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谷口ジローの世界を求めて

文化

今年2月に69歳で亡くなった漫画家・谷口ジロー。原画展「描くひと 谷口ジローの世界」が開催されたのを機に、その足跡を振り返る。

漫画家の谷口ジローが今年2月に世を去ったとき、日本では『孤独のグルメ』の作画者という紹介が圧倒的多数を占めたが、フランスではル・モンド紙をはじめ「『歩くひと』、『遥かな町へ』の著者」として報じられた。メビウス、フランソワ・スクイテンといったフランスやベルギーのバンド・デシネ作家の影響を受け、自身の著作も上記2作を含む多数がヨーロッパで翻訳出版され、おそらく日本以上に高く評価されている。その一つの表れが、2011年にフランス芸術文化勲章シュヴァリエ章を受勲したことだろう。日本の漫画家では大友克洋、松本零士とともに3人しかいない。

そんな谷口ジローの原画展が開催されている。また、12月8日には未発表の遺作を含む新刊2点が小学館から刊行された。原画展の展示作品を見ながら、日本の漫画界で類いまれな存在感を放った作家の足跡を追ってみたい。

日仏会館ギャラリーでの原画展「描くひと 谷口ジローの世界」。作品の原稿、原画を年代順に展示。ネーム指定の鉛筆線もそのままの状態で額装されている(©パピエ)

闘病生活の2年間に描かれた遺作の一つ『光年の森』(小学館)より。日本では珍しいオールカラー、横長フォーマット。「風景を単なる背景として描くのではなく、風景が持つ感情を語らせる」という谷口の意図がある(©パピエ)

未完の原稿を含む『いざなうもの』(小学館)は、SF、時代劇、近代、文学と谷口が挑んできたさまざまなジャンルの作品が収録されている(©パピエ)

あらゆるジャンルを網羅

谷口ジローは鳥取県出身。1970年代に劇画誌「週刊ヤングコミック」でデビューし、80年代には関川夏央、狩撫麻礼(かりぶ・まれい)といった新進の原作者と組み、劇画界のニューウェーブとして活躍した。狩撫麻礼との『青の戦士』、『LIVE!オデッセイ』、『ナックル・ウォーズ』、『ルードボーイ』などは今もファンが多い。関川夏央との『事件屋稼業』は雑誌や出版社を変えながら94年まで続き、初期の荒々しい描線から洗練された繊細な描線までの変化が読み取れる作品になっている。

初期の傑作『海景酒店 HOTEL HARBOUR-VIEW』(双葉社)。90年にカナダで英訳版が出版され、谷口にとって初の海外進出となった(©パピエ)

小説家・矢作俊彦の『マンハッタン・オプ』でイラストを担当。アメリカン・ハードボイルド小説にフィルム・ノワールの雰囲気が漂った

80年代後半~90年代にかけて『ブランカ』で動物漫画の新境地を開き、『K』(原作・遠藤史郎)で山岳漫画、第2回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞の『「坊ちゃん」の時代』で近代文学者の群像劇というまったく新しい分野の漫画を開拓。SFの『地球氷解事紀』、ファンタジーの『原獣事典』など、さまざまなジャンルを描き、多彩な才能を発揮した。これほどなんでも描ける漫画家も珍しい。

およそ10年の歳月をかけて完結した『「坊ちゃん」の時代』(双葉社)。原作・関川夏央/作画・谷口ジローの表記ではなく、二人の名前が併記される共作という形になっている(©パピエ)

グルメ漫画の金字塔『孤独のグルメ』(原作・久住昌之、扶桑社)。中年男がひとり飯を喰うという、ただそれだけの設定がこんなに魅力的な作品になるとは!(©パピエ)

西東京の風景が生むドラマ

フランスで評価されるきっかけになった『歩くひと』(講談社)も90年代の作品。ネームではなく絵でストーリーを感じさせる演出はバンド・デシネ風でもあるが、小津安二郎の映画風の演出でもある(©パピエ)

犬好きの間ではバイブルとも言える『犬を飼う』(小学館)。動物と人間の関係をさらっとした情感で私小説風に語る。登場人物がクロスオーバーする『父の暦』(小学館)も父と子の関係性を描く傑作(©パピエ)

90年代後半~2000年代には『神の犬 ブランカII』、『イカル』(メビウス原作)、『遥かな町へ』で谷口ジローの才能が結実する。細部を省略せず丹念に描く作風は、コマの流れをスピーディーに追うのではなく、一つ一つの絵をじっくりと時間をかけて見るフランス人をも魅了した。

『神々の山嶺』(原作・夢枕獏)も原作付きの漫画というよりも、傑作山岳小説の漫画化というニュアンスが強い。『冬の動物園』では自身のサラリーマンから漫画家への転機を自伝的に描いた。

『K』(原作・遠崎史朗、リイド社)のカバー(©パピエ)

『神々の山嶺』(原作・夢枕獏、集英社)。背景の山々とキャラクターが別々のタッチで描かれ、圧倒的な立体感がある。印刷物で伝えきれない迫力は原画ならでは(©パピエ/夢枕獏)

2010年代の代表作『ふらり。』や『千年の翼 百年の夢』は、『歩くひと』の系譜にイマジネーションが加わり、バンド・デシネと日本の漫画が融合した傑作。そんな谷口ジローにしか描けない漫画をもっと読みたかった。

谷口ジロー自らが漫画化を希望した稲見一良(いなみ・いつら)原作の『猟犬探偵』(集英社)。ハードボイルドでハートウォーミングな人間と犬の物語は、「谷口ジローが描くしかないでしょう!」とさえ思わせる(©パピエ)

今回の原画展では、谷口ジローの画力のすさまじさとともに、手掛けたジャンルの幅広さにあらためて驚かされる。それゆえに作品の魅力を一口で語り尽くすことはとてもできないのだが、主催した一般財団法人パピエの米澤伸弥さんから、「谷口ジローの世界」の一端をうかがい知るヒントになりそうな話を聞いた。

「谷口さんは鳥取の高校を出て京都で就職し、半年で辞めて上京してからずっと東京西部の郊外に住み続けた。だからなのか、漫画の背景には武蔵野の風景がたびたび出てきます。故郷の風景を舞台にした作品もありますが、後期の作品は西東京の風景から生まれたドラマでもあります。隣近所との付き合いや土地との強いつながり、そういったものの希薄な世界に生きながら普遍的なものに触れる、そんな面もあると思います」

『ヴェネツィア』(双葉社)のカバー原画(©パピエ)

描くひと 谷口ジローの世界

  • 会期:2017年12月9日(土)~22日(金)
  • 会場:日仏会館ギャラリー(東京都渋谷区恵比寿3-9-25)
  • 開催時間:火~金12時~19時、土・日11時~18時(月曜閉館)
  • 入場無料
  • 詳細はこちら

取材・文=吉村 慎一
撮影=長坂 芳樹

バナー写真:谷口ジロー『ヴェネツィア』(双葉社)のカバー原画(©パピエ)

漫画 バンドデシネ 小津安二郎