「日中韓はより柔軟に、日米経済交流は拡大を」富士ゼロックス元会長・小林陽太郎氏

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米国の影響力低下や中国の台頭など、世界の政治経済の潮流が変化する中で、日米経済関係はかつての摩擦の時代から、新たな関係を模索する時期を迎えている。小林陽太郎・富士ゼロックス元会長に、日米関係や日本企業のあり方を聞いた。

小林 陽太郎 KOBAYASHI Yōtaro

学校法人国際大学理事長。元富士ゼロックス会長。1933年ロンドン生まれ。1956年慶應義塾大学経済学部卒業。1958年ペンシルベニア大学ウォートンスクール修了後、富士写真フイルム入社。1963年富士ゼロックスに転じた後、代表取締役社長、92年代表取締役会長、2006年相談役最高顧問、09年退任。2003年より現職。1986年より経団連国際企業委員会委員長(~88年)。1998年日本アスペン研究所(※1)理事長。1999年経済同友会代表幹事(~2003年)。

米国の影響力低下、中国・ロシアの台頭

——国際社会における米国のリーダーシップが相対的に低下し、世界の方向性を決める主要国メンバーもG8から新興工業国などを加えたG20に拡大しています。こうした世界の潮流変化をどうご覧になりますか。

「最近のロシアによるウクライナ南部のクリミア編入の動きを受けて、ロシアと米欧との対立が続いていますが、これを見ても長く続いてきた米国のパワーにかげりが見えてきたとの印象を受けます。他方、中国は早い時期から力をつけてきており、いずれG2(米国と中国の2大国)時代もあり得るのでは…と考えてきました。ただ僕の見込み違いは、ブッシュ元大統領(共和党)から政権交代した当初、理想主義を掲げるオバマ米大統領に抱いていた期待が率直に言って裏切られた点です」

「米国の相対的な地位低下は、米国自身も予想していたことでしょう。しかし、オバマ大統領の最近のスピーチを聞いていても、中から湧き上がってくるものがない。オバマ氏個人のリーダーシップの欠如というか、彼の資質が世界の変化やチャレンジに耐え切れないで、今のような状態になったのではないか。そんな感じがしています」

「一方では、中国やロシアは勢いがつくととめどなく進んでいく。既成事実を作って、後戻りはしない。習近平国家主席やプーチン大統領からは、米国の弱さを見透かされている。ウクライナやクリミア問題でも欧州と米国では対ロシア制裁で一枚岩ではないし、『プーチン氏のほうがオバマ氏より一枚も二枚も上手』と指摘する学者がいますが、私もそう感じます。そうした中で、日本の立場は微妙ですよ」

富士ゼロックスは石油危機で存亡の危機も経験

——外資系企業の代表格である富士ゼロックスの経営に50年近く携わってこられました。長い年月を振り返って、企業経営者としては現在どのような境地でしょうか。

「僕たちが現役だった1980~1990年代と比べ、今の経営環境は経営の道具を含め全く違います。当時は物事の判断の際に、積み重ねとか、一つ一つ検証して次へ進むとか、そういった手順を踏むべきだとされていました。今の経営者はそういうことをする暇もないし、インスタントにいろいろな情報も入ってくる。振り返ってみると、富士ゼロックスの場合、1960~1970年代、日本の親会社である富士写真フイルムと米ゼロックス社との間では、人間関係が強く信頼感もあった。いい意味でお互いにプライドも高かった。ゼロックスは発展するアジアに向けて日本に拠点を作りたかったし、富士写真フイルムも将来の新しい写真技術などを得る必要があった」

「当時の富士ゼロックスのチャレンジの一つはモノ作り。いいものを安く、タイムリーに作ることでした。富士ゼロックスが設立されたのは、私が入社する1年前の1962年でしたが、モノ作りを目指した会社で、外向きには早く一人前の会社になろうと目指してきた。ただ、地道なモノ作りという点では反省すべきところもあり、1974年のオイルショックの際に、(会社存亡の危機に直面するほど)思い知らされました」

「もう一つは、合弁相手のゼロックスから見たり聞いたりして、学ぼうとしたこと。それを親会社の富士フイルムは自由にやらせてくれた。もともと富士ゼロックスは中途採用者の集まりで、苦労人が多かった。それだけに企業カルチャーづくりは、1970年代以降、私が社長を退く1992年まで大きなテーマでした。結果的には、富士ゼロックスは世間に先駆けてITや情報化で新しいものを導入したが、悔いが残るのは“可能性がある新しい分野”を思い切って一つか二つやることができなかったことです。ともかく、当時に比べ今の経営は大変です」

激しい日米摩擦が経済人同士の絆を作った

——小林元会長は、経済同友会代表幹事や日米財界人会議の日本側議長、日米欧委員会(現・三極委員会)のアジア太平洋委員会委員長なども務めました。1970~1990年代の日米経済摩擦の後、最近の20年では、摩擦は減ったが日米財界人同士の関係や人脈も希薄化しているようですが…。

「はっきりしているのは、僕らの世代よりも現在の若い経営者のほうがより多くMBAを取っている。海外経験も豊富で、語学力も全体として上がってきている。それにもかかわらず、財界人・経済人同士のコミュニケーションや友好関係があまり見られないのは、どうしてかなぁと思うんですよね。皮肉な見方をすれば、日米間で自動車やフィルム、保険などの摩擦の具体的案件が材料となってガンガンやり合ったことが、結構、経済人同士の信頼関係や絆を作ってきた面もある。今はそういう意味では、共通に取り組んで解決しようという問題が以前に比べ、なくなったわけではないがシャープさを失っているとは思います」

「しかし、日米の経済界で共通の問題にしなければならないテーマは、中国の問題を含めていろいろあるわけです。もっとも、僕が日米財界人会議の日本側議長だった時に、日米経済問題はさておき、『たまにはもっとアジアを視野に入れながら中国の問題も議論してはどうか』と提案しても、米側が全然乗ってこなかった。最近の財界人会議の雰囲気はよく知りませんが、やはり共通のテーマを一緒に考えて、それなりの解答や方向を見つけていこうという意欲が、双方に薄れている感じがします」

「4月半ばに米アスペン研究所 が日本で会議をします。米国とアジアとの関係の再構築について、3日間議論する予定です。米側参加者にはマイケル・グリーン氏ら政府関係者らもいるが、いわゆるビジネスマンが少ない。日本のメンバーも経済同友会代表幹事の長谷川閑史・武田薬品工業社長らが出席されるようですが、最近の財界人会議のメンバーも変わってきていて、経済人が少なくなっているような感じがする。マクロの議論をすると、『経済人はミクロのことだけ考えていればいい』といった雰囲気があったりする。『国際会議に出るための合理的な理由は?』『業績にはどう影響するのか?』といった声もあり、これらが経営トップにも影響を与えているような気がする」

貿易赤字への危機感は意外と少ない

——モノ作り、貿易立国だった日本はGDPで中国に抜かれ、貿易赤字が増え経常収支の悪化が進んでいます。日本企業が置かれた状況をどうご覧になりますか。

「日本の貿易赤字が当たり前だったころの議論の中には、貿易赤字だからと心配することはないと言われていた。直接投資をどんどん増やし、そのリターンを得ればいいと言われていました。現在の赤字がどこからきているのか、という問題もありますが、これは大変だという感じでは、あまり悩まなくなったのでしょうか。その点については、日本は今後どの分野で何を輸出していくべきかといった戦略的な問題について、私が理事長を務める国際大学でも議論しています」

「輸出というのは、今まで日本の力を示してきたが、何が日本の力を弱めているのかの認識は必要です。ただマクロで貿易赤字が膨らんでいることへの危機感は意外と少ないですね。これに対して企業のレベルでは、貿易赤字が当たり前だった時代のことを直接・間接的に中堅経営者らの心構えとして考えておくよう話をしていくことも必要なことでしょう」

土台を支える「良いモノ」を作り続ける努力が必要

——日本のお家芸とも言われてきたエレクトロニクス業界や家電業は国際競争力を低下させました。小林元会長が社外取締役をされていたソニーもかつてのトップランナーから凋落し、連続赤字を出しています。日本の強みであった“モノづくり”復活への課題は?

「例えば、トヨタ自動車やコマツ製作所などが継続してあれだけの成績を上げている。それは、基本に戻って合理的なものの考え方、何をやるにしても『なぜ』『いつやるのか』といった問題をきちんと整理しながら進めていくという、企業体質を失わないようにしているからでしょう。企業の中での『伝承』というのは、企業にとってのモノ作りの尊さや、わが社は何を強みに勝ってきたのか――といったことを次の世代に伝えていくには、頻繁にメッセージを出し続けることが大切です」

ソニーは必ずカムバックする

「いまソニーを見て感じるのは、ソニーがより良いテレビ作りなどエレクトロニクス分野でリードしていた時代があったが、そうした(成功体験的な)ものに縛られてしまった面がある。ソニーの企業カルチャーは『より良いモノ』と考える前に、『違うモノ』という考え方でした。つまり、『似たようなモノをより良くして出す』ことにはあまりモチベーションを感じていなかったのかもしれない。違うモノというのは、新たな投資が必要な場合もある」

「しかし、『より良いモノ』を作るというのは、今までの投資を活かしてやっていくことです。『違うモノ』を追求することは必要ですが、それだけを狙っても事業が成功する確率は低い。一方で、(経営の)土台を支える『より良いモノ』をどう作り続けるかということも欠かせません。それには地道で合理的な活動を続けることしかない。ただ、ソニーは必ずカムバックすると思いますよ。エレクトロニクス企業として復活するかどうかは別としても…」

——アベノミクスの成長戦略の本格的な実行はこれからです。この1年の円安・株高の動きは、輸出企業などの業績改善に追い風となっていますが、半面、円安のマイナス面も指摘されています。日本経済再生についてはどうご覧になりますか?

「アベノミクスは率直に言って、3本の矢のうち、金融と財政は比較的順調にきたが、3本目は簡単ではないと思う。アベノミクスそのものについては、株価が毎週のように上下に振れているが、全体としてはある程度の規模の企業の数字はいいし、ベースアップもありました。だが、他方で格差の問題も存在します。僕が今一番心配なのは、駆け込み需要後に消費税アップの影響がどうなるかです。こうした問題に政府が対処する際の施策に対し、国民がどこまで信頼感を持って受け止めているかです」

「今は安倍内閣への支持率も低くはないが、総理が責任をお感じになるべきは、特定秘密保護法などの(法案成立のプロセスで)信頼感を得たのかということです。今までの幾つかのケースを見ていると、圧倒的に優位な(議員)数の力で押し切っている。野党の責任もあるが、十分議論を尽くしたとは思えない。これまで外交を含め、政権交代後の安倍内閣はよくやってきましたが、集団的自衛権行使の問題などで国民の信頼を裏切らないようにしてほしいと思います」

日中韓の関係改善には双方の柔軟姿勢も

——小林元会長は経済人として、日中関係の改善にも尽力されてきましたが、安倍内閣の課題でもある日中韓関係についてはどうお考えでしょうか。

「日中、日韓は一言でいえば、“どっちもどっち”という感じです(笑)。ただ、歴史認識の問題をあまり表に出されると、解決の糸口が見出しにくくなる。そこは韓国も中国も、もうちょっと現実的というかフレキシブルになってほしいと思います。確かに、普通の常識的な日本人が、戦後の日本の学校教育で教えるべきものを教えてこなかったという面もあるが、歴史を全然知らないという人がそんなに多いとは思わない。むしろ、中国が問題にしているのは、政治家たちの発言です。そう言いながら、徐々に日中双方とも動いている感じですね。一挙には関係が改善していかないかもしれませんが…」

——小林元会長はビジネスリーダーとして、「性善説=相互信頼」を企業経営の理念の一つに掲げておられました。企業が目指すべき経営理念やCSRなど戦略についてのご所見は?

「人間にとって働くことはいかに大切なことか。働くことは人間の尊厳そのものにかかわるものです。IT時代で何もかも便利になっていますが、より良いモノ、より安いモノを作るときにやはり人手は必要です。より少ない人手で、より大きな価値をいかに作り上げるかが主流の考え方ですが、企業経営はそれでいいのかなと感じます」

「先日、合理化に取り組むある企業経営者と話した際、合理化の成果はあったのですが、その経営トップは『本当にこれで正しいことをやっているのかな?』と述懐していました。企業が頑張ることの重要な要素の一つは、経営者と社員が一体になることです。マーケットが企業を見る目も、短期的な企業利益に左右されず、もっと複眼的に企業経営全体を見ることが大切ですね」

(インタビューは2014年3月25日、東京・六本木の国際大学東京事務所内で、一般財団法人ニッポンドットコム代表理事・原野城治により行われた)

文=原田 和義(ニッポンドットコム・シニアエディター)
写真=花井 智子

(※1)^ 日本アスペン研究所…米国で戦後いち早くスタートした米国のアスペン研究所の活動を見習い、日本で1998年4月に設立された研究組織。小林陽太郎氏が研究所の設立当初から理事長を務める。専門家たちが専門性を深めつつも個々の領域に閉じこもったりすることのないよう、ゲーテの作品などの「古典」から人類の進歩に欠かせない普遍的な規範や価値を学び取ろうとする高度な知的交流の場として存在。エグゼクティブ・セミナーをはじめとする様々なセミナーを開催している。

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