ペルー人移民が日本社会に溶け込めるよう尽力

文化

日本におけるペルー人社会は、韓国、中国、ブラジル、フィリピンに次ぐ規模。また、日本は、TPP交渉や経済連携協定によりペルーとの関係強化を図っている。両国が共同で取り組む将来についてエラルド・エスカラ駐日ペルー大使に聞いた。

エラルド・エスカラ Elard ESCALA

1951年2月リマ生まれ。経済学者で国際経済政策の修士号を有す。 1974年、ペルー外交学校の国際関係専攻を卒業。ドイツ、アルゼンチンの大使館勤務を経て、1994年から2000年まで駐インドネシア大使。その後、2004年から2009年までルーマニア大使兼モルダビア共和国大使。内2007年から2009年までは、セルビア、クロアチア、モンテネグロ、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ各国大使も兼務。2012年3月15日より、駐日本特命全権大使。

日本とペルーの外交140周年

——今年は両国の外交140周年ですが、両国の関係強化のためにどのようなことをお考えですか?

「既に多くのイベントが実施されました。例えば、岐阜県の子供たち100人がペルーを訪問し、日本のオペラ『あららぎは谷を越えてゆく』を演じ大成功を収めました。大使館では、ペルーの歴史家フェルナンド・イワサキ氏と日本の歴史家お二人の参加を得て歴史についての講演会を開催。イワサキ教授の講演のおかげで、ペルーが約400年前から密貿易を通して日本と関係を持っていたことを知りました。さらに、140周年記念の一環として、2014年1月末頃にも秋篠宮ご夫妻が我が国をご訪問されることになりそうです。また、8月にはリマにおいて外務省、国会でそれぞれ記念行事が開催され、日本からは西村康稔内閣府副大臣が出席されました。」

——ペルーでは日本文化に興味を持つ人が増えていますか?

「多くのペルー人にとって日本と触れ合う機会は、身近なテクノロジーを通してです。ペルー人は技術革新に対する日本人の能力を高く評価しています。マンガや演劇のような文化的側面では、日秘文化会館を介して広く普及しています。ペルー人は日本に対して非常に良い印象を持っていると思います。」

ペルー移民がより深く日本社会に溶け込めるための努力

——リーマンショック後の経済危機で、国外にいる多くのペルー人が帰国しました。2013年10月には、ペルーで「帰国移民者に対する経済的社会的復帰支援法」が施行されましたが、日本からも多数の帰国者がいたのでしょうか?

「日本にある外国人社会の中では、2008年の経済危機以降、本国への帰国者数が最も少なかったのがペルー人社会でした。帰国支援策への応募者も最少です。2013年11月の最終週までに復帰支援法の恩恵を受けた日本からの帰国者は3人だけです。法律の条件はかなり魅力的ですが、日本で定職を持つペルー人は帰国を望んでいません。」

——日本にいるペルー人の住み心地はよいようですね。

「日本に住むペルー人の大部分は日系人です。彼らは安定した仕事を持っているので、家族支援のためにペルーへ送金をしているにも関わらず、日本でもまずまずの生活ができているのだと思います。」

「出稼ぎ」意識からいかに抜け出すか 

——日本・ペルーともに、何世代にもわたる日系人が、それぞれの国にとって重要なコミュニティーを形成しています。両国の関係強化のために、今後日系人社会を通じたどのような交流が可能と考えますか?

「日系ペルー人コミュニティーは、1980年代終わりから90年代の初めにかけて来日しました。彼らの多くは手に職を持った人であり、数年後にはペルーに帰国するつもりの「出稼ぎ」のメンタリティーで来たものです。しばらくして家族を呼び寄せた者や、別のペルー移住者と結婚し家庭を持った者もいます。20年経た今でも、その「出稼ぎ」の考えが抜けていません。

現在、我々が直面している大きな問題は、これらペルー人移民者を日本社会に適切に組み込むことであり、「出稼ぎ」メンタリティーを捨てさせることです。2013年1月に、それまであった複数のペルー人団体を統合し、日本社会への融合を目的に「在日ペルー人協会」を設立しました。

一方、東日本大震災後、日本人被災者を支援するために在日ペルー人が団結しました。以前にはなかったことです。宮城県南三陸町では、津波で2隻以外のすべての漁船を喪失してしまいましたが、ペルー人たちは新しい船を贈るための募金を集めました。これは、ペルー人たちがそれまで日本で受けたおもてなしへの感謝を表す、この国へのひとつの貢献です。」

——在日ペルー人たちの生活改善のために日本政府にどのようなことを希望しますか?

「私としては、ペルー人も他の国からの移住者と同じ一員であり、ペルー人だけに政府から何かを望むべきではないと考えています。反対に、ペルー人として日本のために何ができるかを考えるべきだと思います。もちろん、日本としてビザを取得しやすくするとか、手続き面での便宜を図って戴ければありがたいとは思いますが。」

TPPを通じて深まる日秘経済関係

——ペルーも日本も現在TPP交渉に参加しています。協定は二国間関係にどのような恩恵をもたらすとお考えでしょうか。

「TPPは、APEC加盟国である12ヵ国で交渉をしてきた協定です。安倍政権が交渉への参加を決定した際に、ペルーはサポートしました。世界第3位の経済大国としての日本のTPPへの参加は、今後の国際貿易の方向性を決めることになる規定が交渉されることもあり、非常に重要です。

日本は既に、APECのメンバーであるペルー、チリ、メキシコとそれぞれ経済連携協定を締結しています。TPPの枠組みの中での交渉は、これら経済連携協定をさらに深化させるために役立つでしょう。TPP交渉に参加しているペルー、チリ、メキシコの3ヵ国が、いずれも太平洋同盟の加盟国であることも重要です。隣国のコロンビアもこの同盟の一員です。太平洋同盟が重要であることは、発効から1年あまりで日本も含め合計25ヵ国ものオブザーバー国がいるということでも分かりますが、かつて国際的な組織ではなかったことです。」

——2012年3月に日・ペルー経済連携協定が発効しましたが、二国間の経済関係にどのような変化が現れましたか。ペルーは日本からどのような部門への投資を期待しますか?

「日・ペルー経済連携協定(EPA)の発効1年目で両国間の貿易は19.3%増加しました。この傾向が続くよう期待しています。EPAには投資項目があり、補完的に投資保護協定にも署名しています。EPAは、長期的に両国間関係を強化する非常に強力な仕組みです。さらに、中小企業を支援するメカニズムを含んでいます。

ペルー政府は石油化学産業とインフラ産業の開発にプライオリティーを置いています。これは、日本政府が海外でのインフラ投資を進める計画とも合致しています。我々は、日本に、ペルー南部地域での石油化学プラントや、リマ地下鉄2号線のようなインフラ整備のための入札プロセスに参加してもらえると確信しています。」

まだ“内向き志向”の日本

——しかし、最近の日本からペルーへの直接投資は減っているようですね。

「日本はペルーの様々な企業に参加料を支払って参加していますが、直接投資とは言えません。例えば、既に活動していた鉱物資源採掘企業への参加権を購入しています。この参加権の購入というのが最近のペルー経済に占める日本の直接投資の形です。」

——日本はアベノミクスで少し元気になりましたが、総じて“内向き”だと思われませんか?

「それは間違いありません。それはまさに文化的な型に対応していることなのだと考えます。日本は戦後、国内市場に応じて成長してきました。日本は輸出国ではありますが、その輸出がGDPに占める割合はそれほど大きくありません。反対に韓国などでは、輸出の割合はGDPの60%ほどを占めています。日本の場合は20%にも届きません。

最近驚いたのは、東京モーターショーで世界の車が見られると思って行ったのですが、韓国車も中国車もアメリカ車もなかったことです。一部の欧州車の例外を除けば、ほとんどが日本メーカーの展示のみでした。

日本では栽培されていない農産品がありますが、輸入が制限されているものがあります。私の見たところでは、日本の消費者の味覚が変わってしまわないように取られている措置のように思えます。このことは矛盾も生んでいます。例えば、ペルーでは農業は助成を受けていませんが、コメの値段は1Kg当たり約80円相当です。日本では、助成を受けているコメが1Kgで約300円もします。」

印象的な産官学の協力

——着任されてから、日本にどんな印象をお持ちですか。

「私は、2012年3月15日に日本に着任しました。着任後すぐの任務が、オジャンタ・ウマラ ペルー大統領の日本公式訪問の準備でした。時間は6週間しかなく、初めての国に適応するにはあまりに短い時間でした。4日間で約100人の方々とお会いしましたが、最初はみな同じ顔、同じ苗字にしか思えませんでした(笑)。

非常に大きな挑戦でしたが、幸い訪問は成功裏に終わりました。その最初の6週間で、日本には政府と民間と学術機関の間の非公式な絶妙な結びつきがあることが分かりました。3者間で非常にスピーディーに相互に働きかける仕組みを持っているのです。これはペルーにはありません。民間部門が行いたいと考える研究を大学が実施し、政府は、学術部門で得た知識を使った産業の開発のために必要な枠組みを与えるという関係です。非常に興味深かったです。」

——日本の読者にメッセージをお願いします。

「日本在住のペルー人たちは、非常に熟練した有能な人材であり、資産も築いており、日本の発展に積極的に貢献しています。これはあらゆる分野で言えることです。今、既に二国間で調印された協定や今後合意する協定を基に、経済分野のみならず文化、観光においても関係強化を図りたいと考えています。

昨年、EPAの調印後両国の貿易が19%増加するとともに、ペルーでの日本人観光客が21%増えました。日本人のインカ文明、特にマチュピチュやナスカの地上絵に対する大きな関心によるものだと思いますが、日本のテレビ番組でのペルー文化についての放映も大きく貢献しています。ペルー文化を広めてくれる日本のマスコミにも感謝しています。そして、もちろん、ペルーにおける日本の直接投資が増加することも確信しております。」

 (インタビューは2013年12月3日、東京・広尾の駐日ペルー大使館内で、ニッポンドットコム代表理事 原野城治により行われた)

ペルー産キヌア料理を体験~「食」を通じ大使館員と市民が交流~

ペルー産の“キヌア”(穀物の一種)ってどんな食材?

インカ文明では「穀物の母」と称された食材を使ったペルーの民族料理を体験する催しが2013年12月7日、東京・原宿で行われた。NPO法人国際芸術家センター(IAC)がペルー大使館の協力を得て開催した「食から知る民族文化」交流イベントで、会場には一般市民などが多数集まった。

ペルーといえば、マチュピチュやナスカの地上絵などの世界遺産でも有名だが、冒頭、駐日ペルー大使のエラルド・エスカラ氏があいさつ。2013年が日本とペルーの国交樹立140周年に当たる記念すべき年であり、国連食糧農業機関(FAO)が「国際キヌア年」と宣言した年である、と紹介した。

このあと、ペルー大使館の料理人がキヌアの料理法などを説明。参加者らが大使館員から手ほどきを受けながら、キヌアを使ったスープや魚介類を加えたキヌアリゾットなどを調理し、会食を楽しんだ。煮たキヌアは軽いプチプチとした食感がある。

キヌアは飢餓撲滅に果たす役割も

キヌアはペルーのほか、ボリビア、エクアドルなど南米アンデス山脈一帯が主産地。冷涼少雨な気候でもよく育ち、他の雑穀と同様に栄養価も高い。主に標高2500m以上の地域で栽培されている。FAO統計によると、2011年のキヌア生産量は約8万㌧。世界100カ国以上で生産されているトウモロコシの約700分の1の生産規模。

南米以外では日本を含めほとんど生産されていないが、近年、健康食品として注目されている。また、キヌアは飢餓や栄養不良、貧困の撲滅に役立つ穀類としても期待され、「食糧不足に苦しむ国々の大事な選択肢」とも言われている。キヌアは高たんぱく質であるほか、人体に必要な8種の必須アミノ酸を含み、グルテンフリーでもある。

文=原田 和義

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