい。「だましてやろう」などという気持ちがいささかでもあれば、見ている方はすぐに気づく。誰からも信頼されなくなるだろう。
小渕内閣に学ぶ、ねじれ国会の乗り切り方
たしかに、現在の国会は衆参の多数派が違うねじれた状態にあり、難しい状況であることは間違いない。しかし、ねじれ国会は今に始まった問題ではない。海外でも、米国ではしばしばホワイトハウスと議会がねじれた状態になるし、日本でもねじれ国会は多く経験している。近年で一番大変だったのは、小渕内閣の時ではないだろうか。
当時の小渕さんの姿勢は、今の菅さんに比べてはるかに謙虚だった。野党の話をよく聞き、必死になって合意を目指しておられた。金融国会が紛糾して野党案を丸呑みすることになったときも、危機を乗り越えるために自分のプライドを捨て本来の主張を抑えて合意を形成することを優先した。国会で合意を形成するためには、常に与党がより謙虚にならなければならないが、小渕さんは本当に命がけで対応していたと思う。自自公連立もまさに命をすり減らして成し遂げた。結果的に寿命を縮めてしまったことが残念でならない。現役の国会議員たちには、ねじれ国会でも法案の成立率が非常に高かった小渕内閣のことを思い起こしてほしい。
以前の自民党政治は、巧妙な国会対策が支えていたといえるかもしれない。問題を克服するためには、政府案を譲歩して野党案を採用していた。結果的には功罪両面があるだろうが、国会運営のために自らの主張を抑えて滞りなく行政を執行していたのは、与党としての責任感、使命感があったからだろう。いまの与党にはそういう責任感、使命感が欠けている。
参議院で与党の数が足らないからと一本釣りで数合わせをするのは愚の骨頂だ。ねじれ国会で法案を成立させるために重要なのは、実は与党が圧倒的多数を占める衆議院での審議なのである。議席数に差がある衆議院の方で、野党の意見に耳を傾け、合意できるところは合意してから参議院に送ることで状況を打開できることも多い。現在のように、衆議院を数で押し切り、あとは参議院でよろしく、では通るものも通らないだろう。
安易な「大連立」の危うさ
最近は少し落ち着いたようだが、もう一つ私が危惧しているのは安易に「大連立」が語られることだ。ねじれ克服の一つの方法ではあるが、政党政治が劣化し、政治家が責任を取らなくなった現在の状況での大連立は本当に危ういと思う。もしも大連立ができてしまえば、国会内の反対派は共産党プラスアルファのほんの一握りになり、憲法改正でもなんでもできてしまう。「大連立だ!」と騒ぐ若い政治家や、評論家たちは、かつての日本で同じような状況の国会が道を誤らせた歴史があることをどうか思い出してもらいたい。
(6月29日 談)